【道徳二元論④】〇基礎理論〇 作為と不作為
こんにちは、山本清流です。
『道徳二元論』の第4回目の講義です。
今回は、「作為と不作為」というテーマでお話ししたいと思います。
要約は以下のとおり。
公平的道徳と闘争的道徳の違いは、作為と不作為で語ることができる。能動的になにかをすることを要求するのが闘争的道徳であり、能動的になにかをしないことを要求するのが公平的道徳である。席を譲ることも、能動的な動きにも見えるが、それは公平的道徳である。
以下、深掘りします。
ぜひ、お付き合いください。
【作為と不作為】
上記したとおり、公平的道徳は不作為、闘争的道徳は作為、です。
どういうことか、詳しく説明していきます。
【公平的道徳は不作為】
公平的道徳は不作為を要求します。
リンゴの例から考えれば、わかりやすいでしょう。
Aさんがリンゴの木に着いたとき、すでにリンゴは占有されていました。
そのとき、Aさんが公平的道徳を発動したとします。
Aさんは具体的になにを要求したでしょうか?
リンゴを手にした人たちが「合理的に満足度を上昇させようとする」行動をしないように要求したのです。
つまり、「やるな」と要求しています。
そして、その残りのぶんを「よこせ」と要求しています。
相手に対して、満足度を上昇させることについて、(部分的に)不作為であることを要求しているのです。
【闘争的道徳は作為】
一方で、闘争的道徳は作為を要求します。
やはり、リンゴの例で考えてみましょう。
Aさんがリンゴを手にしたとき
どこからかBさんがやってきて、「わたしにも分けて」と言います。
そこでAさんは、「自己責任だ。あげない」と闘争的道徳を主張します。
Aさんはなにを要求したでしょうか?
AさんはBさんに対して、「自分でリンゴを見つけろ」と要求しています。
自力で満足度を上昇させるように求めているのです。
だから、いま手元にあるリンゴは「あげない」と主張します。
Bさんに対して、満足度を上昇させることについて、作為であることを要求しています。
【つまり】
満足度を上昇させる行動について、
闘争的道徳は作為を訴える道徳であり、
公平的道徳は不作為を訴える道徳であります。
【もっと平易に言うと】
闘争的道徳は、「満足度を上昇させようと行動すること」を要求します。
「俺もお前も、それぞれ満足度を上昇させるように頑張ろう。俺のものは俺のものだし、お前のものはお前のものだ」と主張します。
一方で、公平的道徳は、「満足度を上昇させようと(部分的に)行動しないこと」と要求します。
「あなたはやりすぎだから、ちょっと満足度を減らしてください。そのぶんをわたしにください」と主張します。
ややこしいですが、あまり例示すると、さらにややこしくなると思うので、
これくらいにして、次の検討問題に移ります。
【席を譲る行動は、どちらの道徳か】
席を譲る行動は、どちらの道徳に基づく行動か。
少し、考えてみましょう。
【席を譲るのは能動的に思える】
誰かに席を譲る行動は能動的で、
自ら行動しているように見えますね。
だからといって、作為を訴える闘争的道徳なのか?
違うと思います。
【満足度がどうなったかを考える】
席を譲ることで、「席に座ってリラックスする」ことの満足度がなくなります。
その人の満足度が減るのです。
闘争的道徳は、満足度を増やそうとする作為だから、
行動の結果によって満足度が減るはずはないです。
席を譲ることは、「席に座ってリラックスする」ということへの不作為です。
つまり、公平的道徳にしたがった行動だと言えます。
今回は、以上です。ややこしくて申し訳ありません。次回の講義は面白い内容になります。お疲れさまでした。