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○拷問投票37【第一章 〜毒蛇の契約〜】

「裁判官たちが合計で三票、国民が一票を持っているに過ぎないので、六票以上の賛成を得るためには裁判員の協力が不可欠です。まして、後述するように、裁判官はあまり賛成しない傾向にありますので、数の上でいちばん重要なのは裁判員たちだと言って間違いありません」
 裁判官の一票と国民による一票が入ることは積極的刑罰措置を発動するための基本的条件であるので、その最低限の条件を前提に考えると、六人いる裁判員のうち少なくとも四人以上は賛成に回らなければならない。
 また、原則として補充裁判員が二人いるものの、裁判員による投票権を与えられるのは裁判員のみである。補充裁判員は、裁判員が投票できなくなったときの補欠として用意されているだけだ。
「いままでの投票結果を踏まえますと、裁判員たちはわりと簡単に賛成する傾向があります。事件の具体的な内容を公判手続きの過程で詳細に摂取しておりますので、一般的な感覚からすれば、極刑を望むのは当然でしょう」
「被害者遺族は、法廷で証言できると聞きましたが?」
「証言というより意見ですが、可能です」
 長瀬は、高橋実の気持ちを受け止めるようなイメージで、大きくうなずいた。
「検察官に申し出れば、被害者参加人という身分が認定されます。その身分があれば、基本的には、法廷において直接に裁判員たちと対面し、事実や法律の適用について話すことができます。もちろん、被告人を侮辱することはできませんし、法律上、そこでの意見は量刑に反映されないことになってますが。それ以外の場所で裁判員たちに働きかけることはできませんから、そこでだけ例外的に裁判員たちに働きかけることができます。その場こそ、極刑を望んでいることを伝えるチャンスでしょう」
 そのような制度の現状と、いままでの裁判員たちの傾向を考慮すれば、裁判員たちが賛成票を投じることはそれほど難しくはないようにも思える。
 たしかに賛成票は入りやすいかもしれないが、絶対に見落としてはいけないポイントがあった。
「気を付けなければいけないのは、裁判員たちには再投票の権利が与えられているということです」
「第六八条ですね?」
 さすがは高橋実である、と長瀬は感心した。大学でいろいろな講義を担当してきた経験の中でも、これほど勉強熱心な学生は稀であった。やはり人間には、自分が必要な情報に対しては凄まじい粘着力を発揮するところがある。
 長瀬は、「さすが」と、そのまま声に出していた。
「そのとおりです。拷問投票法第六八条には、投票の期日において投票をした裁判員は、いちおうの投票結果が確定したあとに、もういちど投票し直すことができる、と規定されています」
 この規定によれば、投票の期日においては賛成票を投じたとしても、そのあとになって反対票に切り替えることができる。
 言うまでもないことであるが、その反対に、投票の期日においては反対票を投じたとしても、そのあとになって賛成票に切り替えることも可能だ。
「なんで、裁判員にだけ、こんな特別の地位を与えるのか、正直なところ、どうも腑に落ちないんですが」
 高橋実の違和感はもっともである。
「この規定を付け加えるかどうかについての議論には、わたしも参加していました。この規定の必要性を訴えたのは、とある東大の名誉教授の方です。最終的には、彼の主張にわたしたちも賛同しました」