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【道徳二元論③】〇基礎理論〇 公平的道徳と闘争的道徳

 こんにちは、山本清流です。


 『道徳二元論』の第3回目です。

 今回は、「公平的道徳と闘争的道徳」というテーマでお話しします。


 要約は以下のとおり。

 ふたつの規範を公平的道徳、闘争的道徳と呼ぶことにする。 これらの道徳の特徴は2つある。 ①使い分けられるものであり、②不利な状況と、有利な状況によって、使い分ける。 どちらかだけに従うわけではなく、これらの道徳を時と場合によって使い分ける。 不利な状況では公平的道徳を、有利な状況では闘争的道徳を主張するのが最善である。

 以下、深掘りします。

 ぜひ、お付き合いください。


 【ふたつの道徳を使い分ける】

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 ふたつの道徳は使い分けるのが合理的です。

 この言い方には違和感もあるかもなので、少し、詳し目に説明します。


 【前提を思いだす】

 第1回目の講義で説明した前提を何度も思いだしてほしいです。

 人間は、「合理的に自己利益を追求する」ものという前提を置いています。


 利他的な行動はしないし、非合理的な行動もしません。

 自分の満足度が上昇すれば、それでOK。


 まずは、そういう考えを前提にして想定世界を拡げていることに注意してください。


 【想定しているのは道徳的な人間ではない】

 「道徳を時と場合で変えるなんてサイテーだ」と思うかもしれません。

 しかし、そもそも、道徳的な人間は想定していません。


 あえて呼ぶなら、「道徳合理的な人間」を想定しています。

 自分の満足度を上昇させるために道徳を道具として利用する人間、です。


 人々の目的は、「道徳的であること」ではなく、

「満足度を大きくすること」です。 そのように前提を置いています。


 【つまり】

 ある場面においては、ある道徳、他の場面においては、また別の道徳。

 それが合理的に満足度を上昇させる選択であるならば、


 それがその人にとって正しい行動なのです。


 『道徳二元論』の想定世界においては、道徳は時と場合によって使い分けるべきなのです。


 【公平的道徳と、闘争的道徳】

 ふたつの道徳を、それぞれ、公平的道徳、闘争的道徳と呼び分けることにしましょう。


 公平的道徳とは、「平等であるべきだ」との道徳です。

 リンゴがもらえないとき、「不平等だ。 僕にもリンゴを」という道徳。


 闘争的道徳とは、「自己責任であるべきだ」との道徳です。

 リンゴをとられそうなとき、「自己責任だ。 あげない」という道徳。


 以下、この呼び方を用いて、説明していきます。


 【有利な状況と、不利な状況での対応の違い】

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 ふたつの道徳の特徴のふたつめとして、「有利な状況と不利な状況で使い分ける」というものがあります。

 これを理解するために、反対に、ふたつの道徳を使い分けない場合を具体的に想像してみましょう。


 【公平的道徳だけの場合】

 公平的道徳しか用いない場合を考えます。

 前回の講義で用いたリンゴの例を思いだしましょう。


 リンゴを探しているAさん。

 あるとき、いくつものリンゴを占有している人たちに出会いました。

 

 そこで、Aさんは公平的道徳を発動します。

「不平等だ。 僕にも、リンゴをちょうだい」と。


その主張が通り、無事にリンゴを手にしたとします。

(もちろん、その相手が合理的に行動する場合、絶対にリンゴはもらえませんが、難しい話はさておき)


 Aさんの満足度はリンゴを食べたぶんだけ上がりました。

 無事に、Aさんの望みは叶ったのです。


 しかし、べつのある日、今度は、Aさんが先にリンゴを見つけました。

 2つのリンゴを自分で食べたほうが満足度が高いです。


 そのとき、Bさんがやってきて、

「不平等だ。 わたしにもリンゴ、ちょうだい」と主張したとします。


 一貫して公平的道徳を主張し、Bさんにリンゴをひとつ渡すと、

 そのリンゴひとつぶん、Aさんの満足度は低くなります。


 一貫して、公平的道徳を主張したことによって、

 Aさんを損をしているのです。


 【闘争的道徳だけの場合】

  反対に、闘争的道徳だけの場合を考えましょう。 

 やはり、リンゴの例で考えましょう。


 Aさんが先にリンゴを見つけたとき、

 Bさんがやってきて「わたしにもちょうだい」と言っても、


「自己責任だ。あげない」と闘争的道徳を主張して、押し返せば、

 手にしたリンゴはすべて自分のものにできます。


 しかし、ほかの人に先にリンゴをとられたときにも、

 同じように闘争的道徳を主張すると、


 ほかの人がリンゴを食べているところを傍観することになります。


 一貫して、闘争的道徳を主張したことで、

 Aさんは損をすることになるのです。


 【つまり】

 時と場合によって、道徳的主張を変化させたほうが、

 自分の満足度を上昇させることができます。


 したがって、合理的な個人は、そのように行動するはずです。


 【有利な状況と不利な状況で使い分ける】

 以上の例からもわかるように、

 有利な状況では闘争的道徳を、不利な状況では公平的道徳を主張するのが合理的です。


 【簡単に言うと】

 リンゴが手元にあるとき(有利なとき)には、威張っていられる(闘争的道徳)けど、

 リンゴが手元にないとき(不利なとき)には、低姿勢で行く(公平的道徳)みたいな感じです。


 以上にように、公平的道徳と闘争的道徳は時と場合によって使い分けるべきであり、

 有利なときには闘争的道徳を、不利なときには公平的道徳を主張するのが合理的です。


 今回は以上です。 お疲れさまでした。 続いては、こちら。