【見解】文章力は才能か、それとも努力か?
こんにちは、山本清流です。
9月末、次作の構想を開始しました。
次の作品は法律関係の(ファンタジー)小説にしようかと思いまして、現在、法律の勉強をしています。
さて、今回、僕が話したいのは、
文章力は才能なのか、それとも努力の結果なのか、という問題です。
と、その前に、果たして山本清流に文章力とまで言えるものがあるのかどうかについては、議論の余地があるでしょう。
それは否定できないにしても、文章が論理的である、ということについては、一定の自信があります。
そこで今回は、表現力とか適切な比喩の能力、構成方法や情報の出し方の工夫、感情や思考の言語化の精度、単なる人間性などのような議論の分かれそうなところは置いておいて、
論理的な(いわゆる国語力のある)文章を書くためには、才能か、努力か、ちょっと考えてみたいです。
この答えは、実は、簡単です。
なぜなら、小学校や中学校などの教育機関が国語を教えているのは、教えれば伸びる、と思っているからです。
日本政府または文部科学省の見解としては、
国語力は勉強によって是正できる、のです。
でなければ、教える必要がありません。
ですから、上記したような狭義での文章力は、努力すれば伸びます(結論)。
ということで、さっそく結論が出てしまいました。
努力すれば伸びるなら、努力するしかありません。
それをとりあえず前提として、今度は、では、どんな努力をすればいいのか、考えてみましょう。
国語教育が国語力の育成を目指しているのは間違いありません。
しかし、国語の勉強を頑張ればいい、という話でもないと思います。
だって、教科書に出てくる文芸作品は大人の目で選定されていて、子供の感性をあまり重視していないからです。
たしかに宮沢賢治とか夏目漱石とか森鴎外とかの作品が優れていることは間違いないですが、
人生経験がないと理解できなかったり、過度に語彙力を要求したりしているような作品は、はっきり言って、子供の感性を刺激しづらいです。
面白くないものを読んでも、頭はそれほど働きません。
だから、僕がオススメするのは、面白いと思った本を読めばいい、ということ。
本を読めば、国語力は上がります。これは間違いない。
僕は大学生になってから、読書にハマりました。
高校生のときは苦手だった現代文のセンター試験を、大学生のときにもういちど解いてみたら、正答率が上がっていました。
僕が読んだのは、夏目漱石とか太宰治ではなく、綾辻行人とか佐藤究です。
たぶん、ライトノベルでも、問題ありません。
面白いと思えば、どんどん読めるし、いつのまにか国語力が上がっていきます。
もちろん、純文学を面白いと思える感性があるなら、それは素敵なことで、それを読めばいいのです。
と、まあ、以上のように、僕は思うのです。
先輩風を吹かすわけでもないけど、国語力は必ず伸びるので、努力する甲斐はあると思います。
(ついでに、国語の教科書に東野圭吾とか西尾維新が出てきたら、たちまち国語は人気科目になるだろうに、とも思います)
……いまの国語教育には、道徳教育的な側面もありそうですが。
みなさんは、どう思いますか?
国語力は好きな本を読むことで伸びると思いますか?
それとも、教科書に載っているような著しく優れた作品でしか国語力は育たないと思いますか?
ここで取り上げなかった意味での総合的な文章力については、
センスや才能の範囲が広いような気がしますが、どうなのでしょう?
あるいは、ちょっと視点を変えますと、
そもそも小説家により一般的な意味での文章力が必要なのか、という問題もあります。
とりあえず国語力だけ押さえていれば、誰でも読める文章が書けるわけで、
美しい比喩を生み出す能力とか、読者を心地よくさせる構成技術とかは、べつになくても、読者を楽しませる小説は書けます。
いや、そんなことを考え出したら、いくらでも可能性はあります。
むしろ国語力がなくて、ぜんぜん支離滅裂で論理のかけらもないのに、なぜか引き込まれてしまう文章というのもあるかもしれない。
そもそも国語力は必要なのか?
ぐちゃぐちゃだからこそ、生身の感情が表出した、迫力ある描写につながることもあるかもしれない。
そんなふうに考えていくと、文章力っていうのは統一的に評価できるものではないのかな、なんて思ってしまいます。
自分が持っているものを活かす方向で考えていくべきかもしれません。
とりあえず、その礎として、国語力が備わっていると有利なのではないか、と思います。
上記したようにわざと崩すという技術はたしかにありますが、それをするにも崩す前の状態を把握していたほうがいいですし。
国語力っていうのは、読んでもらうための最低限のルールみたいなもので、
それ以上のルールはないので、そこから先はさまざまな文章力を持った人たちが争う、異種格闘技戦です。
そんなイメージが、僕の頭の中にあるみたいです。