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◯拷問投票197【第三章 〜正義と正義〜】

 いま川島を囲んでいる黄色いTシャツの人たちは伝統的な民主主義を批判している。そのことを考えれば、いわゆるリップサービスをしているのではないか。
 長瀬には、それが先入観の導いた誤った捉え方だとは思えなかった。川島はやはり空気の読めるリアリストではないか。本音をあまり表に出さないような、まさに政治家みたいなタイプなのではないか。
 ……でも、だとしたら、どこまで疑えばいいのだろう。長瀬は、より注意深く、耳を傾けていた。
『わたしたちは、みな、多数派が常に正しいわけではないということを理解している。たとえば、日本の舵取りをおこなっている日本政府は、なにか大きな政策を実施するとき、日本国民の多数派の賛成を要求したりはしていない。専門家から助言を受けたり、国会での議論を参考にしたりして、ときには国民が支持していないような政策に手を伸ばすことも日常茶飯事。そして、それが一概に間違いではないということを――国民が支持しなくても国民のためにやるべき政策があることを――わたしたちは理解している。逆に言えば、国民が支持していても国民のためにやるべきではない政策もあるのではないか。もしも司法判断が国民に振り回されるとすれば、それは、いままでの国家観を、大きく変容させる危険性を秘めているのではないのか』
 やはり嘘くささが拭い難い、と長瀬は思った。目の前の黄色い聴衆たちが伝統的な民主主義を否定しているからこそ、彼らに合わせて、多数決の誤りという観点から制度を批判しているように見える。
 これはきっと本音ではない。
 じゃあ、人権の尊重という観点は、どうなのか。
 川島はいろいろなところで人権の尊重について繰り返し訴えているが、もしかして、それも本音ではないのか。どうして、川島は、拷問投票制度を目の敵にしているのか。長瀬にはわからない。
『知ってる方もおられるかもしれないが、わたしの父は経営者だった。会社の経営というのは、ある意味、社長による独裁体制だ。父が社長であったとき、会社はよく機能していたよだった。このように、高度な判断を専門的な少数の人間に任せるということを、わたしたちは日常的にやっている。これらのことから考えても、司法判断は専門家の権限の中でおこなわれるべきではないのか』
 そのとおりだ、過度な民主化は国を滅ぼすぞ、と声が上がった。熱狂の渦の中で、ふいに長瀬は、待てよ、と思った。
 本人が述べたとおり、川島は、愛知県の自動車製造関連企業のトップを務めていた父を持っている。
 経営者がみな利益しか考えていないと言えば、さすがに偏見だろう。しかし、利益を追求する仕事である以上は、利益を着実に上げていく責任がある。小さいころから、そんな父の背中を見ていれば、川島にも、なんであれ利益をひたむきに追求していく姿勢が備わっていても不自然ではない。
 とすれば、川島は、もっと現実的な利害関係を見ているのか?
 長瀬は、そのとき『経済制裁』という言葉が頭に浮かび、それが重要なパズルのピースであるように思えた。
 それ以上は、わからなかった。