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○拷問投票39【第一章 〜毒蛇の契約〜】

「ここまでで国民の壁、裁判員の壁、とお伝えしてきました。最後に残っているのは、当然のように、裁判官の壁です」
 少なくとも裁判官のうちのひとりは賛成票を投じる必要があるが、これは過去の事例からすると、簡単に達成できるものではない。いままで実施された六回の投票において、賛成票を入れたことのある裁判官はひとりのみである。このことは制度に詳しくない人たちの間でも、ある程度、常識となっている。
「先生の個人的な見解では、これはどのように理解されておられますか?」
「わたしには実務家の経験がありませんから、正直なところ、実態については推測するしかありません」
 その推測の頼りになるのは、名古屋地裁に所属する篠田裁判官の個人的見解である。拷問投票法第六六条第二項の規定により、裁判官であっても、拷問投票における選択について理由を明かすことは義務付けられていない。そのため、ほぼすべての裁判官は投票に際する基準を明らかにしていないが、三回目の投票において反対票を投じた篠田裁判官はその理由を明かしている。
 前提として「投票に際しては、国民であれ、裁判員であれ、裁判官であれ、自由意思が尊重されることが明文上で規定されているのであるから、これこれの基準を採用しなければならないという類の制約は存在しないものというべきである」としたうえで、「第七二条における『あえて善良な国際社会の常識を超えることが相当であると考えるべき特段の事情の存否』という基準については、積極的刑罰措置が日本の憲法上どうかという問題はさておき、少なくとも国際常識又は国際法にこれが抵触していることを確認したうえで、そのような国際的に容認し難い積極的刑罰措置を発動するにあたっては、それ自体、国際法を逸脱するような超法規的な判断を要求していると解すべきであろう。この法律の特殊な立法経緯も併せて考慮するならば、個別事例に対する判断を基にしながらも、そこから離れた視点に立つことも求められている。ある側面では国際的に容認できないような不当な司法判断さえも、特別な事情がある限り、やむを得ない、と解せるのである。それは具体的には、個別犯罪に対する評価以上に、社会的実益を判断材料としたうえでの過度に抽象的で政策的な判断をすべきであるということになろう」と明かしている。
 学説においては、この篠田裁判官の見解に対して批判的なものはあまりない。
 死刑判決を出している時点で、いまだ確定裁判ではないにしても、当該犯罪に対する評価はいちおう終結している、とも言える。
 そのうえで実施される拷問投票においては、当該犯罪から離れたところから、超法規的、あるいは時事的な要素も十分に考慮したうえで判断してもいいことを、制度の趣旨からして許容しているようにも受け取れる。
 一方で、このような判断手法は刑法の趣旨を潜脱するものである、との少数派の批判も存在している。