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◯拷問投票280【第四章 〜反対と賛成〜】
そうと確信したとき、佐藤は、咄嗟に目を逸らした。気遣いとか配慮とかではなく、後ろめたさだった。冴えない人生の気晴らしのために彼女を何度、利用したことか。それだけならまだしも、勝手に心の中の女神にまで仕立て上げてしまっている。合わせる顔など、どこにもない。
あっちだって、嫌なことを思い出すことになる。
佐藤は、止めていた足を進め、彼女の前を通り過ぎようとした。もう座りたい欲求はどこかに消えていた。溜まっていた疲労もなくなった。好きな人の前で黙り込むことしかできないような惨めさに、ただ胸が苦しくなっていた。
「あのう……」
なぜか、呼び止められた。
心臓がきゅっと縮んだ。すぐさま振りかえることはできなかった。左足を宙に浮かしたままの不自然な状態で、固まってしまう。
あっちから声をかけてくるなど、意味がわからなかった。
どうあれ、近くにはほかに人がいないので、ほかの人を呼び止めたとは考えにくい。声は佐藤のほうへ真っすぐと飛んできたし、あっちからの強い視線も感じた。数秒だけ動けなくなった佐藤だが、このままでは情けない。浮いていた左足を地面に下ろし、思いきって、首を回した。
目が合った。
やはり、こっちを見ている。吸い込まれそうなほどの潤いがあり、瞬きを忘れるほどに美しかった。
うっかり見惚れてしまうと、気まずくなったのか、彼女は目を伏せた。それから沈黙を嫌うように素早く、文庫本から離した右手で地面の一点を示した。
「それ、落ちましたけど」
振りかえれば、そこには一枚のICカードが落ちていた。改札を通るときに取り出し、そのままずっと握っていたものだ。彼女から遠ざかることばかり考えていたせいで、カードを握っていた手を緩めてしまったということだろう。
佐藤は、少なからず安堵した。お互いの接点に気づかれてしまったら、もっと気まずくなるのは目に見えている。
「ああ、ごめんなさい。わざわざ、ありがとうございます」
自虐的な笑みを浮かべながら、落ちてしまったICカードを拾った。目は合わせず、ぺこりと頭を下げる。そのまま離れようと背を向け、足を踏み出し――。
「あれ?」
またもや、声が上がった。なにかに気が付いたときの、変な方向に飛んでいってしまうような声だった。
佐藤は、ふたたび足を止めた。今度は右足が浮いている。同じことを繰りかえす間抜けな自分を許せず、少し虚勢の混じった動作で右足を地面に押し込んだ。勢いのままに首を回した。
こっちを見つめている彼女の目は、なにかのマスコットキャラクターのように大きく丸くなっていた。一時停止ボタンを押したかのように動かない。