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○拷問投票11【第一章 〜毒蛇の契約〜】

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 長瀬達也は、大学での講義を終えたあと、キャンパスに隣接したビルの一階のカフェへと向かった。
 キャンパス内にもオシャレなカフェはあるが、学生の多いところは落ち着かない。こそこそ話でも始まれば、もしや、自分のことを噂しているのではないか、となる。年頃の中学生のように本気で気にすることはないにしても、やはり、そういう無駄な思考が生じるのは不快だった。
 カフェの奥の窒息するような雰囲気が好きではないので、窓側の席を選んだ。
 椅子に腰かけると、すぐにテキパキとした動作で人型ロボット、『アサヒ』が歩み寄ってきた。瞬きの遅さから人間ではないと判断できる。新規に仕入れたものだろう。女性という設定らしく、グリーンのエプロンについているネームプレートには『アサヒ 田口愛華』と表示されていた。
「いらっしゃいませ」
 声の設定にも、違和感がない。あえて顔の造作を完璧にしないところにも、配慮がなされている。
「こちら、お冷です。ご注文が決まりましたら、お呼びくださいませ」
 テーブルに水の入ったグラスを置くと、にこりとした笑顔で一礼し、そのまま一歩、引き下がる。
 少し迷った末に、長瀬は、「あ、すみません」と呼び止めた。いつもとは違ったものにしようかとも思ったが、結局はいつもどおりのフレンチトーストを注文した。「かしこまりました」とまた一礼してから引き下がっていく背中を見つめながら、長瀬は、愛国心に満ちた気持ちを感じた。
 この人型ロボット、『アサヒ』は、かつては家電分野で世界的成功を収めていた日本企業数社が共同出資したプロジェクトで生み出されたものだ。海外産の人型ロボットと比べると製造コストが高く、世界的な競争にはついていけていない。その点は惜しいものの、こだわりぬいた高品質さには日本らしさがある。それは技術力というよりは、日本文化に根付いているおもてなしの精神の表出と捉えるべきだろう。
 そんな自分の思考は都合がいいな、と長瀬は思った。普段は、べつに日本が好きなわけでもないし、五十年以上も日本社会の闇をいろいろ見てきたわけだ。
 結局、感覚的なものに整合性を要求することはできない。気分がよくなるのであれば、べつになにを考えていたって個人の勝手だ。
 フレンチトーストを待っている間、長瀬は、窓の外を忙しなく通り過ぎていく車の群れを見つめていた。
 自動運転技術が普及したおかげで、ここ十年のうちにも、交通死亡事故は激減した。その代わりというべきか、事故が起こったときの責任の所在がかなり抽象的になったことは新たな問題でもある。
 判例の現状としては、自動運転の自動車で事故を起こしたときも、運転席に座っていた人の注意義務違反が成り立つ限りでの過失を認めている。散歩中だった老人を自動運転の自動車で轢き殺した事件について、その事故直前まで運転席でスマホを操作していた者に対して過失が認められたケースがある。その根拠としては、目の前に発生していた危険に対して適切な対処をしていれば結果を回避することは可能かつ容易であり、当然そうすべき注意義務を怠っていたことを認めざるを得ない、というものだ。学説上は、このような自動運転に関する判例の傾向に批判的な声も多い。そもそも、自動運転というのは最初から最後まで完全にAIのシステムだけで運転するものであり、乗車している人間がどこかしらで運転に関与することを想定していない。ハンドルやアクセル、ブレーキも、緊急用のボタンを押さなければ、使用できないことになっている。民事上も注意義務はない。結果回避可能性があったからといって刑事罰を加えれば、自動運転の利用者たちを過度に委縮させることになるのではないか。
 ……おっと、と思った。
 これまた職業病だ。長瀬のように書物に溺れる仕事をしていると、なにを考えるにしても、すぐに自分の領域の問題に結びつけてしまう。
 これでは、ただの法律オタクじゃないか。長瀬は、窓から目を離し、そろそろ届くだろうフレンチトーストに気持ちを切り替えようとした。そのためにも自動運転に絞られていた注意をいったん弱める。