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◯拷問投票132【第二章 〜重罪と極刑〜】

 ……ややこしい。佐藤は、投げやりにならないように思考を進めた。
 殺してほしいとは思っていたが、その意思は無効である、という捉え方は、殺してほしいという意思を仮定したうえでの主張だ。その前段階の、殺してほしいという意思そのものについて、検察側はそもそも否定している。
 佐藤の頭の中では、同意の有無と同意の有効性とが混乱していた。裁判官たちに指摘されて、なんとか頭の中が整理された。検察側はあくまでも、同意そのものの存在を否定している。そのうえで、かりに同意があったとしても有効ではない、という補助的な主張を加えているに過ぎない。
 初歩的なところでも、ニュアンスをくみ取れていなかったようである。佐藤は、少し恥ずかしくなったが、だからこそ、挽回するために口を開いた。
「同意の有無という話になりますと、どのような条件が揃えば同意があったという話になるのでしょうか」
「それは法廷において検察側がすでに説明されていましたが、いまいちど、わたしのほうから説明しましょう」
 名乗りを上げたのは、左陪席の神田裁判官だった。そろそろ自分の出番ではないか、と思ったのかもしれない。すっと立ち上がると、背後のホワイトボードにペンを走らせ、『願望ではなく認容』ときれいな文字で書いた。
「ここはちょっとニュアンスが難しいところかもしれませんが、一般の感覚でいうところの、死にたい、死にたい、っていう願望まではなくても、死という結果が起こることを認識していて、それでもいい、と認容していたならば、同意殺人――ここでは嘱託殺人ですね――とすることはできます」
「願望ではなく、認容……」
 難しそうな顔をして、三番が頭を抱えた。佐藤も同じく難解に感じたが、思い切って、言ってみる。
「わたしは殺されるんだなぁ、それでいっか、と思っていればいいということですか? そう思ったうえで『殺して』と言ったのかどうか、と」
「まあ、そんな感じでしょうか。大事なところは、積極的な死への意欲がなくてもいいということです。相手の行為の結果として、自分が死ぬことがわかっているなら」
「あの……」
 そのとき、佐藤と同年代の女性、四番が、口を開いた。神田裁判官の鋭い目が飛んでくると、びくっと肩を縮ませる。それでも声量はしっかりしている。
「被害者の方がたとえば、その同意があったとしたときに、心臓をナイフで刺して殺してほしかったのに、首を絞められた、という場合は、首を絞められたことについては同意はなかった、ということにはなりませんか?」
「すごい細かい指摘ですね」
 神田裁判官は、ちょっと称賛するような声を上げた。少しだけだけど、見直したわ、という顔をしている。合議体の視線が神田裁判官のほうに集まり、佐藤は自分への注目度が下がったことに僅かな安心感を抱いた。
「そういう場合を事実認定できるかどうかという問題はありますが、具体的な殺害の方法については想定が違っていても、死の結果について認容していたならば、それも同意に該当するのではないでしょうか。できるだけ痛みなく殺してほしかったのに、激しい苦痛を伴う殺され方をしたなら、話は変わってくるかもしれませんが」
「ああ、はい。すみません、ちょっと気になっただけなので」
 四番は、ぺこぺこ頭を下げた。
 ともかく、被害者が『殺して』と叫んだときに、自分が殺されるということを認容していたのかどうか、という問題である。
 この点については、弁護側が言うように、観念的と言えるようなレベルでの話し合いが続くことになった。なんせ、死人はなにも語らない。事件の内容を確認しつつも、一般的な可能性についての思考を避けることはできない。
 果たして、被害女性は、殺されることを認容していたのか。