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◯拷問投票192【第三章 〜正義と正義〜】

 数日前に公表された民間企業による世論調査によれば、国民の十五パーセントが拷問を支持しており、二十パーセントが反対している。残りの六十五パーセントのほとんどは、棄権すると答えている。
 これを信用するなら、いまのところ負けている。やはり、棄権しようとしている多くの無関心層を投票へと促すことが重要だった。
「まあ、引きつづき、頑張りましょう。きっと勝てますから」 
 長瀬は、隣のウグイス嬢にというよりは、むしろ自分に対して励ますような気持ちで、つぶやいた。その言葉は、どこからかまた身体に戻ってきて、吸収され、長瀬の身体の一部を形成する。案外、それだけでも、モヤモヤとしていた気持ちは一時的にせよ霧散していくように消えていった。
 長瀬は、ポッケからスマホを取り出した。
 論戦の現状を把握しようと思い、とあるSNSを立ち上げる。『#拷問投票』と検索すると、数々のコメントが現れた。
 ひとつひとつのコメントを読みながらスワイプしていく。さまざまな立場からの濃密な言葉が洪水のようにディスプレイを流れていった。
『拷問とは言っても、心を痛めつけるだけなんだから、それほど残虐じゃない。どうして反対するのか、わからん』
『それは言い過ぎ。人生でいちばん痛かったやつを思い出してみて。裏切りとか、イジメとか、喪失感とか、鬱とか。そんなのが一か月も続いたら……って考えると、ふつうに残虐だよ』
『被害者の痛みからすれば、仕方ない気がする』
『被害者と言われても、苦しんでたのは長くても数時間。その罰として一か月の苦痛ってのは、やりすぎ』
『足りないくらいだろ。生かしてもらえてるだけ、恵まれてる』
『そう感じるのは、精神病の怖さを知らないからだろうな。ワイ、統合失調者だったが、症状の重かったときは、マジでヤバかった。あんな苦痛、一分だけでも嫌だ。一か月も続くなんて、ただの地獄』
『ワイの母は、統合失調症で命を絶ってしまった……』
『でもさ、憲法上禁止されてる残虐さにあたるかどうかについて言えば、あたらない、と思う。判例では、その時代と環境とにおいて人道上の見地から一般に残虐性を有するものかどうかってのが基準。いまの日本の時代と環境から考えて、積極的刑罰措置が人道上すごく問題があるという感じでもない』
『つまり、どゆこと?』
『いまのご時世で一般の感覚で残虐と言えるかどうかと言われると、そうでもない、と思うよ』
『残虐性の評価、国民に押しつけちゃってんの、ウケる』
――ぜんぜんウケない。その捉え方は好ましくないな、と長瀬は、ひとりの刑事法学者として訂正したくなった。
 当然のように、司法判断は、国民に振り回されることはない。『時代と環境』という表現が国民をそのまま指しているわけではなかった。いきすぎた精神的な指導を過剰指導として法律で抑制している日本の現状や、国際社会が積極的刑罰措置を容認していないことなども、『時代と環境』として考えなければならない。