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【検証】小説の強みとはなにか【小説にしかできないこと】

 こんにちは、山本清流です。


 さまざまなエンタメが登場する中、小説は必ず生き残ります。

 映画やドラマやゲームにはない小説の強みを考えてみましょう。


 いまの僕の心の声は以下のとおり。

 映画と小説を比較することで、小説の強みを考えたとき、小説の強みは「情報量の多さ」であることが見えてくる。小説が現在も生き残っており、これからも生き残っていくのは、さまざまな情報を多く含んでいるからである。したがって、エピソードや感情や考えなどを多く盛り込むことで、そのほかのエンタメとの差別化ができる。

 この心の声について、以下、説明していきます。

 よかったら、ぜひ。


 【小説の強みとはなにか】

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 上記したとおり、「情報量の多さ」です。

 急に言われてもピンと来ないかもなので、検証してみましょう。


 【検証】

 いま僕が読んでいる「ハリー・ポッターとアズカバンの囚人」を例に。

 映画版と小説版を比較していきます。


 【どのように?】

 方法は簡単です。

 客観的なデータにするために、セリフの数だけを数えることにします。


 「小説でのセリフの数」-「映画でのセリフの数」=x


 この式のxが0より大きければ、小説の情報量が勝っているわけです。

 すべて調べるのは無理なので、冒頭だけ、調べます。


 【映画版のセリフの数】

 映画版の「アズカバンの囚人」で、

 ハリーがダーズリー家から逃げ出すまでのセリフを見ていきましょう。


 以下のとおり。


ハリー「ルーモス・マキシマ! ルーモス・マキシマ!」
ハリー「ルーモス・マキシマ! ルーモス・マキシマ!」


マーズ「ハリー! ハリー! ハリー! 玄関の戸をお開け!」
ペチュニア「あ~、マージ、いらっしゃい」
ハリー「バーノンおじさん、これにサインくれます?」
バーノン「なんだ?」
ハリー「べつに。学校の書類」
バーノン「お前が行儀よくしてりゃあな」
ハリー「おばさんもそうするなら」
マーズ「おんや、お前、まだここにいたの?」
ハリー「はい」
マーズ「なんだい、その恩知らずな物の言い方は。よく兄さんが家に置いとくね。家の戸口に捨てられてたら、すぐ孤児院に連れて行くわね」
ダドリー「はははははは」
マーズ「おや、わたしのダッダーちゃん。かわいい甥っ子ちゃん。キスしておくれ」
バーノン「おばさんの荷物を上に運べ!」
ハリー「はい」


マーズ「さあ、ほら、お食べなしゃい」
バーノン「いっぱい、どうだい、マージー」
マーズ「じゃあ、一口だけ。素晴らしいご馳走だったよ。ほら。普段はあり合わせさ。犬を12匹も飼ってりゃ。もうちょっと、よしよし。(略)なに笑ってるんだい。どこの学校に入れたって?」
バーノン「セントブルータス。更生不能のケースでは一流の施設だよ」
マーズ「セントブルータスでは鞭で叩くかね?」
ハリー「ああ、はい。ええ、しょっちゅう鞭で叩かれてます」
マーズ「そう来なくっちゃ。引っぱたかれて当然の子を叩かないなんて、腰抜け間抜けもいいところよ。この子が出来損ないになったからって、自分を責めちゃいけないよ。血筋なんだよ。親の悪いところが出ちまったのさ。父親はなんの仕事をしてたって?」
ペチュニア「なんにも。働いてなかったわ。失業者よ」
マーズ「おまけに飲んだくれだろ?」
ハリー「そんなの嘘だ」
マーズ「なんだって?」
ハリー「父さんは飲んだくれじゃなかった!」
マーズ「そう大騒ぎすることないよ。ペチュニア。あたし、握力は強いんだ」
バーノン「お前、もう、寝る時間だろ」
マーズ「お黙りよ。片付けな。けどね、肝心なのは、男親より、女親のほうだよ。犬を見ててもそうさ。雌犬に悪いところがありゃ、子犬もどっかしらおかしくなるもんさ」
ハリー「黙れ! 黙れ!」
マーズ「いいかい? 言っとくけどね……。バーノン! バーノン、なんとかしておくれ。バーノン。助けて~」
バーノン「マージー」
マーズ「だめだよ」
バーノン「すまん。マージー~! マージー、戻ってこい」


バーノン「マージを元通りにしろ。いますぐ、ここに連れ戻せ!」
ハリー「嫌だ。当然の報いだ。僕に近寄るなよ」
バーノン「学校の外で魔法は使えんはずだ」
ハリー「さあ、どうかな」
バーノン「退学になったら、行くところがなくなるぞ」
ハリー「それでもいい。ここにいるよりマシだ」


 ということで、42個のセリフがありました。

 一方で、小説版を調べたところ、134個でした。


 134-42=92


 ということで、小説のほうが3.2倍セリフが多いことがわかりました。


 それだけ情報量が多いということですね。


 【エピソードの数も違う】

 映画版ではしょられたエピソードは冒頭だけでも多いです。

 主に、以下のとおり。


〇ハリーが「魔女狩りはなぜ無意味だったか、答えよ」という宿題に取り組むエピソード

〇ロンが電話してきて、バーノンおじさんが出てしまうエピソード

〇ロン、ハーマイオニー、ホグワーツから手紙と小包が届くエピソード

〇ハーマイオニーからの誕生日プレゼントに喜ぶエピソード

〇エジプト旅行に行ってきたとのロンからの手紙を読むエピソード

〇ホグズミード村に行くためにバーノンのサインが必要だが、バーノンとの取引で、マーズが家にいる間、大人しくしていたらサインをもらえることになったというエピソード

 などなど、いろいろ、はしょられていました。


 小説のほうが情報量が多いのは一目瞭然です。


【小説にしかできないこと】

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 情報量が多いことで、物語世界を緻密に表現できます。

 小説は物語世界の細部を突き詰めるのに打って付けであるわけです。


【ドラマや映画にはできない】

 ドラマや映画は時間内に物語を展開させ、収束させないといけないので、

 なるだけ本筋を大きく取り上げています。


 でも、ときどき、気になること、ありませんか?

 たとえば、「ハリー・ポッター」の映画を観たとき、この主人公はどんな宿題に取り組んでいるんだろう? とか。

 夏休みの間、ロンやハーマイオニーとはどんなやり取りをしているんだろう? ハーマイオニーはどんな文章を書くのだろう? 

 ハリーはなぜ、ダーズリー家で魔法を使うのを我慢しているんだろう? とか。


 ハリー・ポッターでなくても、

 あの登場人物と主人公がふたりきりになったら、どんな会話をするのか?

 この美しい場面に浸る主人公の心地はどんなものなのか?

 これが起きるなら、必然的に、あれも起きてないとおかしくない?

 などなど。


 小説では、そのような細部を表現できるわけです。


 【映画と小説を比べよう】

 今回、僕が検証したみたいに、

 映画と小説を比べてみるのもひとつの手かも、です。


 映画でしか表現できないことがある一方、小説でしか表現できないことも見えてきます。

 「ハリー・ポッター」で言えば、大迫力の戦いのシーンなどは、映画でしか表現できないですよね。


 でも、見てきたように、小説にしかできないこともあるのです。


 【小説の強みを知り、強みを伸ばす】

 エンタメが多様化する中で、文芸業界は厳しい状況だと思います。

 経済学的に素直に考えれば、

 

 安価な代替品が登場すれば、需要ががくんと下がるのは当然です。

 映画やゲームがサブスクになっていく時代です。


 これからは、代替品とみなされる小説から先に消えていくと思います。

 代替品ではない小説を書くことがいままで以上に重要ですね。


 以上。山本清流でした。読者が小説に求めるものをいままで以上に考えなければいけない時代ですね。というお話しでした。