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【完全無料・原稿用紙205枚の小説】ファン、燃ゆ【ファンが炎上した。私に殺害予告を送ったらしい】

   ファン、燃ゆ


 九一五件。
 政府の犯罪統計による平成三〇年度の日本での殺人事件の認知件数です。アイドルユーチューバーとして活動していた私は世間知らずだといわれる経験が多くありました。世間知らずな私でもスマホを操作すれば簡単に入手できた情報です。
 これは、アイドルユーチューバーとして表舞台で活動してきた青谷未和――私の遺書です。
 私は九月末で芸能界を引退し、一般人となります。ユーチューバーとしての活動もすべて停止します。あまりに唐突なご報告で申し訳ありません。意志は固まっています。冒頭で掲げた数字は、私が芸能界を引退する動機です。
 突然に、殺人事件の認知件数が動機だと聞いて、困惑する方もいるでしょう。またある方は、殺人事件と聞いて、あの事件を思い出すでしょう。お察しの通り、今年度の一月に発生したあの事件も、私が芸能界を引退する動機を支えています。詳細については、これから丁寧に説明していきます。
 平成三〇年度だけで、九一五件の殺人事件が発生しました。合計で九一五人の被害者が誰かに襲われました。毎年同じくらいの被害者が出ています。その被害者の一人が私の身近にもいました。
 幽霊が怖いという人は、現実的な恐怖を忘れています。政府統計を隅から隅まで調べても、どの統計にも、幽霊によって殺害された日本人は一人としてカウントされていません。現実的に、私は幽霊を怖いとは感じません。
 一方で、殺人事件は平成三〇年度に九一五件発生した、と犯罪統計に明示されています。
 毎年、一定数の殺人犯が人を殺しています。ニュースで報じられている殺人事件だけでも恐ろしいですが、ニュースで報じられていない殺人事件にも恐ろしい事件がいくつもあります。Youtubeで毎日楽しい動画を見ているだけだった私は、ずっと盲目になっていました。
 殺人事件には殺人未遂も含まれているので、死者数はより少なく、三五〇人程度です。かりに一年に三五〇人が殺されているとしたら、単純計算で、一日に一人ほど殺されています。
 この遺書を書くまでに苦悩がありました――というより恐怖と言い換えたほうがいいかもしれませんが――私が遺書を書く理由はそれです。私は、毎日、殺される一人にならなかった僥倖に息を吐きました。明日も殺される一人以外でいられるのか、その不安を胸に眠りに就きました。一日に一人も殺されている殺人事件の被害者の一人になったらどうしよう。常に不安が胸の底にありました。
 Youtubeで楽しい動画を次々と見ていく余裕はなくなりました。私は殺人事件の情報に敏感になり、可能な限りの予防策を講じるようになりました。私のYoutubeのオススメ動画は、過去に起きた凄惨な殺人事件に関する動画ばかりです。
 この遺書を読んだ人が私と同じ苦悩を抱えるよう願っているわけではありません。そんな罰当たりな遺書は書きたくない。
 この遺書を読むにあたっての注意点がひとつ、あります。殺されるのではと想像できれば、他人に口出しするのが難しくなります。今まで通りに誰かに物を言いたい方には、この遺書を読む選択を推奨しません。
 一方で、誰かへの怒りに震えて行動に出そうな人には、ぜひとも読んでもらうべきかもしれません。相手の過激さを想像できれば、怒りは抑えられるかもしれない。ぜひとも抑えてほしいです。
 怒りを制御するのは恐怖です。
 犯罪統計における殺人事件の認知件数がゼロになる未来(ただし、警察機構の怠惰によって不当に認知件数が減少する場合は除く)を、私は願っています。

  第一章

     一

 平成三一年度初頭の正月、私の所属するアイドルグループ『虹色に光る雨』通称ニジアメは屋外の正月イベントに出る予定でした。ニジアメのメンバーにとって、名が売れてから初めての正月でした。
 そのときの正月は、循環する時間の一部ではなく、直進する時間の先端のように感じました。特別な感覚があったのです。
 ニジアメがデビューしたのは、平成三〇年度の夏です。その夏、かねてより事務所内で膨らんでいたYoutubeを中心としたネット配信型アイドルの構想が具体的な形となりました。それが、私たちニジアメでした。事務所の期待を背負い、私たち一一人のメンバーは世に送り出されたのです。
 幸いなことに、あっという間にニジアメの愛称で知れ渡りました。夏に開設されたYoutubeチャンネルのチャンネル登録者数は一月の間で一〇万人を突破しました。その勢いは止まりませんでした。昨年のうちにチャンネル登録者数一〇〇万人を達成し、チャンネル登録者数が一〇〇万人のチャンネルにだけYoutubeから送られるゴールドクリエイターアワードが届きました。金メッキ真鍮製の表彰楯です。
 昨年末には、メンバーも、事務所のスタッフも、プロデューサーも集まってチャンネル登録者数一〇〇万人突破の祝福パーティーが開催されました。
そんな新しい体験ばかりだった私にとって、なによりも嬉しかったのはファンの方々からのDMでした。twitterに開設された私個人の公式アカウントには毎日、たくさんの方からDM――ダイレクトメッセージが届きました。心のこもったメッセージに励まされる毎日でした。
 ニジアメへのファンレターは、メンバー個人の公式twitterアカウントへのDMでおこなう決まりでした。
 可能な限り目を通し、時間のあるときに返信していました。やり取りが長く続いていたファンの方もいます。ゆるゆるぽんぽんさんもその一人で、私の熱心なファンでした。高校生の女の子です。
 ゆるゆるぽんぽんさんからのDMに返信しなかったのは、一度だけでした。正月イベントに出るための控用のテントに私がいるときでした。
『今まで、ありがとうございました』
 前後の文脈なくゆるゆるぽんぽんさんから届いたそのDMに、私は困惑しました。なにを意味しているのか。考えていくと、妄想が膨らんでいきました。ひとまず、『これからも応援してくださると嬉しいです』と文字を打ったものの、それは送信できませんでした。結局、そのときは返信しないままでした。
 そのDMを気がかりに感じていた私は、どうにか切り替え、イベントでのパフォーマンスに集中しようとスマホを閉じました。
そのイベントで、あの事件が発生したのです。

 そのイベントは夜の七時からでした。ステージの催しのあとに花火を打ちあげるイベントで、花火のほうがメインでした。都心のイベントステージで開催されたそのイベントには、多くのお客さんがいました。撮影可のイベントだったので、お客さんの八割方はスマホを片手にステージを録画していました。
 ニジアメのほかにも三組のアーティストやアイドルがパフォーマンスを披露する予定でした。どのパファーマーも有名な方々で、NHKの紅白歌合戦に出場した経験のあるグループもいました。
 ニジアメの出番は最後でした。夜の八時になると闇も深まり、ステージライトや街のネオンが輝いていました。ニジアメは二曲のパフォーマンスをする予定でした。
 しかし、一曲目の途中に、周知の通り、あの事件が発生したのです。私たちがステージで間奏のダンスを披露しているとき、突如、女性の声が響きました。天を裂くような絶叫でした。大音量で流れていたニジアメの曲にも負けない声量でした。
 その声に驚いて、私はダンスを中断しました。ただごとではないと思いました。私のほかにも、加奈子や、杏奈もダンスを中断しました。つられるようにほかのメンバーもダンスをやめました。
 そのときには、間奏の音楽が宙ぶらりんになったまま、虚しくも大音量で流れていました。その音楽はもはや誰の耳にも入っていなかったでしょう。
お客さんの目はステージから外れました。私たちニジアメのメンバーに向けられていたいくつものスマホのカメラが、ステージの脇へ方向転換したのが印象的でした。
 それらのスマホのカメラのレンズが向いていたのは、パフォーマーの控用のテントの方向でした。私も、そちらに目を向けました。
 惨状が起こっていたのは、ステージ脇の控用のテントの出入り口前でした。そこに立っていたはずのニジアメの西野真奈プロデューサー――四〇代のカリスマプロデューサーで、ほっそりとした体形でした――が地面にうずくまっていました。なぜか、腹部を手で押さえています。
 どうしたのか。私は、西野プロデューサーをじっと見つめました。嫌な予感がしました。とんでもない事態になっているのではないか。さきほどの絶叫が西野プロデューサーの口から発せられたのなら、それはなぜか。
 西野プロデューサーが顔を上げたとき、その顔は苦悶に満ちていました。見たことのない顔でした。叫ぶのを抑えているようにも見えました。やはり、絶叫したのは西野プロデューサーだった。しかし、なぜ。疑問が膨らみました。
 西野プロデューサーがうずくまっていたコンクリートの地面に、じわじわと血が拡がっていきました。うあ、とお客さんから声が上がりました。パシャパシャとシャッター音が聞こえる一方、目を閉じて顔を背けるお客さんもいました。
 視界の隅に動くものがありました。そちらに目を向けると、ぼんやり白い外灯の下、体格のいい覆面の男が駆けていくのが視界の隅に見えました。血を浴びていました。おぼろげながら見えていた事件の全体像がようやく浮かび上がってきました。
 メンバーやイベントスタッフたちが西野プロデューサーのもとへ駆けつけていく中、私はその場から動くことができませんでした。宙ぶらりんになっていた音楽が止まると、その場の非日常性がもぞもぞと動きはじめました。
 ステージを観に集まっていたお客さんの中には、失神する方もいました。誰かが、「救急車! 救急車!」と叫んでいました。
 一〇分と経たずにサイレンが近づいてきました。

 その間ずっと、私だけステージに佇んでいました。そんな私に声をかける人はいませんでした。あのときの私は冷たく硬く凍っていました。心の底まで冷気が立ち込めて、なにも感じられなくなっていたのです。
 動くきっかけとなったのは、「未和ちゃん。こっちにおいで」とメンバーの多田加奈子に声をかけられたときでした。涙が流れそうなくらい安堵しました。多くのスマホのカメラがある状況を思い出し、涙を咽喉の奥に呑み込んで、「ありがとう」と返事をしたことを覚えています。加奈子の温かい手に引かれて、控用のテントの出入り口前に移動しました。
 そのときには、すでに到着していた救急車に西野茉奈プロデューサーが運び込まれていました。控用のテントの出入り口には、血溜まりができていました。
「ひどい。こんなに血が。ずっと身体の中を流れていたのに」
 加奈子は、救急車のほうに目を走らせました。
「きっと、助かる。病院なら輸血もできるし、医療体制も整ってる」
 加奈子は、同意を求めるような目を向けてきました。私は、それに対して即答できず、あやふやに目を逸らしました。
「すごい血の量なのが、心配だけど。でも、西野プロデューサーは、さっきまでふつうに生きていたんだし」
 どっちつかずの返答をした私に、加奈子の目が大きく開きました。力のこもった目でした。
「だって、ニジアメから西野プロデューサーがいなくなったら、どうなるの? 今のグループは、わたしたちだけでやっていけるの?」
「そりゃ、そう思うよ。私だって、西野プロデューサーのこと、心配してる」
「大丈夫。わたしたちを残しては逝かないよ」
 加奈子の声はどこか狂信的に思えました。信念があれば、生死さえも左右できると確信しているように。
 私が小さくうなずくと、取って付けたように「強くいっちゃって、悪かった」と加奈子は振り向かずにいいました。その強気な発声には、謝罪の含意はありませんでした。私は慌てて、テントの中へ入ろうとする加奈子の背中に声を飛ばしました。
「いや、違うよ。加奈子のが、正しい。私のほうが、ごめん」
 私は、再度、「ホント、ごめん」と小声でいいました。加奈子は一度だけ私に目を向け、そのままテントの中へ入っていきました。そのとき、加奈子が涙を堪えているのがわかりました。
 私は、血溜まりを視界の外へ追いやり、控用のテントの中へ入ろうとしました。
 そのとき、背後で爆音がしました。咄嗟に振りかえると、花火が上がっていました。もともとニジアメのパフォーマンスのあとに花火を打ちあげる計画だったので、計画通りに打ちあがった花火でした。
 大きな花火の下を一台の救急車が走り去っていきました。
 西野プロデューサーを乗せた救急車の背中が寂しそうに見えました。その光景を見たとき、私は、正直、胸が苦しくなりました。
 その光景を今でも思い出すことができます。子供の泣き声のような救急車の音が私の耳に染みついています。あの日、私の所属する『虹色に光る雨』通称ニジアメのプロデューサーを担当していた女性――西野プロデューサーが刺されました。

「黒い帽子を被っていたよ。あれ、なんていうの。目出し帽?」
「だと思う。返り血がやばかったから、すぐ捕まるかな」
 控用のテントの中、内緒話をするような声で、メンバーの神崎由美と佐藤杏奈が話していました。もともと由美は神妙に黙っていましたが、杏奈が話しかけると、話そうとする欲求を抑えられなくなったようでした。
「サイズの大きなコートだったよね。あれを脱ぎ捨てて、目出し帽も取ってしまえば、犯人は、群衆に紛れてしまうかも。こわい、こわい」
 由美は、ちらちら周りを窺ってから、隣の私を見ました。二人だけで話すのがきまり悪く、仲間を増やしたかったのでしょうか。俯いている私の顔を覗き込んできました。
「犯人のこわい風貌、未和も見たでしょ?」
 身体を前のめりにして杏奈も私を見ました。杏奈と由美の視線が私に刺さりました。話す気分ではなかった私は、吐こうとした息を呑み込みました。自然と姿勢がよくなり、短く答えました。
「目出し帽のせいで顔は見えなかったけど、大きな体格だったのは見えた」
 私も、返り血を浴びた犯人の姿を見ていました。夜とはいえステージ周辺はライトアップされていたので、よく見えました。衆人環視の中で西野プロデューサーを刺した犯人の男は、グレーの目出し帽に紺色のコートを着ていました。
「そういえば、なんで未和、ステージから離れなかったの。バチバチ撮られてたよ」
 私を仲間だと勘違いしたのか、杏奈の声は大きくなっていました。メンバーもスタッフもスマホに目を落とすテントの中で、杏奈の丸い目は私を覗き込んでいました。
「怖かったから。足が竦んでいたんだと思う。それで、みんなについていけなかった」
「うちは、逆に、怖すぎて、みんなについていった。西野プロデューサー、どうなったんだろ。それに、犯人も」
 軽っぽい杏奈の言葉に、テントの中にいる数人が顔を上げました。西野プロデューサーの生死に関することが禁句のような空気でした。それに気づく様子もなく、杏奈の小さくて丸い口からは、しきりに犯人の話題が飛び出しました。
 ずっと俯いていると、ついに杏奈にも、私は話したい気分ではないと伝わったようでした。白いテントの中のパイプ椅子に派手な衣装のまま座っていると、私は、ゆるゆるぽんぽんさんのDMを思い出しました。スマホをひらくと、同じメッセージが表示されていました。
『今まで、ありがとうございました』
 ゆるゆるぽんぽんさんが、どんなつもりで『今まで、ありがとうございました』とDMを送ったのか、不可解でした。たまに誹謗中傷や冷やかしのDMが届きましたが、ゆるゆるぽんぽんさんはその類ではないと思っていました。
「ねえ、みんな。提案があるの。西野プロデューサーの搬送された病院へ行かない?」
 しばらくしてテントの中で、加奈子が、力のこもった声で申し出ました。パイプ椅子から立ち上がっていました。
 その申し出にはメンバーたちから賛成の意見が出ました――私も賛成しました――が、ニジアメのスタッフに止められました。翌朝からスケジュールが入っていたので、ニジアメのメンバーたちを休ませようとする意図でした。
 私たちは、スタッフの言い分に応じました。
 すぐ警察官からの事情聴取が始まり、それが終わると解散になりました。ニジアメのメンバーは誰も、西野プロデューサーが刺される瞬間を目撃していなかったので、長時間の拘束はありませんでした。西野プロデューサーが刺される事件の一部始終を見ていたのは、数人のお客さんだけだったようです。
 巡回していたパトカーに犯人の男は確保されたと警察官の男性が教えてくれました。ニュース速報でも流れました。そのため、帰路につくことができました。

 私は、タクシーで自宅まで向かいました。事務所が行き帰りの交通費を負担してくれていたので、自己負担はゼロでした。
 タクシーに揺られる間、私の頭にあったのは、体格のいい犯人の姿と、西野プロデューサーの生死への不安と、ゆるゆるぽんぽんさんのDMでした。
 ゆるゆるぽんぽんさんとはDMでしかやり取りをしていない実状について、私は考えました。よく考えると、ゆるゆるぽんぽんさんと直に対面したことはない。twitterのDMでしかやり取りしていないから、ゆるゆるぽんぽんさんが高校生の女の子とも限らないのではないか。
 『今まで、ありがとうございました』とのDMが犯行声明のように思えてきました。いままでありがとう、そして、さようなら、いまから殺しに行くよ――といったような。
「ここらへんで通り魔が起きたんだってねぇ、お姉さん」
 フロントガラスを見つめたままの白髪のタクシー運転手でした。
「物騒な時代になったもんだよ。こう見えて、うちも恐ろしい商売なんだ。うちのタクシーも何度か強盗に襲われたことがあるんだよねぇ。お姉ぇさんも気ぃつけなよ」
 そうなんですか、と適当に返答しながら、私は、ゆるゆるぽんぽんさんへの疑惑が間違っていることに気が付きました。
 たしかに、直に対面したことはない。しかし、ゆるゆるぽんぽんさんは〇〇高校に在学中だとtwitterの自己紹介欄に記入していたし、実際、ゆるゆるぽんぽんさんのtwitterのフォロワーには同高校の生徒のアカウントがたくさんありました。ゆるゆるぽんぽんさんのアカウントには、本人の顔写真もたびたび投稿されていました。偽装だとは思えません。
 私は、妄想的な思考を恥じました。と同時に、ゆるゆるぽんぽんさんの細かい情報を入手済みの自分の慎重さについて振りかえるにつけ、どこかで最悪の事態を想定しているのかもしれないと思いました。タクシー運転手のいう通り、気を付けるべき時代なのかもしれない。
 ともかく、なにか事情があって『今まで、ありがとうございました』とDMを送ったのだろう。それ以上ゆるゆるぽんぽんさんに深入りはしないと私は決めました。
 自宅から少し離れた公園の前にタクシーを停め、そこから歩きました。イヤホンで耳を塞ぎ、音楽を聴きながら。

 家族と同居している自宅に着くと、シャワーと夕食を軽く済ませました。テレビのニュース速報で流れたので、家族はすでに西野プロデューサーの事件を知っていました。衆人環視の中でおこなわれた刺傷事件であり、しかも、その被害者がテレビでも有名なカリスマプロデューサーだったのだから、かなりセンセーショナルでした。
 西野プロデューサーとは家族ぐるみの付き合いがあったので、家族はみな、ひどく心配していました。「まだ連絡はない。西野プロデューサーはいま病院にいる」とはっきりと伝えました。家の中が灰色のように鬱々としていました。
 もともとは、大阪府のマンションの賃貸物件に家族と同居していました。家族とともに現在の一軒家に転居したのは、私が府内の大学を卒業したあとでした。
 大学を卒業したあと、私は、かねてより夢だったアイドルになるためのオーディションを受けました。五つ受けたオーディションのうちの一つに合格しました。事務所への入所に伴い上京するとき、母が都内の建売住宅を購入しました。その一軒家に、家族と転居したのです。映像関係の仕事をしている母と兄の都合もありました。
 その母と、主夫の父、会社員の兄と、高校生の妹と、私の、五人家族です。
 部屋着になった私は、暗い表情の家族をリビングに残して、二階の隅の自室に行きました。身体が重たかったので、真っ先に、ベッドに横になりました。なにをすればいいかわかりませんでした。無意識にYoutubeをひらいていました。
 本音では、西野プロデューサーの搬送された病院へ行きたい気持ちでした。それなのに、スタッフの言い分に反発しなかったのはなぜだろう、と後悔しました。
 私は、緊急治療室の外で待っているような心地でした。少しも落ち着きませんでした。Youtubeで西野プロデューサーが出演しているニジアメのドキュメンタリーを見ていました。その途中、頻繁にネットのトップニュースをひらいて、西野プロデューサーについての続報がないか確認しました。
 夜中の一一時ごろ、ニジアメのメンバーとスタッフが所属するLINEグループに、ついにスタッフから続報が届きました。
『西野真奈さんが息を引き取られました。ご冥福を』
 あまりに呆気なく、その報せは届きました。そのLINEメッセージで、私ははじめて西野プロデューサーの死を知りました。疑いたい気持ちでした。自室のベッドに横になっていた私は起き上がり、ステージにいたときと同じように、しばらく自室で独り佇んでいました。
 西野プロデューサーは、ニジアメのメンバーやニジアメに携わるスタッフにとって偉大な存在でした。胸にぽかんと穴が空いたような悲しさに襲われました。
 そのとき私の頬を涙が流れました。しかし、その涙は、1ビットの情報にすらならなかったのです。
『未和ちゃんの動画、バズってる』
 日を跨がないうちに、事務所の先輩にあたる多田加奈子から、LINEメッセージが届きました。
 嫌な予感しかしませんでした。気が重くなりながら添付されたURLをクリックすると、twitterの投稿に飛びました。それは、すでに一〇〇〇リツイートもされていました。
 次のようなコメントが載った投稿でした。
『プロデューサーが刺されたときの、青谷未和。ステージに佇んだまま。なんで、プロデューサーのとこ、いかないの? やっぱ、サイコパス度、高め?』
 その投稿には動画が添付されていました。その動画は、同日の午後八時ごろ、西野プロデューサーの刺殺事件が発生したときに都内のイベントステージに佇んでいた私の姿を撮ったものでした。
『すぐ目に入るだろうから、伝えとこうと思って。でも、気にしちゃダメだよ。なにも知らない人たちがぐちゃぐちゃいってるだけ』
『気にしないよ。もう、サイコパスっていわれるの、慣れた』
 事務所の先輩相手でも、メンバーの間ではタメ口を使う決まりで、LINEでもタメ口でした。
『慣れちゃったの? ホントに無理しないで。冗談抜きで、相談してね』
 加奈子とのやり取りでは慣れたといいましたが、実際には慣れていませんでした。私は人に頼るのが苦手な性格で、はぐらかしがちでした。
 サイコパス、フランス人形、ロボット。そう呼ばれる自分の姿を想像しては、日々、憂鬱になりました。私には人間味が足りないようで、ミステリアスとの評価が多くありました。人間としての私も伝えたい気持ちでした。
 西野プロデューサーの死はすでにネットニュース速報になっていました。私は少しでも自分の気持ちを伝えたくて、その夜、twitterにメッセージを投稿したのです。
『西野プロデューサーは、私にとってもメンバーにとっても大切な存在でした。ご冥福をお祈り申し上げます』
 その投稿は、炎上しました。『祈る前に、駆けつけてやれ』、『火消し感が、ハンパない』、『文面がサイコパスっぽい』などのコメントが寄せられたのです。スタッフから削除要請が入ったので、ただちに投稿を削除しました。
 私は、その反応を無視しようとベッドに入り、室内灯を消しました。頭の片隅に、ゆるゆるぽんぽんさんからの『今まで、ありがとうございました』とのDMが、絶交のメッセージとして佇んでいました。そのDMを無理やり頭の外へ押し出そうと、もがいていました。

     二

 翌朝のワイドショーでは、軒並み、西野プロデューサーの刺殺事件について報じていました。Youtubeにも、関連の動画があふれていました。twitterにも、『怖い』、『ご冥福を』などのコメントが多くありました。私の家族はみな、西野プロデューサーの死について口をひらけませんでした。
 あるテレビのワイドショーでは、事件発生時の状況を再現していました。それによると、事件直前、犯人の男はステージ脇にいた西野プロデューサーの背後から近づきました。背後から西野プロデューサーの顔にタオルを巻くと、刃渡り二〇センチのサバイバルナイフで西野プロデューサーの腹部を三度、刺しました。
 西野プロデューサーはステージを向いていたので、犯人の男が近づいてくるのに気づけませんでした。ステージの周りには警備員がいましたが、西野プロデューサーのいたステージ脇にはいませんでした。
 犯人の男が西野プロデューサーの顔にタオルを巻いたのは、西野プロデューサーの口を塞ぐためだったとする説がありました。
 西野プロデューサーは刺されている間、犯人の男にタオルで口を押さえられていました。そのため、声を上げたのは、犯人が遠ざかったあとでした。私が見たときには、すでに犯人の男は駆け出していました。
 西野プロデューサーの腹部にナイフを刺したままで、駆け出しています。事件現場から五〇メートルほど離れた場所で、犯人の男は、羽織っていたコートと目出し帽を捨てました。コートと目出し帽に返り血を浴びたので、それらを脱げば、見た目上は見分けがつきませんでした。何食わぬ顔で自宅へ歩きましたが、巡回していたパトカーに職質を受け、そのときに犯行を自供しました。
 犯人の男は西野プロデューサーと三年前まで交際関係にあったと自供していました。男女関係が破綻した原因を西野プロデューサーに押し付け、一方的に恨んでいた可能性が高い。そう語るコメンテーターが多くいました。
 怨恨で人を殺す人がいるんだ、と私は気づきました。当たり前ですが、それまで実感していませんでした。コメンテーターたちも実感していなかったと思います。西野プロデューサーの事件は、身近な人にとっては衝撃でした。私たちは、目出し帽を被った犯人の男の姿を見ていたのですから。
その朝、同期の杏奈からLINEメッセージが届きました。
『何度か男の人を振った経験があるんだけど テレビで報じると影響される人とかいるじゃん へんに想像すると怖い』
 杏奈は人に頼るのが得意なタイプでした。私の存在を頼れる同期だと考えていたようで、日々、気軽にLINEメッセージを送ってきました。
『私も、同じだよ。いつ殺されてもおかしくないくらい、twitterが荒れてる』
 それだけ、返信しました。西野プロデューサーの刺殺事件のときに私がステージ上に佇んでいた動画は、翌朝までの間に、さらに拡散しました。一万リツイートを超えていました。私の公式twitterアカウントには、私を批判するコメントはもちろん、誹謗中傷のコメントもいくつか寄せられていました。twitterのDMも、荒れていました。
 私は、ファンからの温かいDMにだけ目を通し、返信しました。いちいち気にしたら務まりませんでした。完全なスルーはできませんでしたが、なるだけ、ポジティブなコメントだけ吸収するように心がけました。
 DMの返信をしていると、また、杏奈からメッセージが届きました。
『ごめん それ考えてなかった いま炎上してたんだよね 未和のほうが怖いと思う』
 私は、スタンプを返そうとしましたが、やめました。代わりに、『炎上には慣れてるから、問題なし』と返信しました。
 私のミステリアスな雰囲気は反感を買いやすく、些末な行動や発言でよく炎上していました。
 炎上のたびに少なからずショックを受けましたが、表に出さない性格でした。私のポリシーでもありました。それも、ミステリアスに見える一因だったのかもしれません。

 西野プロデューサーが亡くなった数日あと、ゆるゆるぽんぽんさんからDMが届きました。意外でした。正月イベントの日に不意に送られた『今まで、ありがとうございました』とのDMを、私は絶交の報せだと解釈していました。しかし、その解釈は間違いのようでした。
 ほっとしました。
 ゆるゆるぽんぽんさんから新しく届いたDMを、自室のベッドで読みました。ゆるゆるぽんぽんさんは長文のDMの冒頭で、『申し訳ありませんでした』と謝罪しました。
 続いて、『今まで、ありがとうございました』とのDMを送った経緯について、詳説しました。その説明によれば、ゆるゆるぽんぽんさんは自分が死ぬ可能性を考えたといいます。そのため、死ぬ前に感謝を伝えようと『今まで、ありがとうございました』とDMを送ったのでした。
 なぜ、自分が死ぬと考えたのか。ゆるゆるぽんぽんさんは次のように説明しました。
『個人的な事情ですが、昨年の一〇月から脅迫されています。誰に脅迫されているか、わかりません。ひどい言葉を書かれた紙がよく通学用のカバンの中に入っています。同じような紙が机の引き出しの中に入っている日もありました。ホントに誰がやってるか、わかりません』
 ゆるゆるぽんぽんさんによれば、私に『今まで、ありがとうございました』とDMを送った日――冬休み明けの高校の通学日、ゆるゆるぽんぽんさんの通学用のカバンには『今日、殺す』とのルーズリーフの切れ端が入っていたようです。その言葉を見て、ゆるゆるぽんぽんさんは死を予感したのでした。
『そのほかの言葉は、どの程度のひどさでしたか?』と私がDMを送ると、『ホントにひどい言葉なので、未和さんには言いたくありません』と返ってきました。
『たとえば、ゆるゆるぽんぽんさんに危害を加えるのを予告するような言葉はありませんでしたか』
 紙に書かれた言葉が脅迫にあたれば、警察に相談できるはずでした。『今日、殺す』との言葉は明らかに脅迫でした。同じような類の紙が何度も送られていれば、警察も動くはずです。
『解釈の仕方にもよると思います。でも、少なくとも、わたしは本気の殺意だと感じるし、脅迫にあたると考えます』
 ゆるゆるぽんぽんさんは、それをおふざけの類とは考えていませんでした。関東郊外のその高校は、穏やかで、友好的な雰囲気だといいます。クラスの雰囲気も良好でした。いじめが発生するクラスではないとゆるゆるぽんぽんさんは感じていました。
 実際、ゆるゆるぽんぽんさんは、いじめと考えていませんでした。
『いじめは、その定義上、強い者が弱い者に苦痛を与える行為です。その定義にしたがえば、わたしはいじめの対象にはなりえません』
 ゆるゆるぽんぽんさんは、いわゆる強い生徒でした。この場合の強い生徒とは、クラスの中に仲間が多くいる生徒を意味します。私は、ゆるゆるぽんぽんさんのtwitterアカウントに投稿されたプリクラや友達との写真を思い出しました。強い生徒との説明に納得できました。
 一方で、高校生のときの私は、いわゆる弱い生徒でした。当時の感覚を想起すると、強い生徒に手を出すのはたしかに自殺行為でした。
 だからこそ、犯人は匿名で侮辱行為に及んでいたのでしょう。
『わたしには友達がたくさんいるし、ちゃんと信頼しあっています。だから、こんなことでショックを受けたり、疑心暗鬼になったりはしません。今回の件には無視を徹底していました。友達には相談もしていませんでした』
 ゆるゆるぽんぽんさんは、この件を辛く感じるのではなく、怖く感じていたようです。
『殴り書きされた文字を読むと、ぞわぞわしました。その文字を書いた人は本気の殺意を持っているって、じわじわと伝わってくるんです』
 無理はないと思いました。ひどい言葉が書かれた紙を匿名でカバンに入れるとは、かなり陰湿です。おふざけの延長にある行為とは意味合いが違う気がします。
 たしかに殺意かもしれません。私は偶然にも殺意を目の当たりにしたばかりだったので、少なからず動揺しました。他人事にはできませんでした。
 怨恨で人を殺す人がいる。その事実を誰よりも身近に感じていました。
『証拠を残しておくといいと思います』とDMを送りました。証拠がないと警察は動きません。今後、悪化する可能性もありました。悪質なストーカーに発展するかもしれませんでした。
 ゆるゆるぽんぽんさんは、『全部、紙は保存してます』と答えました。ならばと、私はゆるゆるぽんぽんさんに警察に相談するよう勧めました。ひとまず、ひどい言葉の書かれた紙を警察へ持っていく。私の提案を受けいれたゆるゆるぽんぽんさんでしたが、『警察に相談しても、結局、犯人はわからないですよね』と不安を吐露しました。
『犯人には、少しも心当たりはないのですか』とDMを送ると、『まったくありません』と返信が来ました。
『これっぽっちも、です。もちろん、私を嫌いな人は大勢いると思います。私にはわからないけど、私に殺意を抱く人もいるのかもしれません。いろいろ考えると悪い方向ばかりに行きます。考えないようにするしかないです』
 殺意は身近に存在する感情でした。その殺意が具体的な犯意へと増幅するには、強い恨み――遺恨とでもいうのでしょうか――が必要でした。
 ゆるゆるぽんぽんさんの場合、犯人はすでにひどい言葉を用いてゆるゆるぽんぽんさんを脅す犯行に及んでいました。その背景には、遺恨があるのかもしれません。
 ゆるゆるぽんぽんさんとのやり取りを終えてから、私は考えました。私のtwitterの公式アカウントにくる批判コメントや誹謗中傷の背景にも、遺恨があるのだろうか。暇潰しだろうと想像していましたが、そうとも限らないのかもしれません。
 私もゆるゆるぽんぽんさんと同じ状況かもしれないと思うと、ぞくりとしました。
 かりに出会った人の一割から遺恨を抱かれるなら、私に遺恨を抱く人は多くいるはずでした。私は、アイドルユーチューバーとして主にYoutubeを通して不特定多数と出会っていました。私に友好的な人ばかりではないはずです。
 ニジアメの公式Youtubeチャンネルのすべての動画は、一定のバッドグッドをつけられます。グッドのほうが圧倒的に多いのは事実ですが、バッドグッドも途絶えません。気に入らない、頭に来る、ムカつく、殺してやりたい――バッドグッドの向こうにある遺恨を私は想像しました。
 バッドグッド――低評価をする一定の人たち――の私怨が具体的な犯意に増幅しまいだろうか。
 私は、その日、『有名人 殺害事件』でググりました。すると、いちばん上に『殺害された有名人・殺人事件に巻き込まれた芸能人まとめ』というNAVERのまとめ記事がありました。それをクリックすると、最初に取り上げられていたのは、ジョン・レノンでした。
 ジョン・レノン殺害事件。ビートルズのメンバー、ジョン・レノンが一九八〇年一二月八日にアメリカ・ニューヨーク市内で射殺された事件。犯人はチャップマンという男。自宅に帰宅したジョン・レノンに声をかけ、直後に発砲。拳銃で五発。ジョン・レノンは出血多量により死亡した。
 私は、Safariを閉じ、それ以上調べるのをやめました。その翌日から私は、街中で声をかけられるたびに、チャップマンを思い出すようになりました。

     三
 
 西野プロデューサーが亡くなったあと、ニジアメのプロデューサーになったのは、それまでニジアメのスタッフだった女性でした。尾山正美プロデューサーです。ほっそりしていた西野プロデューサーとは違って、ふくよかな女性でした。
 尾山プロデューサーの就任を喜んだのは、主に第一期のメンバーでした。
 ニジアメには第一期のメンバーと第二期のメンバーがいます。どちらも同時にニジアメとしてデビューしましたが、事務所に入所したときのオーディションが違いました。私は第二期のメンバーで、神崎由美や佐藤杏奈も第二期のメンバーでした。一方で、多田加奈子は第一期のメンバーでした。
 尾山プロデューサーは第一期のメンバーのスタッフとして配属されていたので、尾山プロデューサーの就任を喜んだのは、主に第一期のメンバーでした。
第二期のメンバーとしては、尾山プロデューサーがトップに就くのは嫌でもないが違和感があったようです。杏奈がよく尾山プロデューサーの就任を愚痴っていました。
 私は、どちらかというと中立的な立場でした。
 ニジアメは、もともとカリスマ的な西野プロデューサーのもとに結束しているグループでした。西野プロデューサーがいなくなれば、第一期のメンバーと第二期のメンバーをつなぐ橋がなくなります。実際、なくなりました。西野プロデューサーが亡くなったあと、第一期のメンバーと第二期のメンバーとの間に溝ができました。
 尾山プロデューサーはその溝を埋めるだけのリーダーシップを持っていませんでした。表立って衝突する空気ではありませんでしたが、ニジアメのメンバー間には、不穏さが常に漂っていました。
 第一期のメンバーと第二期のメンバーは、あまり仲良くなかったのです。その事実が西野プロデューサーの死で浮き彫りになりました。べつべつのオーディションで入所し、べつべつのレッスンで鍛えられてきた第一期と第二期です。
 その中でも、私は第一期のメンバーである加奈子と仲がよかったです。私と加奈子が橋渡しの役を担ってくれればいい、と尾山プロデューサーは期待していたかもしれません。ニジアメが結束するためには、私と加奈子のつながりが大切でした。
 しかし、その肝心の加奈子は一月も終わらないうちにカメラの前に立てなくなりました。
 一月中旬のYoutubeの撮影のときでした。都内の専用スタジオで、カメラの前に並んでオープニングを撮ろうとしていたとき、加奈子が、カメラのレンズの前に移動できませんでした。
 私が声をかけると、「レンズの向こうにたくさんの人が見える。その人たちが殺そうとしてくるの」と妄想じみた言葉を吐き、肩を震わせました。その日、加奈子はカメラのレンズの前に移動できず、以来、カメラのレンズの前や衆人の前に立てなくなりました。サイン書きくらいの活動にしか参加できませんでした。一月末には、加奈子が芸能活動を休止する事態となりました。
 しっかりしているように見える加奈子も、西野プロデューサーの事件が胸の底に沈殿していたのです。

 平成三一年の一月末、私は、自宅療養していた加奈子のもとへ訪れました。加奈子が一人暮らしする部屋のリビングで、昼のニュース番組を見ながら、軽く雑談しました。私はなんでも聞くつもりでしたが、加奈子は、いつものように弱音を吐きませんでした。逆に、私にアドバイスをくれたくらいです。
「どうして、よく炎上するのか、自分でわかってる?」
「ロボットみたいにぎこちない動きをするからじゃないかな」
 答えてから、加奈子が淹れてくれた温かいお茶をすすりました。「おいしいね。濃厚な味がする」と素直な感想をいうと、加奈子は、待ってましたとばかりにうなずいた。
「お気に入りの茶葉なの。それで、わかってるの、頻繁に炎上する原因について。ロボットみたいとか、サイコパスみたいとかじゃなくて、もっと改善可能なところでさ」
 お茶をすすろうと湯飲みに近づけた口で短く、
「考えてはいるんだけど、正直、わからなかったりする」
 と、私は白旗を上げ、また温かいお茶を口に含みました。じんわりと口内が温かくなり、少しだけ痺れたような感覚がしました。加奈子とふたりきりでゆったりする時間は、デビューしてからはじめてでした。私は、どこか照れくさく、その感情も含めてその場を愉しんでいました。
「教えてあげようか、みたいな上から目線は嫌なんだけど、さ」
 加奈子は、テレビ画面を見つめていましたが、テレビの内容には興味なさそうな目でした。テレビを鏡面にして互いに向きあっているような気分でした。
「ひとつ教えておきたいことがあって。それ、ちょっと、聞いてくれる?」
「うん。加奈子のいうことは、だいたいあたってるから、聞いておきたい。それに、悩んでいる問題でもあるんだ」
 何事もないかのように私がさらりというと、加奈子は、「素直になるのに時間がかかるんだね」と口の端で笑いました。
「でも、憎めないんだよね。未和ちゃん、かわいい妹みたいだもん。素直にならないで強がっちゃうの、わたしもわかる」
「かわいい妹って、基本、強がらないでしょ」
 淡々と指摘すると、加奈子はテレビを見たまま笑いました。
「かわいい妹にもいろんなタイプがあるものだよ。っていうか、さっきから、このニュース、つまんない」
 テレビでは、徴用工問題による日韓関係の悪化について報じていました。政治のニュースは何をいってるかわからない。
 私はリモコンをたぐりよせて、「かえるね」と許可を取ると、べつのチャンネルにかえました。お昼のニュース・バラエティー番組の『バイキング』でした。よく見知った有名人たちのキャスティングは、視聴者の心をつかむのに十分でした。
「それでね、わたしが思うに、未和ちゃんって、ホントはとても優しいし、人並みにちゃんとしてる。それが、あんまり画面を通して伝わってないんだよ。未和ちゃんがどんな人か伝わってないから、炎上するわけ。わからない状態から、わかる状態へ変えていかないと、これからもたぶん、炎上する」
 その指摘は一理あると思いました。私も、それくらい考えていました。
「でもさ、青谷未和はミステリアス路線で行くってのが、事務所の戦略でしょう。ただ地味だっただけの高校生活も、孤立して心が痛んでましたみたいな脚色をして各媒体に流してるわけだし」
 ミステリアス路線でいこうと決めたのは、西野プロデューサーでした。
「炎上もある意味、想定内の売り方のように思うけど」
「どうするかはスタッフと相談すればいいよ。でも、いままさに、考えるべきときじゃないかと思う。ミステリアスな魅力はあっても、炎上ばかりした挙句、誰かに殺されたとしたら笑えないから」
 加奈子が、私のほうに真っすぐ目を向けました。私たちの間では、『殺す』という言葉が現実感をまとっていました。加奈子の真っすぐな目を受けた私は、「そうだね」と頬に力を入れました。
「考えとく。人が人を殺すってことが現実的な問題になっちゃったし」
 加奈子は、納得するように口もとにぎゅっと力を入れて、テレビのほうへ向きなおりました。そのとき『バイキング』では、児童虐待死事件について取り上げていました。
「この子、殺されちゃったんだよね。なんで、助けてあげられなかったんだろう」
 つぶやいたかと思うと、途端、加奈子の目が揺れました。ふらふらと迷ったように揺れてから、すばやく目を伏せました。視界の隅にいる私に向けて「ごめん。消して」とつぶやきました。私は、なんだかわからないまま、リモコンに手を伸ばし、赤い電源ボタンを押しました。
 加奈子が、幼少時に両親から虐待されていたと打ち明けたのは、そのときでした。
「包丁の刃先を向けられて、刺すぞって言われた日もあった。西野プロデューサーの事件で、当時の記憶を思い出したんだ。そのせいで、カメラの前に立てなくなった。誰にも言わないでよ」
 加奈子の活動休止の理由は、心身の不調のためと公式に説明されていました。ネット上ではさまざまな憶測が飛びかっていました。加奈子が幼少時に虐待されていた事実は公になっていませんでした。
 あのとき、なにを言えばよかったのか。加奈子がカメラの前に立てない理由を打ち明ける中、私は、ただ、曖昧な返事を繰りかえすだけでした。加奈子を勇気づけられればいいと訪れたのに、なにもできなかったに等しかったのです。
 私はそれまでニュースを見て、心が動揺する経験はありませんでした。西野プロデューサーの事件以来、殺人事件のニュースに敏感になったのがはじめてです。加奈子の心中がわかる気もする一方、わかってはいけないとも感じました。私は加奈子から炎上に関するアドバイスをもらっただけ、なにも与えられませんでした。
 後日、私は加奈子からのアドバイスを受け、尾山プロデューサーに対して、私がゲームオタクである事実をtwitterで公開するのはどうかと提案しました。ふくよかな尾山プロデューサーからは「自分のよさを理解してないの?」とだけ言われ、その提案はすぐさま却下されました。
 
 一月末には、ゆるゆるぽんぽんさんから再度DMが届きました。『警察に相談したのですが、継続的に証拠を集めてくださいといわれただけでした』との報告でした。どこかで、そうなる気はしていました。
 ゆるゆるぽんぽんさんが陥っていたのは、通学用カバンにひどい言葉が書かれた紙が入っているだけの状況でした。警察には、もっと深刻な相談が多くあるはずでした。
『まだ続いていますか』と問うと、『変わってないです』とゆるゆるぽんぽんさんは答えました。
『だいたい、ルーズリーフの端っこを破った紙に、ひどい言葉が書かれています。その内容も変わってないです。こんな地味な嫌がらせをずっと続けるくらいだから、相当に、わたしが気に入らないのだと思います』
『カバンは、いつもロッカーですか』
『ロッカーと言っても、仕切りがあるだけの一面が空いた箱なので、誰でも触れます。休み時間はできるだけわたしのカバンを監視しているんですが、ずっと教室にいるわけじゃないので。わたしがいなくなった隙を見計らって、カバンに紙を入れているんだと思います』
 私は、ゆるゆるぽんぽんさんの力になりたいと思いました。ひとまず、証拠集めを継続していく。大きな動きがあったら、すぐ警察に行く。まだ実害はないので、焦らないようにする。この三つを、ゆるゆるぽんぽんさんに勧めました。
 そのうえで、友達に相談するのはどうかと提案しました。ゆるゆるぽんぽんさんが陥っている状況を友達に伝え、ゆるゆるぽんぽんさんの通学用カバンを数人体制で監視する。その体制ができれば、犯人の特定に辿りつくかもしれませんでした。ゆるゆるぽんぽんさんは、その提案を受けいれました。
 しかし、その数日後、『やっぱり、友達には相談できなかったです』とDMが届きました。自尊心が傷つくからだとゆるゆるぽんぽんさんは言いました。私も数年前まで高校生だったので、わからなくもありませんでした。
 ゆるゆるぽんぽんさんへの匿名の嫌がらせは、毎日のように続きました。
一方で、私のtwitterの公式アカウントにも、毎日のようにひどい言葉が届きました。『氏ねばいいのに』、『視界に入ると、吐き気がする』、『キモすぎる』、『この人、邪魔だから、ニジアメから消えてくれ。世界からも消えてくれ』など。どのような恨みがあるのか、わかりませんでした。
 私は、ひどいコメントをするtwitterアカウントをブロックすることにしました。あからさまな誹謗中傷をしていた二〇ほどのアカウントをブロックした日から、ひどいコメントが目に入らなくなりました。若干、驚きました。たった二〇ほどのアカウントが私を誹謗中傷していただけなのか。
 しかし、西野プロデューサー殺害事件のときステージ上に佇んでいた私の動画は、一万リツイートされていました。誹謗中傷とは言えないまでも、『サイコパス』、『フランス人形』、『ロボット』などの書き込みは依然に多くありました。
 誰の心にもある恨み。それが一部の人の行動で示されているのか。考えていくと、そもそも私にファンはいるのかと気になりました。
 西野プロデューサー殺害事件のとき、ステージ上に佇んでいた私の様子をスマホで録画していたお客さんは何人かいました。あの会場にも、バッドグッドの評価をするお客さんがいた事実を示します。
 周りには、私にバッドグッドの評価をする人たちがたくさんいます。私にグッドやハートを送ってくれる人たちでさえ、私を全肯定しているとは限りませんでした。バッドグッドの評価をする人たちの恨みが、グッドやハートを送ってくれる人たちの心にもあるのではないか。多少なりとも、誰もが私を恨んでいるのではないか。
 私がtwitterでつぶやくたびに、『いいね』がたくさんやってきます。その『いいね』にはどんな意味があるのか。なんだか気に入らないが、あの有名なアイドルユーチューバーが言ってるんなら正しいだろう。よし、『いいね』を押しとこう――その程度なのではないか。
 さすがに考えすぎだとは思いながら、私は、公式twitterでの投稿に慎重になっていきました。少しでも恨まれないように。

 しかし、恨まれなくても殺される可能性はありました。ジョン・レノンを射殺したチャップマンは、「有名になりたくて殺した」と供述しています。
調べなければいいとは思いながらも、私は、Youtubeで『ジョン・レノン殺害事件』と検索していました。すると、一九八〇年一二月九日当時のジョン・レノンの死を伝えるニュース音声がありました。それを聴いているうちに、犯人はそのニュースこそが目的だったのではと思えてきました。
 有名人を殺せば、自分が有名になれるのは間違いありません。恨んでいなくても殺害の動機はあるのです。それは防ぎようがありません。それを防ぐには、有名人を辞めるしかありませんでした。
 当時のニュース音声によれば、ジョン・レノンがサイン書きを断ったためにチャップマンに殺されたとする説があるそうでした。街中でサインを求めれたとき、私は、断れなくなりました。サインを断って恨まれでもしたら、最悪、殺されかねないのです。
 もともと有名人であるだけに殺すインセンティブが高まっているうえ、恨みを買ったら、さらに殺意を増幅しかねません。
 私は有名であるだけに殺される確率が高くなっている事実を知りました。そのうえ、それとはべつに、私を恨んでいる人も多くいる事実を再度、確認しなければいけませんでした。
 ニジアメの動画の中で私の出演する動画は、毎度、きまってバッドグッドが多くなります。Youtubeのバッドグッドは、親指を下に向けた手の形をしています。言うまでもなく、それは一般的な意味において『死ね』でした。

     四

 二月の初頭、私は、尾山プロデューサーに呼び出されました。スキャンダルでも発覚したのかと不安でしたが、それよりもっと深刻でした。事務所内の狭い一室で、尾山プロデューサーは開口一番、「拡散している殺害予告については、知っていますか」と問うてきました。
「知りません。いま、知りました」
「じゃあ、これを見てくれますか。某ネット掲示板のコピーです」
 尾山プロデューサーの太った手が差し出されました。その手には、印刷用紙がありました。見ると、2ちゃんねるの後継サイトである5ちゃんねるの掲示板でした。そこに『青谷未和を殺してやる』との書き込みがあります。
「この書き込みがtwitterで拡散しているのね。脅迫にあたるものだけど、十中八九、ただのイタズラでしょう。書いた本人も、拡散してビビってるでしょうね」
 印刷用紙を見下ろしていた細い目を、じろ、と私に向けました。
「それで、青谷さん」
 西野プロデューサーはメンバーの全員を下の名前で呼びましたが、尾山プロデューサーは上の名前で呼びました。
「大ごとにしたくはないけれど、さすがに、西野プロデューサーの件もあって、無視することはできないのね。わかる? 事務所のほうとしても、警備体制はしっかりしていますっていうアピールが必要なの。再発防止に努めますっていう声明文もマスコミに流しちゃったのだしね」
 なにを言いたいのか、私は先が読めませんでした。そんな私の内心はいざ知らず、尾山プロデューサーは、私の真顔から勝手に読みとりました。
「そうなの。そのとおり。実は、あなたにひとり、警備員をつけることになったのね」
 それは初耳でした。ニジアメの参加するイベントに警備員がつくことは何度もありました。尾山プロデューサーの言い方からすれば、その類ではなく、私個人に警備員をつけることを意味しているのでは。
「私に専属の警備員ですか?」
「安心してちょうだい。仕事の邪魔はさせない。青谷さんが移動するときに同行するだけなのね。そろそろ来てくれる? 警備員さん」
 尾山プロデューサーは、背後にある扉のむこうに声を飛ばしました。
 間もなくして扉がひらいて、警備服を身にまとった二〇代ほどの男性が現れました。鼻や口が小さく顎が細いわりに目が異様に大きく、リトルグレイの宇宙人のようでした。少年のような顔つきと言ってもいいのかもしれませんが、少年と呼ぶべき幼さはありませんでした。大きな目でぱちぱちと瞬きながら、私をじっと見つめました。
「はじめまして。警備員の朝日海人です。よろしくお願いします」
 意外にも、見た目のわりに低い声でした。朝日警備員は、かしこまって深く、一礼してくれました。あまりに深い一礼だったので、申し訳ない気持ちになり、私も深く頭を下げました。
「ということで、青谷さん。環境が変わって大変かもしれないけど、これからしばらくの間、朝日さんが付き添うので、よろしく」
「しばらくというと、どのくらいの期間ですか」
「少なくとも、半年間はあるでしょうね。アピールばっかりじゃなくて、実際、殺害予告は来てるわけだから、長くて悪くもないでしょう」
 あまりに急な展開だったので、自分がどう感じているか、わかりませんでした。私の反応がどうあれ、すでに決まっているようでした。私の中でにわかに殺人事件への危惧が高まっていたときだったので、安堵した部分もあったに違いありません。ただ、警備員が行動をともにするのはストレスなのでは、との不安もあったはずです。
 私は、いま一度、朝日海人警備員を見つめました。朝日警備員は大きな目のせいで表情が単調でした。内心が読みとりづらいなと感じました。その点、ある意味、サイコパスとかロボットとか、フランス人形などと批判される私と似ているかもしれないと思うと、好感が持てました。
 それが、私と朝日警備員――私より三つ年上でした――の出会いでした。

  第二章

     一

 朝日警備員と出会った日、私個人のサイン会がありました。完全フリーのサイン会です。多くの場合と同じように、サインを書くためのCDやグッズの購入を迫る形式で、ビジネスとして成り立っていました。
 サイン会の会場は、都内の繁華街の中にある高層ビルのワンブースでした。そのサイン会のための控室で、早々に、朝日警備員とふたりきりになりました。嫌な顔をするのも悪いだろうとは思いながら、初対面の同世代の男性と部屋にふたりきりになるのは、率直に嫌でした。
 どんな人物なのか、わからなかったので、なおさらでした。ふたりきりになったら襲われるのでは、との妄想すらありました。サイン会のスタッフが早く来てくれまいかと思いながら、控室に入ったのです。
 無言が続くかと思ったのですが、朝日警備員は、私とふたりきりになるなり、大きな目で私の顔を覗き込んできました。
「なんですか。へんな顔でもしてましたか」
「こりゃ、すみません。ホンモノなのか、確認したくなったもので」
 生真面目そうだという予想がありましたが、その予想を大いに裏切るフレンドリーな口ぶりでした。にやっと口の端を笑わせた朝日警備員の顔には、少年のような輝きがありました。笑うと意外に子供だな、と思いました。
「それより、どうします? 青谷さんと俺は、これからバディなわけですから、呼び方くらい決めときましょうよ」
「バディですか。朝日さんは、なんて呼ばれたいんですか?」
 朝日警備員は、「おっと」と、タコのように口をすぼめました。
「こりゃ光栄ですね。呼ばれたいように呼んでもらえるんですか。じゃあ、警備員ちゃん、とかいかがです?」
 少し沈黙しました。このままでは自尊心を守れないと判断し、私は、若干、朝日警備員を睨みました。
「ふざけないでください。どういう関係か、わかってるんですか? っていうか、渾名で呼び合う必要、なくないですか?」
 強く出ると、朝日警備員は、面白がったように大袈裟に右腕を振りました。
「冗談なんですが、申し訳ございませんでした。誤解を招く発言でした」
 それから右手で顎を触ると、ぶつぶつと「失敗したか? いや、この程度の冗談はあってもいいんじゃないか? ふたりきりだし? しかし、さすがに冗談のレベルが低すぎたか? たしかに、そこは反省点かもしれない。もうちょっと、インテリ系の冗談でせめるか? しかし、俺って、インテリじゃないしなぁ」などと、ダダ洩れの自問自答を始めました。
 変な人にあたったんだ、と私は気づいていました。ひとまず、私は控室内の座布団に座り、朝日警備員にも座布団を渡しました。
「ありがとうございます、青谷さん。バディとなる俺を、いっそのこと、バディと呼んでみますか」
 木製のローテーブルを挟んで座布団に座った朝日警備員は、テーブルの上で両手を組みました。職務を全うしてくれるのか、不安になりました。
「あんまり好きじゃない呼び方です。小学校のときのプールみたいで」
「じゃあ、朝日さんでいいですよ。俺は、青谷さんと呼びますから。そろそろ本題に入りますが、たいへんな事件が起きたもんですね」
 朝日警備員は、両手を組みなおし、顔を近づけてきました。一切、遠慮を感じませんでした。
 怖さのほうが強くなっていた私は、西野プロデューサー殺害事件に忌避感があったわけでもありません。誰かに話したほうが怖さはなくなるかもしれないと思っていました。ただ、人の不幸を初対面の相手と話すのはどうか、とも思っていました。
 互いに無言になって疑心暗鬼になるよりは、歓迎できたのですが。
 朝日警備員は、大きな目を私に向け、西野プロデューサーの生前の様子について、いろいろと訊いてきました。殺害現場となったイベント会場の様子についても、根掘り葉掘り訊かれました。私は、訊かれるたびに、きちんと答えました。やはり、誰かに話したかったのかもしれません。
「犯人の男は、ストーカーだったようですが、青谷さんの知らない人でしたか」
「知るどころか、聞きもしなかったです。西野プロデューサーがストーカー被害に遭っていたなんて」
 二月の初頭、西野プロデューサー殺害事件の続報がテレビで流れていました。元交際相手であった四二歳の犯人の男――橋本正樹容疑者が西野プロデューサーに数年間に渡ってストーカー行為をおこなっていた事実が報じられていたのです。尾行したり家の中を覗いたりしていたようですが、西野プロデューサーは無視に徹していました。
「いや、正直、今回の事件は、俺の中では興味深いものなんですよ。こう言っちゃ、あれなのは、わかってるんですが」
 犯罪行為に魅了された中学生の男の子のような目でした。その目は大きいだけに、余計に輝いて見えました。露骨な興味本位の態度でしたが、嫌な感じはしませんでした。興味本位な態度に徹するあまり、不謹慎との評価を突きぬけていました。
「ストーカー殺人、かつ、公の場での殺人という二つの要素が含まれてますでしょ。これは珍しい。突然ですけど、なんで公の場で殺人事件が発生するか、わかります?」
 私は、朝日警備員の大きな目を見据え、断りきれずに答えました。
「耳目を集めたい――注目を浴びたいからじゃないですか」
「専門的にはより深められると思いますけど、ずばり言えば、そのとおり。犯人は注目されたいんです。通り魔事件は、ほとんどは自分を見てほしいという欲求から生じていると思うんですよ。社会への恨みもあるのかもしれないけど、その恨みはたいてい、自分が注目されず、バカにされる現状への恨みでしょうね」
 公の場での殺人には、少なからず注目されたい欲求が絡んでいると言いたいようでした。テーブルの上に顔を突き出してくる朝日警備員に、私は期待通りの返事をしました。
「橋本容疑者も、注目されたい欲求があったわけですか」
「俺は、そう思ってますよ。そもそも、有名人を好きになるってのは、社会に認められた人に自分も認められたいわけです。それは言い換えれば、社会から認められたいという欲求です」
「いわゆる、承認欲求みたいな?」
「欲求というより、渇望といったほうがいいですが。カリスマプロデューサーとして有名だった西野プロデューサーを好きになった時点で、橋本容疑者には、通り魔の素質があったんだろうと俺は思います」
 なんとなく理解しただけでしたが、わざわざ訊きかえしはしませんでした。
「ともあれ、今回の事件で日本国民が再確認できたのは、人が多くいても危険だって事実です。人が多くいる場所は安全だと考えている人が多いですが、人が多くいるからこそ、人を殺す衝動も高まります。どう思います?」
「わからなくもないです。テロは、人が集まったところで発生しますし」
 私は、ジョン・レノンを射殺したチャップマンを頭に浮かべました。「有名になりたくて殺した」との供述。その犯行動機は、結局、承認欲求に基づいているのだろうと私は考えました。
 朝日警備員は、「それでね」とテーブルに右肘をついて、右のてのひらに顎を乗せ、憐れむような目を私に向けました。バカにされているようには感じませんでした。私は、朝日警備員の憐れむような目が意味するところを、ただただ聞きたいばかりでした。
「有名になろうとする人は、正式な方法で社会から評価されようとするか、不正な方法で社会を攻撃しようとするか、その二択です。後者の場合、アイドルはとにかく危ない。アイドルは注目を浴びる仕事ですからね。こう言っちゃなんだけど、有名になりたい人からしたら、アイドルは殺しがいがありますよ」
 朝日警備員のびっくりするような発言に、私は肌寒く感じました。
 ひととおり、好きなように口走った朝日警備員は、それから姿勢を正し、右手を顎に持っていきました。「サイン会に行くアイドルに話すには、不適な話題だったか? たしかに脅すような内容になっている。しかし、危険の認識は大切ではないか? とはいえ、あまりに無配慮だったのは否めない事実。反省するべきではないか?」と、またもやダダ洩れの自問自答を始めました。
 それから朝日警備員は、すっきりした顔で「ひとつ覚えてもらいたいのは、俺がプロの警備員だという動かせない事実です」と、ことさらに大きな声でいいました。
「青谷さんが刺されそうになったら、俺が代わりに刺されます」
 室内に緊張が走りましたが、「防刃チョッキを着てるので、刺さりませんから」との朝日警備員の本音でなごみました。

 サイン会をしているとき、パーテンションで仕切られたエリアの出入り口の内側に、朝日警備員はいました。私とファンが交流する様子を、ファンの背後から見つめる格好でした。控室では頼りなさそうな様子でしたが、サイン会が始まると、朝日警備員の目つきが変わりました。
 顎を引いて、睨むような細い目でした。
 もともと目が大きいだけに、目を細めると、顔の印象が大きく変わりました。その目つきで街を歩いたら、人が避けていきそうでした。無遠慮に殺人事件の話題を繰りひろげていた男とは、まるで別人物ように感じました。
 朝日警備員は、サイン会にやってくるファンをひとりずつ睨みように見つめつづけました。

 サイン会の途中の休憩時間、スタッフが出ていったのを見計らって、私は、朝日警備員に声をかけました。
「あの、朝日さん。どっちが主人格なんですか?」
「どっちが、と決めるのはナンセンスですよ。俺に与えられたのは、ネット掲示板に書き込まれた『青谷未和を殺してやる』との殺害予告の犯人から、青谷さんを守る任務ですから。その任務を果たそうとする俺も、変わりなく、俺です」
 生真面目な反応だったので、当てが外れた気分でした。
「その書き込み、どれくらい本気だと思われてるんですか」
 私は、正直、誰でも書きこめる掲示板だから、それほどの信ぴょう性はないと考えていました。学校を爆破すると書き込まれて何事もなく終わる事件が多くありました。その類ではないか。
「わかりませんけど、万一を想定しているからこそ警備員がいるんです。それに――」
 にやっと、朝日警備員が口の端で笑いました。ただちに目は大きくなり、少年らしい顔つきに戻りました。私は、心がなごむのと同時に、また嫌な話題が出るのではと危惧しました。
「俺に言わせれば、尾山ってプロデューサーは、あまりに危機感がなさすぎです。あんな事件が起きたあとなのに。俺に言わせれば、『青谷未和を殺してやる』と書いた犯人が本気の可能性も十分にあります。秋葉原通り魔事件は、知ってます?」
 予想のとおり、事件の話題が登場しました。私は、胸の底から込み上げてきた怯えを胸の中に隠しました。
「リアルタイムでは知らないですけど、なんとなくは知ってます」
「俺も、です。二〇〇八年のある日中に、秋葉原で起きた通り魔事件。車に轢かれ、刺され、何人も亡くなりました。あの事件の犯人――加藤智大は、犯行直前に、ネット掲示板に立っていたスレッドのタイトルを『秋葉原で人を殺します』に変更してます。それと同時に、その内容を『車でつっこんで、車が使えなくなったらナイフを使います みんなさようなら』と書き換えているんです。有名な犯行予告ですね」
 犯行予告が実現した具体例もあったと言えました。
 私は、その休憩時間、スマホをひらいて、『青谷未和を殺したやる』との掲示板への書き込みに関するネット記事を探しました。すぐ見つけました。それによると、『青谷未和を殺してやる』との書き込みは脅迫罪にあたるとして警察が動いているようでした。尾山プロデューサーは大ごとにしたくないと言っていましたが、脅迫罪は親告罪ではなく、警察が独自に調査に乗りだしたようでした。
 犯人が捕まるのは時間の問題。そう思うと、警察の動きを頼もしくも感じましたが、さすがに楽観的でした。私は、ネット掲示板に書き込んだ犯人を怖くも感じました。『青谷未和を殺してやる』と書き込んだ犯人が本気なら、警察が犯人を特定する前に、犯人は犯行に及ぶはずでした。
 私が暗い顔をしていたせいか、「あまり気にしないほうがいいですよ」と朝日警備員にいわれました。
「俺も言いすぎたと反省してます。警備員という職業柄、事件には馴染みがあるので、当たり前のように語っちゃうんです。ごめんなさい」
「でも、知っておくのは大事だと思います」
 深く頭を下げた朝日警備員に、私は、慌てて、頭を上げるようにいいました。身の回りには、私の知らない危険があふれているのではないか。そう感じられたのは、生活の安全を確保するうえで大きな収穫だったと思います。
 私は、その日、過去の事件の概要を紹介しているYoutubeチャンネルを五つほどチャンネル登録しました。その日から、毎日のように、過去の事件についての通知が私のスマホに飛び込んでくるようになりました。
 まるで、さまざまな事件を伝えるニュース速報が、過去から時空を超えて現在の私のスマホに届いているようでした。身の回りに潜む殺意の息遣いが、耳元で聞こえるようになっていきました。必ずしも個人への遺恨ばかりが殺意を形づくるわけではないと私は学んでいきました。

     二

 私の移動に朝日警備員が付き添うようになってから、私は、少しだけ安心感を手にしました。
 朝日警備員が信用に値する人物なのか、それは判断に迷いました。二重人格ではないかと思えるほどのオンとオフの切り替わりには、気味の悪さまでありました。事件マニアである一面にも、どこか軽っぽい印象を受けました。
 同期の杏奈から『あの警備員さん裏の顔あるでしょ』とLINEメッセージが届いた日がありました。Youtube動画の撮影日、専用の撮影スタジオに朝日警備員も来たので、メンバーは朝日警備員の存在を知っていました。神奈川県のステージイベントに参加した日も、メンバーとスタッフが乗る専用バスに朝日警備員も紛れていました。大勢がいる場では、朝日警備員は、生真面目な空気を発していました。
『裏の顔というか、たぶん、いつもが裏の顔なんだと思う』と私は返信しました。それが素直な印象だったのかもしれません。
 とはいっても、朝日警備員が、警備会社で十分な研修を終えた警備員であるのは間違いありませんでした。いつも腰には、警棒らしき黒い棒をぶら下げていました。警察官ではないので拳銃は携帯していませんでしたが、一目でそれとわかる警備服を身にまとっていました。
 朝日警備員が横にいるだけで十分な効果を発揮するのでは、と思いました。中身のない監視カメラと同じ効果です。自宅からの移動にも、自宅までの移動にも、朝日警備員はついてきました。自宅に関わる移動は基本タクシーなので、べつにいいのではとも思ったのですが、事務所の意思決定のようでした。
 若干、プライベートが消えたような不快さはあったものの、安心感のほうが大きかったです。
 休日や仕事からの帰宅後の外出にはついてこなかったので、ひとりでも外出できました。その意味では、プライベートが侵食されはしませんでした。仕事帰りにコンビニに寄りづらくなっただけですが、それも、数日のうちで、なくなりました。二、三回ほど経験すると、朝日警備員とともにコンビニに寄るのも慣れました。そのほうが、ひとりでコンビニへ行くより安全とさえ思えるようになりました。

 朝日警備員とタクシーで私の自宅へ向かっているとき、朝日警備員が「ひとつ、訊いてもいいですか」と口をひらいた日がありました。タクシーの中で朝日警備員が口をひらくのは珍しいことでした。
「ちょっとした雑談か、仕事に関する話か、どちらです?」
「とても重要な雑談です。ビジネスとか俺はわかんないんですけど、青谷さんみたいに頻繁に炎上するのって、ビジネスとして成り立つんですか?」
 面白い質問でした。私は、その質問に進んで答えたくなりました。
「朝日さんは、私たちアイドル――イメージのビジネスと言われますが――そんな私たちは、誰のためにイメージを大切にしてると思いますか」
「お客さんのためじゃないんですか」
「スポンサーのためです。一般大衆にどう思われるか、それは、はなから問題になっていません。冷めた言い方になりますが、ある程度、需要を把握しあうえで――統計データも駆使して――こんなアイドルをつくったらこれくらい売れるだろうという固い予測の上に成り立っているんです。ただの炎上では、予測は崩れません」
 炎上したところで、ビジネスに影響しない。むしろ、売り上げの上昇に寄与する場合のほうが多い。私は、包み隠さずに話しました。
「内部事情をすべて知ってるわけじゃないけど、私はもともと炎上しそうだというポイントを見込まれて事務所に入所できたのだと思います。ニジアメは、私の炎上によって注目を集め、そのほかのメンバーの高感度によってファンをつかむように設計されています。もちろん、そんな単純ではないけれど」
 あくまでも、私の憶測とスタッフから盗み聞いた内部事情によって構成された説明でした。
 私は、炎上が嫌でした。ただ、それで苦しんでいるかと言えば、それほどでもありませんでした。炎上するごとにフォロワーが増えていく現象を目の当たりにすれば、少しくらいは裏事情が見えてきます。事務所は炎上を喜んでいたのです。
「でも、青谷さん。炎上した投稿を削除したりしてるでしょう」
「それはスポンサーのためです。ニジアメや事務所に出資してくれるスポンサーが離れていったら、私たちの活動は成り立たなくなります。スポンサーの気分を害さないように適度な炎上が必要です。激しい炎上は逆効果で、スポンサーが離れていく一因になりますから。Twitterの投稿の削除要請は、スタッフから入るんです。私が決めてるんじゃありません」
 そんな物言いをする性格だから炎上するのだろうに、と自分でも呆れました。
 加奈子は炎上する私をいちいち心配してくれましたが、私は自分の役割にうすうす気づいていました。私がゲームオタクである事実――休日には部屋にこもって『バイオ・ハザード』で遊びます――の公開を尾山プロデューサーが却下したのは、そのへんの事情によるものでした。
 尾山プロデューサーとしては、私を炎上させるキャラとして保っておきたかったのです。
 私の話を受けて、朝日警備員は、意外そうに、タコのように口をすぼめていました。斜に構えたような説明がピンと来なかったのでしょう。私は、大数の法則について説明しました。
「保険って、保険会社にとってリスキーそうに見えますね。保険契約の対象の事由が発生しなければいいですが、それが発生すれば、莫大なお金が出ていきます。保険料をどう設定するか、非常にリスキーです。でも、多くの被保険者と保険契約を結べば、この問題はたちどころに解決します」
「それなら、俺にも、理解できます」
 朝日警備員は、ほっそりした顎をぐいと引きました。
「多くの人と契約すれば、保険契約の対象の事由が発生するのはそのうちの何%って把握できるわけでしょう」
 朝日警備員からまっすぐ注がれる視線に、私は、仰々しくならないよう、小さくうなずきました。
「多くの人と契約すれば、一般的な確率の問題になります。保険の設計も、簡単です。保険契約のうち何%か出てくる損失をカバーできるよう、保険料を設定すればいいだけ。感覚的には、アイドルビジネスもそれと同じです」
 あくまでも直観に任せた話でした。朝日警備員は、よく理解できたというように、にやっとした顔をサイドミラーのむこうに向けました。
「アイドルビジネスにおいて、数を集めるって、なにを指してるんです?」
「宣伝、広告です。ニジアメというアイドル――エンタメ系ユーチューバーであり、主に一〇代と二〇代を対象とした若者向けのアイドル――が、刺さる層は一定割合、存在しています。全体の、何%と。宣伝や広告で数を集めたとき、その一定割合の層には必ず刺さります。その層が私たちにお金を払うようにビジネスを展開し、アイドルは成り立っているんです」
 その一定の層が、炎上ごときで揺らぐはずがありませんでした。むしろ、炎上そのものが無料の宣伝、広告となり、潜在的なファン層を掘りだす役割を果たすのでした。
「いまの時代、保険商品と同じくらいに、人々の需要も把握されてるんですか。そこまで進んでるようには」
「少なくとも、私の所属する事務所には、データ分析専門の部門があります。ディズニーランドやUSJだって、データ分析が支えていると聞くし。完全に把握しなくても、おおよその予測はついてるはずです」
「アイドルが夢を壊しちゃいました」と、朝日警備員は笑い、ほっそりした顎でうんうんと何度もうなずきました。
 執拗にうなずく様子から、なにか話したいのだな、と思いました。私が口を閉じると、さっそく朝日警備員は口をひらきました。
「青谷さんって、すごく現実的です。おまけに、いまの言いぶりからすると、データ主義的なところもあるじゃないですか。あんまりアイドルっぽくない気がするんですが、なんでアイドル、なったんですか」
 そのとき、私は、朝日警備員にアイドルを志した理由を話しました。その理由を知った朝日警備員は、現実的な人間との私への評価を変えざるをえなくなったはずです。
 私がアイドルになったのは、片想いのためでした。小学二年のお盆、住んでいた大阪を離れ、母方の実家にあたる埼玉に行きました。そのとき母方の実家近くの神社でおこなわれた夏祭りで、偶然に出会った男の子に、私ははじめて恋をしたのです。
 私が迷子になったとき、その男の子が私を迷子案内まで連れていってくれました。「ちゃんと考えて行動しなきゃ、ダメだよ」との男の子の言葉に、緩衝材のような優しさを感じました。それ以来、男の子とは会っていません。
 私が有名になれば、初恋の相手に私の存在を知らせられるのでは。そう思い、アイドルを志しました。不純な動機もいいところです。
 朝日警備員は、「なんか、納得しました」とだけ、いってくれました。

 誹謗中傷してくるtwitterアカウントをブロックしてから、私の公式twitterアカウントはいくぶん快適になりました。考えれば、当然です。
 現実の世界にも私を嫌いな人は多くいますが、表立って「あなた、嫌い」と口にする人はそうそういません。ネット社会の匿名性によって、表立って言えない罵声が表出するのでは、と考えるのは妄想です。私自身、表立って言えない罵声をネット社会でつぶやいた経験はありませんでした。多くの人も、同じだと思います。
 想像以上に、ネット社会と現実社会は近いところにあります。
 匿名性とは言いながら、ネット上に書き込む主体は、その行為を目撃しています。人間は他人にどう評価されるかを気にすると同時に、自分にどう評価されるかを気にする生き物でした。たいていの場合、裏でこそこそ他人を罵る行為を、自分自身でよしとする人はいないのではないか。
 誹謗中傷をするのは、ごく一部ではないか。そのごく一部が、ネット社会に仲間を得たように妄想しているのではないか。
 その人たちは、現実の世界でケアが必要な人たちかもしれません。その人たちの状況や性格はわかりませんが、データを見ると、誹謗中傷をする人の割合はわかります。
 朝日警備員に指摘されたように、私はデータ主義的なところがあります。二〇のアカウントが消えて誹謗中傷がなくなりました。この事実をデータで見たとき、私の公式twitterアカウントに五〇万のフォロワーがいる事実から考えるに、誹謗中傷をするアカウントは全体の〇.〇〇四%でした。ほぼ一〇〇%のアカウントが誹謗中傷をしません。
 これはおそらく、現実に近いデータです。
 ほぼすべてのアカウントは、誹謗中傷をする一歩手前でとまるか、そもそも誹謗中傷に興味を持ちませんでした。

 かといって、〇.〇〇四%を無視すればいいか、とも言えませんでした。確率の低さを理由に安心するのは、楽観的すぎると私は感じました。隕石が落ちる確率や、雷に打たれる確率がかりに〇.〇〇四%なら、少しは楽観的になってもいいかもしれません。しかし、殺意の確率は、それとは性質が異なります。
 かりに〇.〇〇四%――二〇人が私に殺意を持っていたとします。その二〇人が私を殺そうと具体的な計画を立てたとき、当然、私は二〇人に狙われます。この数は少ないと言えるのか。私には、十分に多いと感じられました。
 殺意に確率を持ち込むのはナンセンスではないか。私を本気で殺したい人が世界にひとりしかいなくても、そのひとりが行動を起こせば、私は殺されます。私の命はひとつしかないので、ひとり殺意を持つ人がいるだけで、常に危険に晒されていました。
『青谷未和を殺してやる』との書き込みを悪く解釈すれば、日常がいかようにも恐ろしい世界に変わりました。
 私は、ほぼ一〇〇%の愛情や無関心や悪ふざけよりも、ほとんど〇%の殺意のほうが重い現実に気づいていました。

     三

 ファンの方々とのDMは継続していました。さまざまなコメントに励まされ、かろうじて極端な被害妄想に陥らずに済んでいました。
 二月上旬の私は、一般大衆をひとつの塊として恐怖するのでなく、一般大衆に紛れたほとんど〇%の殺意を恐怖していました。そのため、ファンの方々からの励ましは、私の恐怖を中和する溶液にはなりえませんでした。
ゆるゆるぽんぽんさんとのやり取りも継続していました。二月に入ってから新しい動きがあったらしく、報告してくれました。
『学校のトイレの個室にいるときでした。隣の個室から、ドンドン、と仕切りの壁を強く叩かれました。びっくりして「やめてください」って言ったんですけど、そのあとも、ドンドン、と叩かれました。隣の個室に誰かがいたんです。無言で。私が個室を出るより先に、その人は出ていきました。その人の姿は目にしてません』
『その人が誰か、いまもわかってないんですか』と問うと、『まったく、わからないままです。紙にひどい言葉を書いてカバンに入れてくる犯人と同一かどうかさえ、わかりません』と返信が来ました。
 かりにふたつの犯行が同一の犯人によるならば、ひとつだけ判明しました。女子トイレの個室に入っているため、犯人は女性です。女子生徒か、女性教師か。確率的には女子生徒のほうが高いはずでした。
『ゆるゆるぽんぽんさんを嫌っている女子生徒はいませんか』とDMを送ると、それまでスムーズにやり取りしていたのに、返信までに一〇分ほど間がありました。
『考えてみたんですが、やっぱり、わかりません。ほかはどうか知らないけど、わたしの周りにいる人たちって、だいたい、顔には出さないんです。わたしも嫌いな人がいても顔には出さないし、喧嘩したりもしません。いまの子たちに特有かもしれないけど、嫌なことがあっても、基本、無視です』
 なんとなくわかる気がしました。表立って衝突するのが面倒くさいから、表向きにはにこにこしておく。犯人もその性格であれば、案外、ゆるゆるぽんぽんさんの身近な人物かもしれません。その考えは、さすがに、ゆるゆるぽんぽんさんには伝えませんでした。
 ふたつの犯行が同一人物によるものであれば、犯行内容が進展しました。今後、エスカレートしていく危険もありました。一度、学校に相談すべきではと助言しましたが、ゆるゆるぽんぽんさんは学校を信頼できないようでした。
 私は、年上としての責任感から、『怖い』と告白するゆるゆるぽんぽんさんのために、なにか方策はないかと考えました。ひとつ思いついたのは、防犯ブザーを持ち歩く対策でした。
『購入してみます。持ち歩くだけで、少しは安心できるかもしれません』
 そうはいってくれましたが、ゆるゆるぽんぽんさんの内心は、安心感とはほど遠かったのではないか。ゆるゆるぽんぽんさんにうまく貢献できない自分に、もどかしさを感じました。
 その日、私は、amazonで自分用の防犯ブザーを購入しました。

 Youtubeで殺人事件のまとめ動画を次々と見ていた夜、私は、ある殺事件人についての動画を見ました。その内容が気になったので、safariをひらいて調べました。
 一九八九年の一一月に発生した、坂本堤弁護士一家殺害事件です。Safariで検索したところ、Wikipeddiaがページの上部に出てきたので、それをクリックしました。一九八九年の一一月三日の夜、午前三時ごろに自宅に侵入され、暴行の末に一家三人が殺害された事件でした。
 自宅に侵入されて殺害されたとのポイントが、引っかかりました。
自宅は安全だと感じていましたが、侵入する手立てがないわけでもありません。窓ガラスを割れば、どこからでも侵入できました。
 玄関ドアさえ、ピッキングで簡単に開錠できます。Youtubeには、シリンダー錠の開錠方法を実演した動画が公開されていました。五〇万再生されていました。ネット上では、ピッキングを練習するための道具も販売されていました。誰でも他人の家の鍵を開錠できる時代です。熟練すれば、一分で開錠可能なようでした。
 Youtubeのピッキングの実演動画を見ると、正直、それほど器用でもない人にもできそうだと感じました。そう感じて、ぞくりとしました。鍵をかければ問題ないと思っていた私は、あまりに無警戒だったのではないか。殺意を持つ誰かがいれば、ピッキングの練習くらい喜んでするはずでした。
 全方位を壁で囲まれている自室の閉塞感が、突然、恐ろしくなってきました。私の部屋には出口がありません。ドアから誰かが侵入してきたら、どこにも逃げられないのです。最悪、ベランダから飛び降りる方法がありますが、咄嗟に飛び降りられる自信はありませんでした。
 室内灯を消して寝ようとしましたが、その夜、どうしても寝られませんでした。午前一時を回っていました。私は、寝静まった家族を残して、スマホと財布を片手に家を出ました。
 外灯がぽつんぽつんとあるだけで、ほとんど闇でした。スマホのライトを点灯し、足元を照らしながら歩きました。
 どこかに向かっていたわけではありませんでした。四方を壁で囲まれているよりも、開けた場所のほうが安全だと考えていただけでした。
 イヤホンはしませんでした。暴漢は無警戒そうな相手を襲う傾向にあります。真夜中にイヤホンで耳を塞ぎながら歩くのは、「私は無警戒ですよ」と宣言しているのと同じでした。
 朝日警備員とともに行動するようになってから、夜にひとりで家を出るのははじめてでした。朝日警備員が横にいないだけで、不安でした。
 家に戻ろうとも考えましたが、坂本堤一家殺害事件が頭を過ぎると、帰りたくありませんでした。
 途中、自動販売機を見つけました。路上を照らす青白い光に安堵しました。私は、ペットボトルのお茶を購入しようか悩みましたが、やめました。近くのコンビニに行けば安く買えると判断しました。
 コンビニに着いたのは、午前一時一五分ごろでした。店内にはお客さんがいなかったのですが、いつものくせで、店に入る前にマスクをつけました。店内でペットボトルのお茶を購入し、イートインコーナーに行きました。目の前はガラス張りでしたが、カーテンが引かれていました。
 私は、高い位置にあるテーブルにだらりと顎をのせて、スマホを目の前の置きました。なぜか、安心感がありました。ニュースアプリをひらきました。ときどきお茶を飲みながら、最新のニュース記事を意味もなく読んでいると、LINE通知が入りました。
『やっばいんだけど ガチめに 助けて~! いまだいじょうぶ?』
メンバーの杏奈からでした。私は、ちょうど暇だったので、『どうしたの?』と話を促しました。
『何度か男の人を振った経験あるって前いったじゃん もちろんアイドルになる前なんだけど さっき元カレのうちのひとりからこんなLINEメッセきたんだけど』
 続いて、スクショ――スマホのスクリーンを撮った写真――が送られてきました。そのスクショには、LINEのやり取りの様子が写っていました。
『ひさしぶり~ 俺のこと覚えてるだろ よかったら飯でも食いにいかない? スクープされないよう気いつけるからさ 返事まってまーす』とのメッセージが『亮太』なる人物から送られていました。
 私たちニジアメは公式に恋愛禁止とは決まっていませんでしたが、アイドルとして暗黙の了解がありました。さすがの杏奈も気づいていました。
『やばいよこの誘い 断らなあかんのはわかるけど恨まれたら嫌じゃん それが本音なんだよ ストーカーになったら怖いなぁって 未和だったらどうする?』
 誘いを断ったときに『亮太』なる人物がストーカーになるのでは、と考えているようでした。過剰な心配だとは思いましたが、他人事ではありませんでした。私も過剰な心配をした結果、深夜にコンビニに来ていました。
 どの口が言うかとは思いながら、『ストーカーって、希少種だと思うけど』と返信しました。
『でも亮太はガチで希少なほうなんだって 自分の思いどおりにならないと怒りだしちゃう人でさ わたしが振ったときだって顔真っ赤にして怒ったもん そのときはなんとかおさまったけど』
 西野プロデューサーの事件の影響で、私と同じように、杏奈も必要以上に疑り深くなっていました。
『きっぱり断るのが怖いなら、とりあえず、「忙しいから、また今度誘って~」くらいでいいんじゃないか。それを何度も繰りかえせば、向こうも気づいてくれるはず』
『それもこわい キレられそうな気がする それ以外の方法なにかない?』
 テーブルに顎をのせたまま、私は考えましたが、これといって思い浮かびませんでした。杏奈の役には立ちたかったのですが、正直、杏奈は考えすぎだと思えました。
 しかし、傍から見れば、私自身もそうかもしれない。私は、少しだけ自分を客観視できました。
『長く考えて凝った断り方をするよりは、ささっとストレートに断ったほうが、感じがいいと思う。役に立てなくて、ごめん』
『でも、ありがと』と、それで、やり取りが終わりました。
 杏奈のおかげで少し落ちつきました。自宅へ戻ってもよかったのですが、イートインコーナーを離れるのが名残惜しく、私は、そこに留まりました。
お茶をちびちび飲みながら、ネットサーフィンをしました。西野プロデューサー殺害事件について情報を探していると、あるネット記事を見つけました。その記事には、犯人の男――橋本正樹容疑者の供述が載っていました。私はそれを読みました。
『あの女は俺が好きだった。俺だけで頭がいっぱいだった』
 橋本容疑者が『あの女』と呼ぶのは、西野プロデューサーでした。
『あの女は、テレビに映るときはいつも俺を意識してポーズを決めた。俺の耳に入るのを想定して言葉を選んでた。それくらいわかる。すぐ前まで付き合っていたから。カメラのレンズを見つめるとき、あの女は俺を想像していた。それなのに、俺がいくら言い寄っても、無視を続けた。素直になってくれなかった。あの女を素直にさせるには、俺が積極的に動くしかないと思った』
 読んでいるうちに、恐ろしくて、ぞくぞくとしてきました。私は、テーブルから顎を離して、スマホの画面に目を近づけました。勢いに呑みこまれて、最後まで読みました。
『あの女は俺を試していた。俺がどこまでの男か、見たかった。ある日のニュース番組のインタビューで、あの女はいった。わたしは死ぬくらいの覚悟で挑んでいるし、それくらいの覚悟で協力してくれる仲間たちと支えあいながら道を切りひらいています。あの言葉は、俺へのメッセージだった。わたしを殺してみろ、と。殺せるくらいの覚悟を持っているか。俺を挑発した。俺はやってやるしかないと思った。殺せるくらいの覚悟を持っていると証明しなければいけなかった。それで、あの女を殺した。ついに、俺はあの女を自分のもとに戻せた。いまはすっきりした気持ちだ』
 読みおえたとき、私は、気分が悪くなっていました。杏奈のおかげで凪いでいた心が台無しでした。
 一度は交際関係にまで発展した相手が、ここまで元彼女を誤解できるものか。想像するだけで、恐ろしくなってきました。
 橋本容疑者が特別だとは、私には思えませんでした。私や杏奈が陥っていた過度な心配性も、言い換えれば、ただの妄想でした。橋本容疑者と同じように妄想し、その影響で、私は自宅を出る行動にまで及びました。
 一度は深い関係になったにもかかわらず過度な誤解ができるなら、もとより深い関係でもない場合、いかなる誤解もありそうでした。私の周りにいる人たちはどうか。私から好意を寄せられていると誤解している人はどれだけいるか。私から攻撃を受けていると誤解している人はどれだけいるか。
 気が滅入りそうになったとき、ゆるゆるぽんぽんさんからDMが届きました。
『黒い影に殺される夢を見て、いま、起きちゃいました。怖いです』
 スマホの時刻表示は、午前二時過ぎを示していました。

 ゆるゆるぽんぽんさんが大変な状況に陥っている。私は、それが心配でした。ゆるゆるぽんぽんさんのために、なにかしなければいけない。他人のために行動する経験の少なかった私が、そのときは、ゆるゆるぽんぽんさんの危機感を我が身のように感じ、行動を余儀なくされました。
 二月の中旬に入ったころ、Youtube動画の撮影をした日、専用スタジオの外廊下のベンチで、朝日警備員とふたりきりになりました。自動販売機の青白い光がぼわんとした、うす暗い廊下でした。私は、朝日警備員に訊きました。
「脅迫から殺人に発展していく場合、何段階もあるんですか」
「例の書き込みが気になってるわけですか」
 朝日警備員は、スタジオの中にいるメンバーやスタッフを気にしてか、やけに他人行儀な言いぶりでした。
「それもあるけど、それとはべつに、私の知人が脅迫されていて」
「どのような脅迫ですか?」
 朝日警備員は、すばやく私に振りむき、にわかに目が大きくなりました。少年の目でした。私は、どこかで、そうなるのを期待していました。
私がゆるゆるぽんぽんさんの現状を話すと、朝日警備員は満足げにうなずきました。
「たしかに、一般に、逸脱行為はどんどん加速し、エスカレートしていくもんです」
 そのまま口走ろうとして、「でも、青谷さん」と遠慮を見せました。
「大丈夫です。知らないよりも知ってるほうが安心できますから。知ったうえで対策を講じようとのスタンスです」
 朝日警備員は、ならばと遠慮を排して、気の赴くままに話しました。
「動物虐待から殺人へエスカレートするのは言わずもがな、わかりやすい例としていじめがあります。青谷さんの知人への脅迫は、匿名のいじめともいえますし。繰りかえす過程で、いじめのシステムが定着し、膨張する。犯人が、そのいじめを心地よく感じるなら、どんどん心地よい方向へ進展するはずです」
「いじめには、殺人に発展するのもありえるんですか」
「いじめ被害者がいじめ加害者を殺害した事件は、くさるほどありますがね。いじめ加害者は、気持ちよくて、やってるだけだから」
 朝日警備員は、双方の人差し指を重ね、『✖』をつくりました。いじめ加害者に殺意はない、と言いたいようでした。
「いじめ被害者が自殺以外で命を落とす場合もありますが、語弊を恐れずに言うなら、その多くは事故です。面白がっていただけなのに、やりすぎて、殺してしまったというケースがほとんどでしょう。過去の発生確率を考えれば、むしろ、いじめ加害者のほうが殺害されるリスクは高いです。同窓会で殺されるケースもありますよ」
 あくまでいじめと考えるなら、加害者から殺されるとは考えにくい。それには賛成しました。問題は、ゆるゆるぽんぽんさんへの匿名の脅迫がいじめの類か、でした。
「ストーカーの可能性もあると思います」
 朝日警備員は、すっかり箍が外れたように、声が大きくなっていました。
「いじめとストーカーは区別するべきです。俺の定義としては、いじめは、関係的に優越してる者が関係的に劣っている者を攻撃する行為で。一方で、ストーカーは、関係的に劣っている者が関係的に優越してる者を攻撃する行為です。今回の場合、犯人が匿名で行為しているので、犯人のほうが関係的に劣っている。ストーカーの可能性も高い」
「その場合、殺人に発展するケースは――」
「くさるほどありますね」
 朝日警備員は、にやっとした口で言いきりました。
「異性であれ、同性であれ、なんらかの感情が引き金となって、誰かに粘着的につきまとう。加害者だけが強烈な感情を抱いているので、関係性としては、被害者が優越しています。優越されるのは不快です。自分だけこんなに苦しんでいるのに、相手は気にもかけていない。その怒りは、殺意に増幅し、具体的な犯意になったとしても、不思議ではないと思います」
 朝日警備員から、桶川ストーカー事件について聞きました。女子大生が元交際相手に殺害された事件です。一九九九年の一〇月に発生したこの事件をきっかけに、ストーカー規制法が制定された事実も知りました。警察の怠慢によって防げなかった事件として、これ以後、ストーカーへの対処に警察は慎重になりました。
 私は、ゆるゆるぽんぽんさんへの脅迫をストーカーの仕業だとアピールすれば、警察も動くのではと考えました。「参考になる話を聞けました」と朝日警備員には、感謝を伝えました。
 その日のうちに、ゆるゆるぽんぽんさんにDMを送りました。ゆるゆるぽんぽんさんは、私の提案を受け入れたうえで、次のように答えました。
『その前に友達に相談してみることにします。友達と一緒にロッカーのカバンを監視して、誰がやってるか、突き止めたいんです』
 犯人をスマホのカメラで撮影し、それを警察に持っていく。それが、ゆるゆるぽんぽんさんの戦略でした。

     四

 ネットの情報のうち、特定のキーワードを含む情報だけをメールで受信できる仕組みがあります。二月の中旬、私は、その仕組みを用いて、『殺人事件』をキーワードに設定しました。その日から、私のメールの受信フォルダには、殺人事件に関するネット記事やブログ記事、まとめ記事などが膨大に届くようになりました。
 その中で殺人事件に特化したブログやネットサイトをお気に入りに登録しました。時間のあるときに見るようになりました。
 Amazonでは、おススメ商品に、防犯関連のグッズが出てくるようになりました。殺人関連の書籍を何度か確認したせいか、殺人関連の書籍もおススメとして出てきました。私は、Amazonでおススメされた『異常快楽殺人』という文庫本を購入しました。
 スマホをひらくと、たいてい、Youtubeの登録チャンネルから過去の殺人事件の情報が届いていました。メールの受信フォルダをひらいても、同じような状況でした。さまざまな殺人事件に詳しくなるにつれ、私が感じたのは、圧倒的な無知でした。
 最大限に無知になったうえで、私たちの生活は成りたっていました。
 実際には、いつどこで通り魔に襲われてもおかしくはありません。家の中に侵入してきても不思議ではありません。カラオケや、書店や、ゲームセンターにいるときも、気は抜けないはずでした。
 通り魔であるとも限りません。殺人事件の半分は親族間の殺人です。身近なところに、知らず知らずのうちに傷つけている相手はいないか。はっきりと断言できるほど、人間の洞察力は優れていません。
 すべての扉は誰かが内側に侵入するためにあります。物理的に開閉可能な扉や簡単に破壊可能な窓ガラスを数えながら、街を歩いた日がありました。もしも私が通り魔だったら、殺せない相手のほうが少ないと感じました。知人や親族を殺すときは、さらに開閉可能な扉や、侵入可能な場所が増えます。
 日々の暮らしは、殺人犯がいない前提のうえに成りたっています。現実には、殺人犯は幽霊よりも多く存在します。
 私の生活は過度に神経をすり減らすものに変わりました。街中で声をかけられたくなくて、サングラスもかけるようになりました。Amazonで購入した防犯ブザーは常に持ちあるきました。
 街に出る回数さえ、大幅に減少しました。
 アイドルが街を歩くのは、自分が殺される確率を上昇させる行為でした。朝日警備員の指摘のとおり、アイドルは危険すぎました。「どうぞ、私を殺してくださいね」と宣伝しているのと同じでした。

 杏奈は、持ち前の溌剌とした声で、よく「わたしの笑顔を見て、みんなを元気にしたいです」と語っていました。西野プロデューサーが殺害されたあと、杏奈の口から、その言葉を聞かなくなりました。
 杏奈の笑顔を見て、憂鬱になる人もいる現実に、気づいたのでしょう。その数は圧倒的に少ないかもしれません。たったひとりかもしれない。しかし、そのひとりが行動を起こせば、杏奈の人生は泡のように弾けます。

 私も、怯えていました。初恋のためにアイドルになった代償がはかりしれないほどである現実を強く感じました。
 有名人はイメージが重要ですが、ニジアメは、可愛い妹、同性からの憧れの美人とのイメージを狙って設計されていました。いちばんのターゲットは、時間とお金を持てあましている大学生の男の子たちです。王道のマドンナ的アイドルとはズレた客層でしたが、それゆえに生活感が問われます。その中、私だけ、生活感の公開を事務所から阻まれていました。事務所の戦略によって(おそらく、炎上キャラにするため)、王道アイドルに近い扱いを受けていたのです。
 ミステリアスな人に対しては一般的に、興味と恐怖が混在した感情を抱きます。『青谷未和を殺してやる』との文言が、全員の総意のようにも感じられました。
 二月の中旬にもあったサイン会で、私は、次々とくるお客さんに怯えました。身体チェックはありましたが、金属探知機での検査はしていませんでした。ナイフを隠し持つのは簡単でした。ナイフを購入するのは、もっと簡単でした。
 自分だけは殺されない。なんの根拠もなく確信していた時代は、あっという間に終わりました。なによりも朝日警備員の存在が、心強く感じられました。
 
 コンビニは、なぜか、安心できました。強盗殺人が起きやすい場所ですが、私には、それを考慮してもなお怖く感じませんでした。イートインコーナーにいるときは、交番の奥の部屋で休んでいるような気分でした。私には、自室よりもコンビニのほうが安心できました。
 そのため、夜に、コンビニのイートインコーナーに行く習慣ができました。
 そのころの私は、イートインコーナーにいるとき、頻繁にスマホで、キーワードプランナーをチェックしていました。Googleが無料で提供している、検索規模を知るためのサービスです。ウェブ上のデータから人々の需要を把握するためのサービスでした。そのデータには、人々の内心が吐露されているように見えました。
 たとえば、『えろ』とのキーワードを調べると、一か月間で平均、一〇〇万~一〇〇〇万の検索規模を誇っていました。トップアイドルの検索規模が一か月で平均一〇万~一〇〇万なので、その一〇倍以上あるかもしれません。
『青谷未和』とのキーワードで調べると、付随するキーワードとして、『嫌い』が出てきました。『青谷未和 嫌い』の検索規模が、一〇〇~一〇〇〇、ありました。『青谷未和』自体の検索規模が一〇万~一〇〇万だったので、『嫌い』の比率が多いとも言えませんでした。
 多く見積もっても、『青谷未和』と検索する人のうち、『青谷未和 嫌い』と検索するのは、僅か一%くらいではないかと考えられました。
『青谷未和 かわいい』の検索規模が一万~一〇万あったのは正直、嬉しかったです。『青谷未和 サイコパス』も、一万~一〇万の検索規模がありましたが。
 そのほか、『青谷未和 外人』、『青谷未和 おかしい』、『青谷未和 病気』、『青谷未和 病んでる』などの検索規模がいずれも、一〇〇~一〇〇〇、ありました。私は健康的な日本人女性です。
『青谷未和 裸』の検索規模も同じく一〇〇~一〇〇〇、ありました。実際に『青谷未和 裸』で検索しましたが、幸いにも、私の裸の画像や動画はありませんでした。少なくとも私の裸を見たいと思った人が、一か月に一〇〇人以上いたのは事実です。
『青谷未和 殺したい』の検索規模は一〇~一〇〇、ありました。〇でない事実に驚きました。一か月平均なので、毎月一定数、私を殺したいと検索した人がいたはずでした。ぞくりとしました。偶然にも、tiwitter上のデータから読みとれた二〇人の誹謗中傷する人たちの人数と一致しました。
 私は、気を紛らせようとコロッケパンを食べながら、『殺人 方法』の検索規模を調べました。すると、『キーワードはすべて削除されました。別のキーワードやURLをお試しください』とのメッセージが出現し、結果を知らせてくれませんでした。
 キーワードプランナーには、規制があるようでした。試しに、『自殺 方法』とのキーワードを検索しても、『キーワードはすべて削除されました。別のキーワードやURLでお試しください』とのメッセージが出現しました。キーワードプランナーはもともと、ウェブ上の広告で稼ごうとする人たち――いわゆるアフィリエイター――のために運営されているサービスでした。アフィリエイターたちが、いくら稼げるか、予測を立てるためでした。
この規制が意味するのは、『殺人 方法』や『自殺 方法』のキーワードの情報をあふれさせたくないとのGoogleの意思ではないかと言えました。検索規模のあるキーワードにはアフィリエイターが群がります。検索規模がないキーワードに群がるアフィリエイターはいません。
 規制するからには、アフィリエイターを群がらせたくないのでは――裏を返せば、『殺人 方法』や『自殺 方法』のキーワードに、アフィリエイターが群がる可能性があるのではないか。
 キーワードの検索規模が伏せられた以上、『殺人 方法』や『自殺 方法』の検索規模が一定数あると告げているのではないか。私には、そう考えられました。
 伏せられたデータほど、恐ろしいものはありません。『殺人 方法』と検索する人には、具体的な犯意がある可能性が高いです。
 検索する流れとしては、『殺人 是非』、『殺人 体験談』、『殺人 刑』などを最初に検索するのではないか。それらの情報を得たうえで、さて、具体的には、と考えた人たちが『殺人 方法』と検索するのではないか。殺人への意欲がある程度固まったうえでの検索ワードであるように、私には感じられました。
 寒気がしてきたとき、スマホが震えました。
『ねえ まえの件なんだけど 相談していい? 暇だったら』
 いつものように夜遅くにも平気でLINEしてくる、メンバーの杏奈でした。
『いいけど、まえの件って、振った相手から飲みに誘われた件?』
『そうそう 断ったら殺されるかもって思っちゃって 断れなかった だから一緒に飲みに行ったんだけど そしたら また誘ってきた これって長引く感じだと思う』
『断らないとダメだよ』と私は応じました。
 どの口が言うかとは思いながら、殺人事件の発生確率がきわめて低い事実を告げました。西野プロデューサーの事件によって妄想的になるのは仕方ありませんが、実際、殺人事件は頻繁には発生しません。
『だよね どうにか断ってみる』と杏奈はLINEしてきました。
 杏奈に助言すると、私自身、冷静になれました。妄想が拡がらないうちに、コンビニを出て、自宅に帰ろうとしました。
 コンビニを出ると、肌寒い空気が満ちていました。二月中旬にも、冬の冷気がありました。
 私は、できるだけ明るい道を選び、歩きました。それまで頻繁に利用していた地下道がありましたが、そこは避けました。その地下道で、強姦や強盗が多発している事実を知ったのは、その数日前でした。
 歩いているうちに、殺人事件に関する情報がいくつも頭に浮かんできました。瞬く間に、冷静な自分がどこかに消えました。
 事故物件を確認できる事故物件公示サイトがありました。都内の事件の多さは一目瞭然でした。それを見てから、近くにも殺人事件が満ちている現実に直面しました。
 私のスマホに届く情報を参考にすれば、とくに危険な場所がありました。地下道や裏通りなどの人気のない場所でした。
 市内の地下道には、これでもかと防犯ベルが設置されていました。調べたところ、三年前に市内の地下道で通り魔的な殺人事件があり、それをきっかけにして、市内の安全化対策として、地下道の壁に二メートル間隔で防犯ベルが設置されたようでした。
 必要ないだろうと思える場所に、明るすぎる外灯を見つけた日がありました。スマホでちらっと調べると、その場所で殺人未遂事件があったのを知りました。
 殺人事件に関する情報が、いくつも頭に浮かんできました。自分の周りで、次々と人が殺されていくように感じました。
 どこかで、人が殺されているのは事実でした。それがどこになるか、わかりません。被害者が自分でないと確信するのは、楽観的でした。
 私は、頭に浮かんでくるさまざまな情報にびくびくしました。音楽を聴こうとも思いました。しかし、耳を塞ぐのは、自殺行為でした。
 防犯ブザーを握りしめながら、歩きました。
 前方に、ぼんやりと白い服を着た男が見えました。ランニング中なのか、はあはあ、と荒い息遣いが聞こえました。その男が、だんだんと近づいてくる。
 私を刺殺するつもりではないか。ナイフを隠し持っているのではないか。私は、恐怖のあまり、足がうまく進みませんでした。その場に立ちどまりました。冷や汗が流れました。直立した私の脇を、男は何事もなく走っていきました。
 幼稚な妄想から逃げるように、私は、小走りで歩きはじめました。少し進んでから、ちらりと振りかえりました。ランニングの男が遠ざかっていくのを見ました。
 なにを馬鹿な妄想を。自分を戒めると同時に、安心しました。安心感からスマホを手に取ると、ニュース速報が入っていました。タイトルは、『青谷未和を脅迫した中学生、逮捕』でした。
 警察の捜査により、ネット掲示板に『青谷未和を殺してやる』と書き込んだ都内の公立中学校に通う一四歳の女子生徒が逮捕されたとのニュースでした。取り調べにて、女子生徒は、「青谷未和の偉そうな態度が気に入らなかった。本気ではなかった」と述べていました。このファンの女子生徒はネット上で燃え上がっていました。
 心の安定していない子供のやること。そう思うと、私は、急激に、安心しました。本気で殺すつもりでないなら、嫌われるのは蚊に刺されるのと同じでした。私は、安心感を胸に自宅まで歩きました。そのときの私は、二月になって以来、最も警戒心が薄らいでいました。
 自宅に着くと、習慣で、自宅のポストを見ました。はがきが三枚。それとはべつに、ルーズリーフの切れ端が入っていました。手に取りました。
『許さない。殺してやる』
 シャーペンで殴り書きされていました。
ぞくりとしました。それを見た途端、息が乱れました。私は、その紙きれを放り、周りを見回しました。どこかから見ているのではないか。恐ろしい気持ちになりました。自宅に入れば、逃げ場はありません。過去に家屋内で発生したさまざまな殺人事件の情報が頭にあふれました。
 私は、走りました。自宅に背を向けて。

  第三章

     一

 コンビニに寄るだけのつもりだったので、私のリュックには、必要最低限のものしか入っていませんでした。
 私は家出をした経験がありませんでした。自宅に帰りたくないときはどこへ行けばいいのか。ググるしかありませんでした。全方位を見渡せる公園のベンチで、私は、スマホのsafariをひらいて、『家出  場所』とググりました。
 ラブホテル、ビジネスホテル、ゲストハウス、カプセルホテル、ネカフェ、カラオケ、ファミレス。私は、それらのどの場所でも、殺人事件が起こった過去があるのを知っていました。
 とくにホテル関係の事件は多いです。シリンダー錠なら簡単に開錠できるし、カード式のルームキーは複製がしやすいです。ダークwebでいろいろなホテルのマスターキーが売られているとの情報もありました。ホテル関係は最初に除外しました。
 カラオケは防音設備のせいで、店内で凶行が発生しても、気づけません。ひとつしかないドアからナイフを持った人が侵入すれば、終わりでした。ネカフェも閉鎖的で、危険でした。近場で、深夜に営業しているファミレスはありませんでした。
 考えた結果、私は、メンバーの加奈子にLINEしました。
『急にごめん。今日、泊めてほしい。お願い』
 すぐに既読がつきました。『二つも布団ないから、ソファで寝てもらうしかない』と返信がきました。
『ソファで、十分。いまから直行していいかな』
 迷惑なのは重々承知でした。加奈子は、『いいよ。待ってる』とだけ、返信してくれました。そのときの加奈子は、依然、ニジアメの活動を休止していました。再開のメドは立たず、自宅で休んでいる最中でした。
 加奈子に迷惑をかける自分を悔しく感じました。それでも、私は、あの恐ろしい紙切れから遠くへ行かねば、冷静ではいられませんでした。『許さない。殺してやる』。殺意の滲んだ文字でした。ネット掲示板への書きこみと、自宅ポストへの投函とでは、意味合いが大きく異なりました。
 私は公園を出て、足早に住宅街を進みました。日を跨ぎ、夜が深まっていました。加奈子の住んでいるマンションがあるのは、私が家族と同居する自宅の近くでした。公園を出てから三十分ほどして、加奈子のマンションに到着しました。
 マンションの玄関口で加奈子を呼び、マンションの玄関ドアを遠隔操作で開けてもらいました。マンションの玄関ドアの先にあったエレベーターに乗り、五階まで上がりました。『五〇三』号室が加奈子の部屋でした。部屋の玄関チャイムを鳴らすと、『はーい』と加奈子の声が出ました。
『未和ちゃん、早かったね。いま、開ける』
 すぐに、ドアがひらいて、加奈子の丸くて包容力のある顔が出ました。安心感。その一言に尽きました。私は、一瞬、涙が流れそうになりました。
「急に、ごめんなさい。迷惑だと思うけど、ソファだけでいいから」
「そんな恐縮しないで。いいの。ちょうど、未和ちゃんと話したいことがあったし。あとで話すから、とにかく上がって」と加奈子は歓迎してくれました。
 私はリビングのソファに座り、短く事情を伝えました。自宅のポストにあった『許さない。殺してやる』とシャーペンで書かれた紙きれへの恐怖で、自宅に入れず、行き場を失った私。自宅が特定された以上、切実な問題でした。
「警察に通報しないといけないね。でも、とりあえずは、ここでゆっくりして落ちつくのが先決。ここのセキュリティーはしっかりしてるから、安心して」
 私は、十分なセキュリティー設備の中で殺人事件が発生した事例をいくつも知っていました。外から侵入されるまでもなく、多くの場合、セキュリティーの中で殺人事件が発生します。しかし、加奈子は信頼できる人物だと私は認識していました。
「加奈子が犯人じゃなければ」と私がいうと、「犯人だったら、もう殺してるよ。殺すタイミング、めちゃめちゃあったんだから」と加奈子は笑いました。
「このお茶もわたしが先に毒見してあげる。わたしが死んだら、口つけちゃダメだよ」
 加奈子は、前と同じお茶を淹れてくれました。ソファだけでいいと言いながら、加奈子にお茶を用意してもらいました。恥ずかしくなりました。
 恥ずかしさを消すように、私は、加奈子より先に、用意してくれたお茶を口に含みました。あ、と口をあける加奈子に、私は「加奈子は信頼してる」といい、口の端を笑わせました。ふたりで笑うと、心の底から温まりました。
「話したいことってなに?」と私は訊きました。
「それは、あとで話すよ。わたし、まだシャワー浴びてないから、少しの間、浴びてくる。お菓子とか、なんでも食べていいよ」
 それだけいった加奈子は、お菓子を持ってきました。お菓子をつまみにお茶を飲みほした加奈子は、シャワーを浴びに風呂場へと向かいました。私はリビングにひとり、残されました。
 加奈子と会えてから、いくぶん心が落ちつきました。
 ひとりになったとき、私は、スマホを手に取る癖がありました。そのときも、すぐスマホを手に取りました。スマホのホーム画面に、『「ええよ、ええよ」殺人事件の概要』とのYoutube動画の通知がありました。
 私は、『「ええよ、ええよ」殺人事件の概要』を視聴しました。

 一三年前に発生した事件でした。全国規模では知名度がなく、事件の起きた大阪でのみ有名な殺人事件のようでした。試しにググりましたが、「ええよ、ええよ」殺人事件は出てきませんでした。
 当時、大阪市内の大学生だった女性が、同じ大学に通っていた友人女性を殺害した事件でした。事件当時、加害女性のマンションの一室に、被害女性が居候していました。ふたりは良好な関係だと周りから評価されていましたが、加害女性は、殺害の動機について、次のように供述しました。
『あいつは、わたしがいい人であるのをいいことに、居候しつづけた』
 ここでの『あいつ』とは、のちに殺害される被害女性でした。
『あいつは、わたしが断れない性格であるのを悪用した。本心では、わたしは、あいつを居候させたくないと思っていた。それをあいつは知っていた。わたしの本心も、わたしの性格も知っていて、「こいつなら押しとおせる」と考えた。心の底で、わたしを馬鹿にしていた。本心もいえない臆病さなのね、と馬鹿にしていた。わたしは、あいつの嘲りに耐えつづけた。限界だった』
 この加害女性の供述は、妄想とされているようでした。実際には、被害女性に、嘲りや蔑みの気持ちはありませんでした。のちに被害女性の日記から、加害女性に対して純粋に感謝しか抱いていなかった事実が明かされました。
 加害女性は、どうして妄想に陥ったか。明言はできませんでしたが、加害女性は、小さいころに両親から虐待された経験がありました。そのせいで、自尊心が弱くなっていました。自尊心が弱かったために、自責感が強まり、悪意のない友人女性に悪意を読みとったのではないか。そんな憶測がありました。
 事件以前、加害女性は、居候してほしくないとの本心を被害女性に一度も打ち明けませんでした。関係悪化を恐れたためだと思われます。被害女性の要望の多くに、本音とは裏腹に、「ええよ、ええよ」と応じていました。
 被害女性にとっては優しいばかりの友人でしたが、加害女性本人は、「ええよ、ええよ」と応じるのを屈辱的に感じていたようでした。
 この事件は、加害女性の口癖「ええよ、ええよ」から、「ええよ、ええよ」殺人事件と俗に呼ばれるようになりました。
 関係悪化を恐れて他人に対して厳しい態度をとれず、そんな自分に自尊心を抉られていた女性。人間関係における普遍性を感じさせる事件でした。
 加害女性のいた大学では、戒めを込めて、いまでも「ええよ、ええよ」殺人事件が語り継がれているようでした。「ええよ、ええよ」ばかりな友人には気をつけろ、との戒めでした。

 私は、突然に、恐ろしくなりました。加奈子は、どちらかといえば「いいよ、いいよ」となんでも引きうける性格でした。私の『泊めてほしい』とのお願いにも、二つ返事で『いいよ』でした。
「ええよ、ええよ」殺人事件の加害女性と重なりました。
 そのうえ、加奈子は小さいころに虐待された経験がありました。その経験と、加奈子の優しさに関連があるのか、わかりませんでした。可能性のひとつとして、自尊心の低さの影響で、他人からの――それも同じメンバーの青谷未和からの頼みごとを、断れないのではとも考えられました。
 偏見だとは思いながらも、現実的に考えなければいけませんでした。私が読んだ『異常快楽殺人』によれば、連続殺人鬼には共通して幼児期に虐待の経験がありました。虐待されたすべての人が連続殺人鬼になるわけではありません。
 しかし、虐待された経験のある人で自尊心が低くなる人の割合は、一般よりも高いはずでした。加奈子の優しさは、加奈子の内面的な事情によるのではないか。
 その場合、加奈子の本心はわかりません。表向きの『いいよ』の対応は、関係悪化を恐れているだけだと解釈できます。そう解釈すれば、私を部屋に上がらせたのは、本心からの対応ではありませんでした。いいように使いやがって、と心の中で毒づいている可能性もあるのではないか。
 短絡的だとは思いました。私は、一度、冷静になろうとしました。しかし、そのときには、ラブホテルで起きた殺人事件を思いだしていました。通称、ラブホ愛人殺人事件。ネットサーフィンをしているときに見つけた事件でした。

 いまから一〇年以上前に起きた事件でした。被害者の三〇代の既婚男性は、会社の部下である二〇代の女性と不倫関係にありました。ふたりは頻繁にラブホテルで肉体関係を結んでいましたが、既婚男性は本気ではありませんでした。一方で、愛人の女性は本気で既婚男性を愛していました。
 愛人の女性は、既婚男性に、家族と別れるよう説得しました。そのせいで、ふたりの関係はもつれていきました。既婚男性は、解決を図るためか、愛人の女性と肉体を交えるたびに二万円を払うようになりました。その扱いに耐えかねた末に、愛人の女性は、ラブホテルで既婚男性を殺害しました。
殺人犯となった愛人の女性は、警察での取り調べで、次のように供述しました。
『無警戒な状態の女性には、男性も警戒しない。もっとも無警戒な状態は、全裸のとき。全裸を晒してくれる女性を警戒する男性はそうそういない。もともと、女性より優位だと思っているのだから。そのうえ、女性が服を着ていなければ、完全に自分の所有物になったと勘違いする。だから、わたしは、全裸のまま、殺した』
 事件当日、愛人の女性は、「大切な話があるから、シャワー室の外で待ってて」と既婚男性にいい、ひとりでシャワー室に入りました。そのとき全裸だった愛人の女性の手には、すでにサバイバルナイフが握られていました。
シャワー室を出るときには、覚悟が整っていました。シャワー室の外で待っていた既婚男性のもとへ、全裸のまま行きました。サバイバルナイフを持った手を背中に隠し、「プレゼントがあるの」といいました。既婚男性が頬を緩ませた次の瞬間、背中に隠していたサバイバルナイフで、既婚男性の心臓を一撃しました。
 一撃だけで、既婚男性は動かなくなったといいます。
 ラブホ愛人殺人事件は、世の不倫男性を震えあがらせました。シャワー室から出てきた女性に刺殺されるとのストーリーが常識を打ち破りました。

 私は、ラブホ愛人殺人事件と自分のいる状況が似ている現実について、考えました。加奈子は「話がある」と言いおいて、シャワーを浴びに行きました。その状況はラブホ愛人殺人事件と同じでした。場所と人間関係が少し違うだけでした。
 シャワーを浴びおえたとき、加奈子は、なにを話すのか。私の頭に、加奈子の声が響きました。いいように使いやがって。こいつはなんでも聞いてくれるから、泊めてくれるだろう。そう考えたのか。人をバカにするのも大概にして。わたしはあなたの家政婦なんかじゃない。許さない。
 風呂場にいる加奈子の手には、ナイフが握られているのではないか。
 私は、疑惑を抑えられなくなりました。リビングで加奈子を待つのが恐ろしくなりました。
 シャワーを浴びる音が聞こえていました。シャワーを浴びながら、加奈子は殺人の覚悟を整えているのではないか。
 バカげている。何度も考えなおそうとしました。しかし、どんな殺人も、実際のところ、バカげていました。殺人犯に常識を持ちこむのは、ナンセンスでした。常識を失うほどの必要に迫られ、人を殺すのです。
 加奈子の声が頭から離れませんでした。活動休止中だから、暇してるんでしょ、とでも思ったの。どんなに苦しい思いで、わたしが活動を休止しているか、知らないのか。先輩であるのを忘れたのか。本心からバカにしているとき、本人には、バカにしている実感さえないみたい。絶対に、許さない。
 加奈子の入った風呂場は、玄関のほうにありました。加奈子がすでに刃物を手にしていたなら、風呂場から出てきた時点で終わりでした。逃げ場はありません。
 私は、リュックを背負い、加奈子の部屋を出ました。『ごめん。急用ができたから、出ていきます』と加奈子にLINEしました。

     二

 あてはありませんでした。私は夜を彷徨い、歩きつづけました。
 広い場所が安全かと思い、芝生の拡がった公園に行きました。芝生の中心に寝ころがり、スマホを見ると、午前三時でした。加奈子から『どうしたの。大丈夫?』とLINEが入っていました。申し訳ない気持ちがある反面、疑惑が拭えませんでした。加奈子には返信しませんでした。
 私は、芝生の中心で、うっかり寝ました。起きたのは、午前五時ごろでした。無防備な自分の態度に、ぞくりとしました。加奈子の用意したお茶に睡眠薬が入っていたのではないか。睡眠薬で寝かせて、殺すつもりだったのでは。私は、肌寒くなりました。
 このままではまた眠ると思い、その芝生の公園を離れました。夜の闇が残留する中、私は街を歩き、地下鉄の電車に乗りました。
 電車には、ぱらぱらと人が乗っているだけでした。少人数は怖かったですが、電車から離れられませんでした。
 とにかく、どこか遠くへ行きたかった。目的地はありませんでした。
 電車の中で、ニジアメのLINEグループに『体調不良のため、今日の活動は控えます』とメッセージを送りました。
 朝早くにもかかわらず、すぐにひとつの既読がつきました。
 間もなく、加奈子との個人LINEで『どうしたの。ちゃんと相談して』とメッセージが届きました。ニジアメのLINEグループに投稿した私のメッセージに真っ先に既読をつけたのは、おそらく加奈子でした。
 まだ起きているのか、と思いました。自分を情けなくも感じましたが、加奈子さえ信用できませんでした。私は、加奈子のLINEメッセージを無視しました。
 電車の中で夜が明けましたが、地下鉄だったので、暗いままでした。一瞬だけ、電車が地上に出たときは、朝の陽光が照りつけていました。
 ときどき乗り換えました。だんだん人の数が増えてきました。安堵が込みあげてきました。満員電車では、痴漢はあっても殺人はないだろうと思いました。マスクとサングラスをして、リュックを膝に置いて、ぎゅっと抱きしめました。その姿勢で、ずっと電車の座席に座っていました。
 ときどき眠りながら、朝の通勤ラッシュが過ぎるまで、電車の座席にいました。

 通勤ラッシュが過ぎてからも、電車の座席にいました。私のスマホには、ニジアメのメンバーやスタッフからいくつか心配のメッセージが届いていました。どのメッセージにも返信しませんでした。家族からのLINEもありましたが、返信しませんでした。
 単純に考えれば、私の住所を知っているのは身近な人でした。『許さない。殺してやる』との紙きれを私の自宅のポストに投函したのが、メンバーやスタッフである可能性も十分にありました。
 加奈子が話したのか、ニジアメのスタッフには、私への脅迫の件が伝わっていました。家族からは、脅迫の件を警察に通報したとの報せがありました。それで信用できるわけでもありませんでした。当然、『許さない。殺してやる』との脅迫文を書いたのが、私の家族である可能性もありました。
 午前九時ごろ、ネットニュースに『自宅に脅迫、青谷未和は行方不明』との記事が上がり、twitterを介して瞬く間に拡散しました。想像していた以上に、大きな事件になりました。さすがに怖気づいて、『無事です。行方不明じゃないので、安心してください』と加奈子にLINEしました。
『みんな、心配してるよ。戻っておいで』
 嘘つけ、と思いました。そう思う自分が嫌でした。胸が痛くなりました。加奈子には、もう、LINEしませんでした。
 しばらくして、私の公式twitterに、ゆるゆるぽんぽんさんから、DMが届いているのに気づきました。夜のような地下鉄の電車の中で、そのDMを読みました。
『ネットニュース、見ました。大丈夫なんですか。連絡が取れなくなっているとニュースにありましたが』
『無事に生きてます。誰かに追われているわけでもありません』
 じゃあ、なにから逃げているのだろう、と自分でも不思議に思いました。なにから逃げているのかは判然としませんでした。漠然と、私を殺そうとする不特定多数のイメージがありました。その不特定多数から逃げている感覚がありました。
『よかったです。返信があって、安心しました。実は、わたし、いま家出しているところです。お話ししてもいいですか』
 電車に揺られる中、私は、ゆるゆるぽんぽんさんの話を聞きました。
『まえにお話ししたとおり、わたしは、脅迫文のある紙きれを私のカバンに入れる犯人を録画するつもりでした。その動画を持って警察にいこう。そう考えていました。先日、私のカバンを監視するために友達三人に協力を要請しました』
 ゆるゆるぽんぽんさんは、『それ以来、ぴた、とわたしの通学用カバンに紙きれが混入されなくなりました』と続けました。
『友達の三人に話してから、です。それ以来、一度もありませんでした。犯人が犯行を辞めたわけです。犯人が監視されているのに気づいた可能性もあります。だけど……』
 ゆるゆるぽんぽんさんの考えが読みとれました。同じ状況にいたら、私も同じように考えたと思います。
『協力を頼んだ三人の生徒は、全員、女子ですか』と訊くと、『頼りがいのある男子はいないので』と返信が来ました。女子トイレの件から、ゆるゆるぽんぽんさんを脅迫する犯人は女性と判明していました。
 その三人のうちの誰かが、犯人。
『それで、わたし、今朝、学校にいこうとしたとき、怖くなっちゃって。いま、街をぶらぶらしてるんですけど』
『会いましょう。いまの私たち、どこかで会うべきです』と、そんな言葉が自然に出てきました。私は、ゆるゆるぽんぽんさんと、関東郊外で会う約束をしました。
 
 青谷未和が行方不明とのニュースが、Youtubeで盛り上がっていました。マスクとサングラスだけでは、誰かに気づかれる恐れがありました。そのため、私は、ある駅構内のトイレの個室で、リュックにあった眉毛切り用の小さなハサミを用い、ロングの髪をショートにしました。髪は便器に流しました。
 それで、見た目が大きく変わりました。サングラスは外しました。
 待ち合わせの場所は、関東郊外にある駅前広場のベンチでした。午後一時ごろに、待ち合わせ場所に着きました。約束のベンチには、すでに制服の女の子がいました。
「ゆるゆるぽんぽんさんですか。青谷未和です」と声をかけました。制服の女の子は、伏せていた目を上げました。
顔のパーツがどれも小さく、可愛らしい顔でした。ゆるゆるぽんぽんさんのtwitterに本人画像が投稿されていたので、本人とわかりました。
「アイカって呼んでください。本名です」と、緊張した面持ちながら、律義な声で応じてくれました。目が小さいせいでほとんど黒目だけ、愛らしい印象でした。
「アイカちゃんでいい?」
「それでお願いします」と、どこか硬い印象でした。Twitterでの投稿の砕けた印象とは違いました。悪く言えば、人見知り。良く言えば、しっかりしていて大人びている。私にとっては好印象でした。
 私たちは、あらためて、お互いに自己紹介をしました。
 アイカ――愛香ちゃんのベンチの隣に、私は座りました。目をちらちらと逸らしていく愛香ちゃんに、私は、私の本名を告げました。青谷未和は芸名で、本名ではありません。
 愛香ちゃんは、私の本名にさん付けをして呼び、「ネットニュースになってるけど、大丈夫なんですか」と心配の声をかけました。
「ネットニュースはデマだから、安心して。行方不明は言いすぎ。ニジアメのスタッフには、今日の活動は休むって伝えてある」
「でも、自宅のポストに脅迫文が入っていたのは本当ですよね」
 愛香ちゃんは、全身に力をこめるように唇を噛みました。それまで彷徨っていた愛香ちゃんの目は、私をじっと見つめました。「だね」と私は笑いました。
「愛香ちゃんと一緒になっちゃった。ずっと偉そうに相談に乗ってたけど、私のほうこそ、脅迫されたら、なにもできなかった。逃げるしか」
「わたしも、逃げました。怖くて」
 小さな顎を引いた愛香ちゃんは、俯いて、からからと乾いたコンクリートの地面を見ました。伏せた目の端で、私を見つめていました。
 なにを言ってほしいのだろう、と私は考えました。暗い表情をする愛香ちゃんはどんな言葉をかけられたいのだろう。はっきりと答えは出ませんでした。咄嗟に口から出てきたのは、「誰にもバレないから大丈夫」でした。
「どこか、行こ。せっかく、はじめて会ったんだから。カラオケとか、どう?」
 愛香ちゃんは、しばし黙り、「いいんですか」とぽつりといいました。
「愛香ちゃんがいいなら。いまの私たち、すごく気があうと思うでしょ?」
「そうかもしれないです。じゃ、カラオケで」
 愛香ちゃんは、ちらと私の顔を見て、「ショートヘアーなのも、わたしたち、同じですね」と私の髪形に言及しました。
「トイレで切ったの。髪の毛は便器に流しちゃった」
「便器」と愛香ちゃんは横顔のまま笑い、「そんな言葉が出てくるなんて思いませんでした」と続けました。
 そのとき、アイドルに会う緊張感の中に愛香ちゃんがいたのを知りました。私はひとおりアイドルがいわない言葉を口にして、愛香ちゃんを笑わせました。
 少しだけ打ち解け、私は、愛香ちゃんとともに近場のカラオケに向かいました。

     三
 
 駅前の雑居ビルの一階と二階が、カラオケでした。カラオケの入り口には自動販売機がありました。私は、愛香ちゃんにペットボトルのグレープジュースを買ってあげました。自分には炭酸サイダーを買いました。
「でも、カラオケ店って、フリードリンクですよ」
 愛香ちゃんが遠慮がちにいって、そのとき自分の天然さに気づきました。私は、「もっと、早くいってくれればよかったのに」と笑い、弱点を知られた恥ずかしさを誤魔化しました。
「思っていたより、人間ですね」
 小さな口でグレープジュースを飲む愛香ちゃんが、慎重に微笑みました。「ごめんなさい。失礼でしたか」と咄嗟に弁解しようとする愛香ちゃんでした。
 私は、炭酸サイダーを飲んでから、ゲップをこらえました。
「距離って、すごい力を持っているんだよ。ときどき、考えるんだけど。距離が離れるほどに、どんどんその人の本質から遠ざかっていく。画面を通したり、文章を通したり、音声を通したり。遠い距離があると、その人の本質は見えなくなっていく。私って、ホントはバカなんだ。頭いい人だと思ってたでしょ」
 私は、大阪の出身大学の偏差値を告げました。私が卒業したのは、いわゆるFラン大と呼ばれる偏差値の低い大学でした。愛香ちゃんは顔には出しませんでしたが、内心は驚いたはずです。
 私には、孤高の天才とのイメージが漂っていました。それは自覚していましたが、私の内面はイメージとは不一致でした。
「私、テストだけじゃなくて、日常生活でもバカなの。バカだから、ちゃんと対応できないんだ。西野プロデューサーが殺されたときだって、みんなについていくべきだったのに、わかんなくて。思考停止になって、ステージにそのまま佇んだりしちゃって。私がいつも無表情でいるのは、なにも考えてないからなんだ。アイドルなのに笑顔でいようとか考えてないから、それで、サイコパスとかフランス人形みたいになっちゃう。クールを気取るだけの頭もないよ」
「ごめんなさい。いやなこといったんだったら」
「気にしてない。いやじゃないし、傷ついてもないから、安心して」
 私は、にこりとしました。
「そっちが私だって、わかってるから。距離が遠くなると、本当の私が、べつの意味に書き換えられる。対面して話せば、ああ、この人、ちょっと抜けてる人なんだな、ってすぐにバレちゃうのに。ときどき、バレなかったりするけど」
 杏奈だけは、私を頼りにしていました。私も、頼りがいのある人になろうとしました。愛香ちゃんのDMでの相談にも全力で応じました。本当の私がバレないようにと冷や冷やしながら。
 本当の私は誰かに憎まれるほどクールな人ではありませんでした。むしろ、クールな人になりたかったです。
 何度も炎上して耐えてきました。耐えられたのは、炎上をどこかで楽しむ気持ちがあったせいかもしません。大勢の人に、炎上するくらい対等に見られることがどこか嬉しかったのです。
 それにくわえ、炎上しても無傷な自分に溺れていました。
 もともとバカだった私は、いつからか、周りから押しつけられたミステリアスなキャラクターを演じていました。ミステリアスなキャラクター――青谷未和を演じる芝居は、私にとって理想のようでした。ちゃんとしていない現実の自分から目を逸らすための芝居でした。
 加奈子は私を「ちゃんとしている」と表現しましたが、それは加奈子の優しさに過ぎませんでした。
 杏奈以外のニジアメのメンバーはみんな、青谷未和の実態について気づいていました。朝日警備員も、気づいていたと思います。ただ天然で世間知らずなだけ。カッコつけているが、ことごとく成功していない。そんな私は画面を通せば、ミステリアスで魅力的な女性になる。同時に、アンチも出てくる。画面を通せば、私の自己呈示は成功しました。私は、本当の私を否定するように、青谷未和を演じていました。
 もともとアイドルを目指した理由も、浅はかでした。私は、本気で、小さいころの初恋の相手に出会えると思い、アイドルになりました。
 サイン会や握手会では、パターン化された対応を繰りかえしました。お客さんがサイン会で会えるのも、画面越しの青谷未和と同じでした。
 現実的で、冷静な女性。データ主義的なクールな女性。相談があれば、適切に素早く応じられる大人な女性。現実をよく理解していて、豊かで、奥深い女性。奥が深すぎて、ミステリアスな女性。
 私の本名を知らせた愛香ちゃんの前では、そんな青谷未和を捨てたいと感じました。私の分身である青谷未和は、誰かの殺意を醸成する役割も果たしていました。それ以上、青谷未和でいたくはなかったのです。
 私は、青谷未和の虚像から逃げていたのかもしれませんでした。
「ちょっと脅迫されただけで、怖くなって逃げてきちゃったし。人間として終わってるんだよ、私」
 加奈子は、私を見捨てずにいてくれました。そんな加奈子を信用できなかった私は、終わりでした。私は、泣きそうになり、笑いました。
「決めた。いま、この瞬間、青谷未和は自殺します」
 私は愛香ちゃんにむかって自殺表明をして、カラオケに入店しました。自動ドアを入るとき、思いきり、ジャンプしました。

 カラオケの個室で、私は思いきり歌いました。加工されていない私の歌声は、素人より少し上手なだけでした。青谷未和ではないホンモノの自分――本名の自分でいられました。愛香ちゃんは、最初は遠慮していましたが、少しずつ声が大きくなりました。
 カラオケの個室に入ってから一時間ほどしたとき、私と愛香ちゃんは、一緒に流行りのJポップを歌いました。そのあと、何度も一緒に歌いました。
 私は、ニジアメの楽曲を歌いませんでした。愛香ちゃんも、ニジアメの楽曲を歌おうとしませんでした。

 カラオケにいるとき、愛香ちゃんのスマホが何度も震えました。愛香ちゃんの親からの電話でした。愛香ちゃんは、「信用できない」といい、親からの電話を無視しました。
 愛香ちゃんは、私と同じように親からのLINEを無視していました。成人女性として私がとるべきだったのは、愛香ちゃんに家に帰るべきだと説得する行いでした。しかし、私は一切、愛香ちゃんを説得しませんでした。
 家に帰らないほうが安全だと、私たちは考えていました。
 カラオケの途中で、私たちのいるカラオケの個室のドアのむこう――摺りガラスのむこうを、何度も人影が通りました。愛香ちゃんは、そのたびに、びくりと肩を震わせました。私は、愛香ちゃんの肩をそっと撫で、元気づけました。
 私たちの頭には、同じイメージが浮かんでいたはずです。私を殺そうとする不特定多数のイメージ。消えようもなく膨らんでいたイメージでした。そのイメージを生んだのは、スマホから流れてきた膨大な情報でした。私は、カラオケの個室の中でスマホの電源を切りました。
 そのスマホの小さな画面が忌々しく思えました。その画面から膨大に流れてきた情報は、私を怯えさせただけでした。私が怯えるのを、面白がってさえいました。愛香ちゃんも、同じでした。
「わたしも、毎日、Youtubeで殺人に関する情報を調べていました。どうしても知りたくて。そんなの、知らないほうがよかったのに」
 私は、マイクを通して、大きな声でいいました。
「知りたいものだけが見えるようになるなんて嘘だよ。だって、ホントにそうだったら、私は初恋だけを見ているはずだから。愛香ちゃんも、そうだよ。殺人事件なんて知りたくなかった。知りたくない情報のほうこそ、吸収しちゃうんだよ」
 愛香ちゃんは、私のアドバイスに応じて、自分のスマホの電源を切りました。死んだスマホの画面は黒光りしていました。そのデスマスクは、いまにも動きだし、なにかをしゃべりそうでした。
 午後四時ごろまで、私たちは、カラオケで歌いつづけました。カラオケの個室を出るとき、私たちは、それぞれのスマホを個室内のゴミ箱に放りました。

 カラオケを出たときには、私たちは、とても打ち解けていました。ハトに占領された公園のベンチで、愛香ちゃんは、私に問題提起しました。
「なんで、殺したくなるほど誰かに嫌われちゃうんだろう」
「嫌わなくても、殺したくはなるよ」
 私は、少々躊躇しながらも、ジョン・レノン殺害事件について話しました。殺害の動機は憎しみであるとも限らない。有名人という事実が、殺害の動機になる。愛香ちゃんも、twitterではフォロワーが多く、ちょっとした有名人でした。
 愛香ちゃんは、twitterでは『ゆるゆるぽんぽん』という意味不明な名前でした。
「わたし、べつの人になりたかった。自分が好きじゃなかったから。Twitterで自分じゃない人を演じていると、いつのまにか、クラスでも人気者になった。嬉しかったのに。誰かに殺されそうになるなんて思わなかった」
「私と似てるね。なんで、私、アイドルになったと思う?」
 首を傾げた愛香ちゃんに、私は、初恋の話をしました。
「いつも初恋の相手に発信しているつもりで、カメラの前に立ってた。でも、発信された情報は、私を嫌う人や、私を悪用する人にも届く。そこまで考えてなかった。届けたい相手がいて発信するけど、その相手はイメージとはかなり違ったのかもしれない」
「それなら、わたしも」
 愛香ちゃんは、口早に告白しました。
「ホントは、わたしも、twitterで発信するときは、好きな人のこと考えてる。あの人に届けばいいなって。あの人に見てほしいなって。直接だと、自分を出しにくいし」
「目の前の相手にいえない思いを、遠くの誰かに届けたくなるんだね」
 遠くで情報を受けとった受信主体は、往々にして、発信主体とはべつの情報として解釈します。憎しみを増幅させる情報や、自分のために利用するための情報として。
 勘違いしやすい受信主体に限った話ではありませんでした。私が悲しみを込めて発信した西野プロデューサーへの追悼コメントは、多くの受信主体に、偽善者の情報として届きました。意図したとおりに発信するのは困難でした。
「もう、スマホ、捨てちゃったんだし。考えるのはやめようよ」
 私は、ベンチから立ちあがました。スマホがポケットに入っていないだけで、軽く感じました。愛香ちゃんもベンチから立ちあがり、にこりとしました。
「スマホなんて、いらない」
 それが、そのときの私たちの共通の考えでした。欲しくない情報が流れ込んできて、与えたくない情報を誰かに与える携帯端末。そんなもの、捨てて正解でした。
 私は、マスクをしたまま、愛香ちゃんと駅前の商店街を歩きました。どちらも無言でした。互いの中身が見えたので、話す必要性を感じなかったのです。愛香ちゃんといるだけで、不特定多数への恐怖が薄らいでいきました。
スマホからの情報よりもずっと良質な情報が、なにも話さない愛香ちゃんから流れてきました。人間とはなにか。愛香ちゃんから流れてくる情報によって、私は、心の底から安堵しました。

 午後四時半ごろ、ぱらぱらと雨が降りはじめました。分厚い雲が流れてきて、いまにも激しくなりそうでした。私も、愛香ちゃんも、自宅に戻る気はありませんでした。日常的な場所が、すでに恐怖に塗り替えられていました。私たちは、雨が強くなる前に、駅前のビジネスホテルに入りました。
 私の本名で契約し、ツインルームでの宿泊を決めました。フロントで契約をする際、電話番号の記入欄には、カラオケで捨てたスマホの電話番号を記入しました。先に宿泊料金を払い、部屋に上がりました。
 八階のツインルームに入ると、真っ先にテーブルと椅子を移動させ、部屋の入り口前を塞ぎました。ホテルのカード式のルームキーは複製がしやすいとの情報を私は持っていました。万が一、開錠されても、侵入不能にするための対策でした。
 私と愛香ちゃんは、ベッドに寝ころがり、のんびりしました。テレビはつけませんでした。窓はオレンジのカーテンで閉ざし、外界の情報を遮断しました。いかなる罵声も、憤怒も、正論も届かない部屋でした。
 隣室の物音や話し声が聞こえました。私たちは、なにも話さずに、ベッドでごろごろしました。生き急ぐ社会の隣でそっと息を潜めるように。その静かな空間が私にとっての平穏でした。

     四

 午後六時ごろから、窓にあたる雨が強くなりました。ばしゃばしゃと耳に響くようになりました。隣室の物音は背景に没して、やがて消えました。雨音に隔離されるように、私たちの平穏と孤独は深まっていきました。いつのまにか、カーテンのオレンジが暗くなり、ダークオレンジに変質しました。
 いつまでも、この空間にいたい。そんな厭世の思いに胸が苦しくなりました。それも含めて、私は、停まったような時間を味わっていました。
愛香ちゃんがようやく口をひらいたのは、午後七時前でした。
「お話ししてもいいですか」
 愛香ちゃんは、窓側のベッドに仰向けに寝ころがり、小さな目で天井を見つめていました。私も、同じように白い天井に向きなおり、「いいよ」と応じました。激しい雨音に似つかわしくない、ささやくような優しい声で愛香ちゃんは話しました。
「これは、ある小さな女の子の話なんですけど。ある日、女の子は、夜中に眠れずにいたんです。隣にはお母さんとお父さんがいて、どちらもぐっすりと眠っていました。女の子だけ、起きていました。その夜のこと、遅い時間に、急に、ガチャンと玄関ドアが開く音がしました。女の子は考えたんです。誰か悪い人が家に入ってきたんだ。隠れなければいけないって」
「なんで、怖い話なの?」と訊くと、「とにかく、聞いてください」といわれました。雨の音が強くなっていました。
「それで、女の子は、その部屋のカーテンの裏側に隠れたんです。部屋の中に入ってきた誰かが、部屋の中をぐるぐると歩く気配がしました。しばらく歩きまわったあと、その誰かが、男の声でつぶやきました。『女の子がいない』」
 ぞくりとしました。
「『女の子がいない、女の子がいない、女の子がいない……』、何度もつぶやいて、ぐるぐる歩いていました。その誰かは、ついに諦めたのか、その部屋を出て、その家を出ていきました。カーテンの裏側に隠れた女の子は、恐ろしい気持ちになって、その場から動けなかったんですけど」
 愛香ちゃんは、振りむいて、私のほうを無表情に見ました。
「その場で固まっていると、背後の窓ガラスが、コンコン、とノックされたんです。叫びそうになって振りかえると、窓のむこうに、ひげ面の男がいました。その男は気味悪く笑い、はっきりと、『見つけた』といったんです。女の子は、ついに叫んで、窓から離れ、お母さんとお父さんに抱き着きました。お母さんとお父さんが起きました。女の子は、震える指で窓ガラスのほうを指したんです。お父さんがカーテンをめくると、もう、そこには男はいなくなっていました」
 私は、室温が下がったかのように全身が肌寒くなりました。こちらを見てめてくる愛香ちゃんの小さな目を凝視しました。
「その話って、もしかして、実話なの」
「わたしが子供のときの体験です。ずっと忘れていたんですけど、脅迫されるようになってから、思いだしちゃいました」
 愛香ちゃんは、柔らかく笑い、「シャワー、浴びてきていいですか」と許可を求めました。私は、どうにか頬を持ちあげて、うなずきました。
 愛香ちゃんがシャワー室に入ってから、私の頭の奥からは悪質な情報が次々と浮かびました。強烈に浮かんだのは、ビジホ愛人殺人事件のイメージです。そのときの状況に重なりました。
 愛香ちゃんの入ったユニットバスの扉に、外側から鍵をかけたくなりました。次に出てくるときには、サバイバルナイフを握っているのではないか。途端に、愛香ちゃんを信用できなくなりました。
 考えをめぐらしているうちに、私の頭の中で、愛香ちゃんが私を殺害する動機が完成しました。愛香ちゃんが片想いを寄せている好きな相手は、青谷未和のファンなのではないか。そのせいで、愛香ちゃんは私を憎んでいるのではないか。頻繁にDMを送って私と距離を縮め、ゆくゆくは私と二人で会って殺害するつもりだったのではないか。
『許さない。殺してやる』との脅迫も、愛香ちゃんではないか。
 私は、愛香ちゃんに恐怖する自分が悲しくなりました。その悲しみを覆すほどのスピードで、愛香ちゃんがサバイバルナイフを握るイメージが増幅しました。
 バカげているとは思いませんでした。不用意に人を信用する人のほうが、バカげていました。いくら殺意を持っていても、それを大っぴらにする人はいません。表面上は隠すに決まっています。
 いまさっきの愛香ちゃんの無表情が浮かびました。その無表情の裏側に、抑えがたい殺意があるのを感じました。
 愛香ちゃんが怖い実体験を唐突に話した背景が見えました。愛香ちゃんは、自分に溺れている。可哀そうな自分を演じている。殺人を正当化するための、心の準備なのではないか。私には、そうとしか思えませんでした。自分に酔いしれたまま、私を殺すつもりではないか。
 愛香ちゃんの無表情が呪いのように頭に焼きついて、離れませんでした。私は、リュックを持たないまま、ツインルームを出ました。

  第四章

     一

 強く雨が降っていました。私は、傘も持たずに外に出ました。雨のほうが、むしろ、外出する人が少なくなり、安全だと感じました。
 駅前の商店街には、大勢の人がいました。居酒屋がいくつもあり、会社帰りのサラリーマンが群がっていました。私は、布製のマスクをして、顔を伏せて、足早に歩きました。居酒屋から漏れてくる笑い声に、ぞくぞくしました。自分の存在を誇示するような、自己本位的な欲望のように感じました。
商店街を抜けると、人のいない狭い道路を歩きました。
 ショートの髪は濡れ、額にべたりとくっつきました。身に着けていた服は水着のように身体に密着しました。黒くて重たい雲に空気が押しつぶされたように、いつもより空気を重く感じました。酸素濃度が低いような気がしました。マスクが濡れたせいで、息苦しくなっていました。
 私は、息を吸おうと大きく口を開けました。凶器のように冷たい雨水がマスクを通って口に入ってきました。窒息しそうになり、強く息を吸いこみました。誰かの唾液のように混入物の多そうな雨粒が咽喉を流れていきました。吐き気を覚えました。
 地面にぶつかる雨粒は、いちいち、隕石のようなインパクトで飛び散りました。そのせいで、雨は上からだけでなく、下からも降ってきました。激しい雨音で周囲の音が遮断されました。
なにも聞こえない。
 私は、背後をちらちらと振りむいて、慎重に歩きました。息ができませんでした。なるだけ口を大きく開け、空気を飲みました。すうすうと鼻が鳴りました。一軒家の塀のむこうや窓のむこうに目を走らせました。窓のむこうにいる人たちの視線が、悪意に満ちていました。
私を殺そうとしている。
 息ができませんでした。とにかく、空気を飲みました。どこまでも空気を求めて歩きました。
 私は、その地域で起きた殺人事件をいくつも憶えていました。
 居酒屋での口論の末の殺害事件。もともと関係の悪かった上司と部下が酒が入ってから凶暴化し、部下がフォークで上司の眼球を突き刺す。フォークは脳まで達して、上司は死亡した。婦女強姦殺人事件。買い物帰りの四〇代の主婦が二〇代の男に路上で強姦され、首を絞められて、殺害された。
 私の白い服は雨に濡れて透けていました。悪意の視線が方々から飛んでくるのを感じました。私を見て、なにかをささやいている。その言葉は、雨音にかき消されました。『青谷未和 裸』の検索規模が100以上あった事実を思いだしました。
 女子小学生レイプ事件。傘を持たずに下校途中だった女子小学生を目撃した犯人は、性的に興奮し、公園の陰で女子小学生を犯し、ナイフで刺殺した。
 激しい雨音のむこうから、いろいろな声が聞こえてきそうでした。私は、両手で耳を塞ぎました。両手を強く押し当て、いろいろな声を遠ざけました。
 それでもまとわりつく声がありました。背後が気になり、ちらちら振りむきました。なにをしゃべっているか、わかりませんでした。聞こえないのが怖くて、両手を耳から離しました。それでも内容は聞こえず、声は消えました。
 私を殺そうとする大勢がそこら中にいる。
 氷を浴びたように冷たい全身が震えました。冷たくて、息ができませんでした。私が無機物になっていくように感じました。冷たく硬直し、動くのもやっとでした。一歩ずつ前に進み、どこかに向かいました。空気を求めていました。
 暗い道が続いていました。スポットライトのような外灯の下には行けませんでした。それは、窓からの悪意の視線に自分を晒す行為でした。私は、外灯を避け、暗い道をひたすらに進みました。
 トラックが一台、前方からやってきて、私の隣で停まりました。運転席のサイドガラスがひらいて、無精ひげの中年男性が出ました。
「お姉ちゃん。大丈夫か。傘、持ってないのか。危ないぞ。乗せてもいいけど」
 腹の底から張り上げた声でした。
 女子大生連れ去り殺人事件。当時女子大生だった女性が、友人らとBBQをしたあとで仲間外れにされ、自棄になって通りがかったトラックに乗車したところ、そのまま殺害された。
 私は、ぞくりとして、途端に走りました。中年男性の濁った目が悪意に満ちているのを見逃しませんでした。あの人は私を殺そうとしている。呼吸が乱れて、息ができませんでした。空気。空気。空気。私は、トラックが見えなくなるまで、走りました。
 通りすぎていくすべての車の中に、ぎょろりとした目玉がありました。じっと私のほうを見て、なにかをささやいていました。なにをしゃべっているか、わかりませんでした。その目的だけは、十分にわかりました。私を死の世界へ連れていこうとする、死神の目玉でした。
 私は、重たい足を前に進め、暗い道を歩きつづけました。ちらちらと全方位に目を走らせました。ある一軒家の二階の窓に、同世代の女性がいました。スマホを耳にあてたまま、私のほうをじっと見降ろしていました。
 警察に通報された。殺される。
 私は、また走りだしました。パトカーに追われているように感じました。捕まったら殺されるに違いない。私は、息ができませんでした。鼻の奥も、喉の奥も、詰まったような感覚がありました。空気を求めていました。パトカーが空気を吸いとりながら、私に近づいてくるようでした。
 警察官による暴行事件。暴行されたとの嘘の証言を信じた警察官が、一〇代の少年を壁に押さえつけ、危うく圧死させかけた。
 足が絡まり、うまく前に進めませんでした。私の口から、たくさんの雨が咽喉へと落ちていきました。咽喉の奥が冷えて、息ができなくなりました。必死に息を吸いこんで、走りました。
 一台の自動販売機が近づいてきました。白いカーテンとなった雨のせいで視界不良でしたが、自動販売機は、ぼわんと白い明かりを放っていました。私は、少し安心して、自動販売機まで一気に走りました。半分以上のドリンクが売り切れで、売り切れを示す赤いランプがいくつも点灯していました。拒絶されたように感じ、私は、自動販売機から逃げました。
 コンビニをひとつ見つけました。その自動ドアは私を歓迎していないように閉ざされていました。
 コンビニを過ぎてから、店舗の並んだ通りに出ました。傘を差した人たちが行き交っていました。私は、耳を塞ぎ、前のめりになり、思いきり走りました。すべての店舗の入り口が私を拒絶しているように見えました。空気。空気。空気。私は、酸素濃度の高い場所を探しました。
 繁華街での通り魔殺人事件。三年前、その通りの近くに住んでいたニートの男が、通りを歩いていた面識のない二〇代の女性を三人、ナイフで刺殺した。「女性は、大人になっても可愛がってもらえる」と絶叫したあと、ナイフを胸に刺して自殺した。
 通りは悪意の視線で充満していました。目が合ったら殺される。私は死に物狂いで通りを走りぬけました。
 通りの出口には、高架下の公園がありました。公園の木々やコンクリートの地面だけ、ありもしない曇り空を写したように暗い色を吸収していました。
 明かりのない、小さな公園でした。
 私は公園の敷地に入り、はじめて足を止めました。ずぶ濡れになったマスクを外しました。いっぺんに空気が入ってきました。冷たい空気が鼻の奥を突きました、私は、胸に手を当て、息をしました。
 公園だけが土砂降りから免れていました。神聖不可侵の神の気配がありました。私は、ひたすらに空気を吸いました。降りしきる雨の白いカーテンがない公園では、黒々とした闇が目立ちました。
 暗闇の背景に、愛香ちゃんの無表情が浮かんできました。テレパシーのように視線だけで、愛香ちゃんは殺意の多くを語りました。
 加奈子の無表情が浮かんできました。その暗い視線が私を見ていました。少しも横目を振らずに、じっと、私だけを見ていました。
 私は、西野プロデューサーを刺した犯人の男の顔を思いだしました。西野プロデューサーが刺される前、ステージにいた私と、犯人の男は目が合いました。あのときから忘れていました。当時は、恐ろしくなり、私はステージ上に佇みました。
 私は、暗い公園でひとり、思いだしました。
 西野プロデューサーが刺される前に、私は、犯人の男を目撃しました。あの男はなにをしているのだろう、と思いました。気になりながらも目を逸らしました。
 その直後、その男は西野プロデューサーを襲いました。襲撃の瞬間は見ませんでしたが、私は、たしかに犯人の男は目撃し、目まで合わせました。それなのに、目撃していないと嘘を吐き、自分を騙しました。
 犯人の男の目が私を凝視しました。大きく開いた目。血管が浮いた目。殺意としかいえない感情がその内側で渦巻いていました。
 メンバーの由美の無表情が浮かびました。批難の色をしていました。杏奈の無表情も浮かびました。私の無力を責め立てました。
 次々と浮かんでくる無表情の中には、家族もいました。いくつもの殺意を前に、私は絶叫しそうになりましたが、それすらできませんでした。無表情の背後に佇むのは、個人的な遺恨に限りませんでした。あくまでも殺意であって、それ以上の意味は無数に存在しました。
 私がひとり、肩を上下させながら公園に佇んでいるときでした。
 公園の入り口から、雨合羽を着た男が入ってきました。は、は、は、と息を吐きながら、かなりのスピードで走っていました。
 遠くから、男の目が私を睨んだように見えました。その目がいくつもの人たちの睨みと重なりました。
 私は、パニックになりかけ、かろうじて、ボックス型の公衆トイレに逃げました。
 内側から鍵をかけました。入った瞬間に照明が点いて、びちょびちょに濡れた私を照らしました。銀色の冷たい扉のむこうで、ランニング中の男が遠ざかっていく気配がしました。私は、肩の力が抜け、息を吐きました。
 トイレの鏡には、骸骨のように細い私が写っていました。ひんやりとした空気が流れていました。
 ゴキブリが五、六匹いました。それぞれの床の位置に固まっていました。私は、ゴキブリを踏まないように気をつけ、便器の蓋の上に座りました。
 息は荒いままでした。全身はひどく冷えていました。頭には、いくつもの無表情が留まっていました。
 それでも、鍵のかかった空間にいるだけに、強く安堵しました。この空間にいれば、誰にも殺されない。私は、確信を得て、ようやく大きく呼吸しました。
 世界の大きさに圧倒されていた私は、子供のように無力でした。代わるがわる頭に浮かんでくる無表情たちは、ランダムなスライドショーのようでした。どの顔も、私を殺そうとする固い絆で結ばれていました。
 その公衆トイレの中で、自分を落ちつけようとしていたときでした。
 コン、コン、コン、と突然、銀色の扉が外側からノックされました。私は、ぞくりとしました。『許さない。殺してやる』との殴り書きの文字が、頭に浮かびました。

     二

「青谷さん。大丈夫ですか。バディの朝日です」
 銀色の扉のむこうから、朝日警備員の声がしました。一瞬、理解が追いつきませんでした。『許さない。殺してやる』との文字が頭に浮かんでいました。私は、半信半疑ながら訊きました。
「ホントに、朝日さんですか?」
「ホンモノです。俺しか答えられない質問をされてもいいですよ」
「朝日さんの変な癖は?」
「ぶつぶつと独り言をつぶやいてしまう癖ですかね。それ、俺じゃなくても答えられると思いますけど」
 朝日警備員の低い声に、私は、安堵しました。どこかで似た安堵を覚えたことがありました。小さいころ、祭りで迷子になったときに声をかけてくれた男の子の安堵感と同じでした。私の初恋の男の子。私は、冷たい銀色の扉をスライドさせました。
 遠くに聞こえていた雨音が近くなりました。
 そこには、ひとり、警備服の上から黒いジャケットを身にまとった男がいました。大きな目を微かに細めて、混じり気のない真剣な視線を送ってきました。私は、なにか言ってもらえるのではと期待し、言葉を待ちました。
 しかし、すぐ、言葉を発するのは、私のほうだと気づきました。
「ごめんなさい。一応、スタッフさんにはLINEで休みますって伝えたんですが」
「それだけじゃ、みなさん、心配するでしょう。急に家を出ていくなんて」
 朝日警備員は、強い口調でいいました。
「どれだけの人が青谷さんに関わっているか、自覚してください。無責任にもほどがありますよ」
「ごめんなさい。わかってはいるんですけど、どうしても怖くて」
「わかってないから、怖くなるんです」
 朝日警備員が一段と厳しくなるのを前に、はっとしました。私は、繰りかえし言い訳していました。指摘されるより先に、私は、前言を撤回しました。
「わかってなかったし、自覚もしてなかったです。どれだけ大きな問題になるか、想像もできなくなっていました」
 スマホのせいで、と付言しようとした口で、べつの言葉を続けました。
「ごめんなさい。アイドルとしての自覚を見失っていました。『許さない。殺してやる』との脅迫文に対しても、適切な対処ができませんでした」
「まったく、わかってないです」
 朝日警備員は、厳しい顔のまま続けました。
「未成年者を連れまわすのは、本人の同意があったとしても誘拐です。保護者さんの監護権を侵害し、不当に未成年者を支配する行為だからです。ホテルに連れこむなんてどうかしています」
 私は、一瞬、言葉が出なくなりました。かろうじて出てきたのは僅かな疑問でした。
「どうして、愛香ちゃんをご存じなんですか」
「詳しくはあとで話します。とはいえ、未成年者の保護者さんがどれだけ心配したか、想像もできなかったんですか。無責任とかのレベルじゃないです。言わせていただきますが、ただの犯罪者ですよ。未成年者の保護者さんがもしも親告すれば、青谷さんの今回の行動は懲役刑になります」
 私は、ぞくりとしました。法令には詳しくありませんでしたが、それこそググれば簡単に手にできた情報でした。殺人者を恐れた私は、いつのまにか、自分自身が罪に問われる立場になりました。
 朝日警備員の前で、私は、悔しくて泣きました。私が必死に集めていた情報はなんの役に立ったのか。いくらでも情報が手に入る携帯端末を、どんなに不適切に利用したか。加奈子にも、愛香ちゃんにも、心の底から申し訳なく思いました。
 朝日警備員は、私をじっと見つめてから、さっと斜め上方に目を逸らしました。顎に手を持っていくと、「厳しすぎたか? いや、こういう流れをドラマとかで見たことがあるから、正解では。しかし、ドラマと現実は違うとも聞くし。もうちょっと、優し目でもよかったのではないか。その可能性はある。とりあえずは、無事でよかった、みたいな感じでどうか」とダダ洩れの内省をしました。
「青谷さん。とりあえずは、無事でよかったですよ」
「それ、わざとやってるんですか」
 私は、笑いながら、右腕で涙を拭いました。朝日警備員はなにも答えず、「どうぞ」とビニール傘を私に差しだしました。
朝日警備員はビニール傘をもう一本、持っていました。
 私がビニール傘を受けとると、朝日警備員は黒いジャケットを脱ぎました。「これも、どうぞ」と渡してきました。私は、服が透けているのを思いだしました。「すみません」と、慌てて黒いジャケットを着ました。
「いえ」とうなずいた朝日警備員は、ぐんと胸を張りました。
「ひとまず、カフェにでも行って、お話ししますか。もし銃撃されそうになっても、代わりに俺が撃たれるので安心してください」
 真っすぐな言葉に、既視感がありました。私は、機先を制しました。
「防弾チョッキを着ているんでしょう」
案に相違して、「いいえ」と、真面目な言葉が返ってきました。
「命の限りに守りぬく。そういう仕事だからです」
 強気な言葉に全身が痺れましたが、「よし、きまった」と続けてつぶやいた朝日警備員の言葉で、すぐに萎えました。

 近くのカフェに入りました。二人ぶんのコーヒーを頼むと、私を見つけるまでの経緯を朝日警備員が説明しました。
「今朝、行方不明届が青谷さんのご家族から提出されまして、警察が動きました。『許さない。殺してやる』との脅迫文のせいで、事件性があったからです。青谷さんはLINEでは応じてくれましたが、それが青谷さんとも限らないですし。電話にはいっこうに出ないわけですから」
「電話に出る気分ではありませんでした」
 私は、頭を下げました。
「加奈子さんの部屋に、青谷さんは、行きました。加奈子さんがシャワーを浴びているうちにいなくなったあとの足取りについては、わかりませんでした。加奈子さんや青谷さんのご家族が何度も青谷さんに電話をしたのですが、出なかったので。ところが、今日の午後五時ごろです。急に加奈子さんが電話をかけたときに、つながりました。出たのは、カラオケの店員でした」
 スマホをカラオケのゴミ箱に捨てたせいでした。
「それで、青谷さんが、都内のこの地域に来ていることがわかり、俺たちは警察とともに、この地域にやってきました」
「俺たちというと、誰が含まれているんですか」
「青谷さんのご家族や、ニジアメのスタッフさん、それに、自宅療養中だった加奈子さんまで心配して駆けつけています」
 私は、それほどの事態を想像できていませんでした。
「警察は、この地域一体のホテルに、青谷さんが来ていないかの確認をしていました。青谷さんがホテルに泊まる可能性が考えられたからです」
「私がカラオケに行った事実から、ただの家出だとは考えられなかったんですか」
「同行者がいましたからね。カラオケの店員さんが、青谷さんは高校生の女の子と一緒にいたと証言してくれました。その事実から、万が一、その高校生の女の子に青谷さんが脅されて連れまわされている可能性もあると考えられました」
 私は、なにも言えなくなりました。
「今日の午後七時ごろ、あるビジネスホテルに、青谷さんの本名を名乗る人物と高校生の女の子が、ツインルームの宿泊契約を結んだ事実が知れました。そこで、そのビジネスホテルに警察が駆けつけたのですが。しかし、部屋には、高校生の女の子がひとりでいるだけでした」
「それが、愛香ちゃんだった」
「そうです。さきほど、警察に保護されました。ホテルの部屋で見つかったとき、彼女はひたすら泣いていたようです。警察官に対して、『また裏切られた』と言ったようです」
 私はなにをしていたんだろう、と急にぞっとしました。
「未成年者のその女の子への聞き込みによって、彼女がシャワーを浴びているうちに、青谷さんが部屋からいなくなった事実がわかりました。ビジネスホテルの周辺の捜索が始まりました。俺たちも青谷さんを捜しました。さきほど、俺が、店の並んだ通りで青谷さんを捜しているときでした。青谷さんが傘も持たずに通りを駆けていくのを見つけたので、追いかけました。青谷さんがあの公園のトイレに入っていくのを見ました。しばらくトイレの外で待っていたのですが、なかなか出てこないので、ノックを」
 私は、思わず、何度も謝りました。自分の犯した過ちの大きさを、ようやく実感していました。
 カフェの入り口から、加奈子が入ってきたのは、そのときでした。

     三

 加奈子は、入り口で足を止めました。私のほうを見て、一文字に口を結びました。なにかを言いたいのを我慢しているような顔でした。
 私は、反射的に、席から立ち上がり、一歩、下がりました。そこにいるのは加奈子でした。私のよく知っている加奈子のはずでした。しかし、私には現実の加奈子よりも恐ろしく見えました。
「未和ちゃん。訊きたいことが、たくさんある」
 加奈子の声には、怒りが滲んでいました。一歩、私のほうに踏みだしました。
 私は、もう一歩、下がりました。『異常快楽殺人』で読んだ残虐な殺人の数々が浮かびました。偏見だと否定しようとしました。それでも、私は恐ろしく感じました。
「来ないで。そこにいてください」
 大きな声で加奈子を制して、朝日警備員をちらりと見ました。朝日警備員は、首を横に振りました。
「未和ちゃん。わたしが、怖いの? なんで、わたしを怖がってるの」
「わかんない」
 詳しく話せませんでした。私の頭で、さざまな殺人事件の数々が呼び起こされていました。加奈子はいま、ナイフを隠し持っているのではないか。信じてもらえなかった怒りから私を殺害するつもりではないか。似たような殺人事件を、私は、いくつも知っていました。
 私は、朝日警備員を見ました。
「加奈子を、止めてください。私、怖いです」
 そんな間抜けな言葉を口にしなければいけませんでした。朝日警備員はまた首を振り、呆れたように息を吐きました。カフェ店内の人たちは、なにが始まったのかと興味津々に私のほうを見つめました。
 私は、加奈子を睨みました。
「来ないでください。私に近付かないで」
 加奈子は、唇を震わせ、また一文字に口を結びました。挑戦するように、一歩、私のほうに近づきました。
「疑心暗鬼になってるの? 脅迫文を書いたのがわたしだとでも思ってるの。そんなのバカげてる。誰がやったかはわからないけど、わたしのわけないでしょう」
 私は、悔しくなりました。歯を食いしばり、加奈子に訊きました。
「昨日の夜、話があるって言ってたのは、なんだったの」
「未和ちゃんの炎上の件だよ。わたし、スタッフさんに相談して、未和ちゃんの演出を変えたほうがいいんじゃないか、って何度も話したの。そのままの未和ちゃんのほうがかわいいし、未和ちゃんにとっても適してると思ったから。スタッフさんから検討してみるといわれたから、それを未和ちゃんに伝えようと思ったの」
 さらに悔しくなりました。
「脅迫文を書いたのは、誰なの。まだ、わかってないんでしょ」
「わからないけど、わたしじゃない」
「絶対に、加奈子じゃない、って信用していいの」
「信用してよ。当たり前じゃん。わたしは未和ちゃんを苦しめたりしない」
 膨大に情報が流れてきました。すごく単純な情報。しかし、それは何ギガバイトもの情報でした。
 私は、数々の殺人事件を頭から押しだしていきました。必要なのは、加奈子の言葉だけでした。優しい加奈子の言葉だけ。私は、自ら、一歩踏みだしました。それを見た加奈子の頬を涙が伝いました。涙を堪えていたのだと気づきました。
 私は、最初の一歩を皮切りに、加奈子へと近づいていきました。悪意など見えなくてよかったのです。私は駆けだし、加奈子を抱きしめました。加奈子も、私を抱きしめました。
 悪意など見えなくてよかったのです。
 本当に、悪意など見えなくてよかったのです。
 私は、いつまでも、その空間にあふれた夥しい情報の渦に身を預けました。この情報をデジタルに保存して、いつでも思いだしたい。そんな欲望が誰からも否定されずに、私の中で踊りました。
 私は、カフェの入り口で、恋人のように加奈子を抱きしめつづけました。

 同日、私は、朝日警備員とともに、愛香ちゃんのいる警察署へと行きました。署内の静かな一室に、愛香ちゃんは警察官と一緒にいました。愛香ちゃんは私を見るなり、目を逸らしました。警察官と朝日警備員には退出してもらい、私は、愛香ちゃんの向かいに座りました。
「勝手にホテルの部屋を出て、ごめんなさい。愛香ちゃんを裏切ったつもりは少しもなかった。それだけは信じてほしい」
 私は、一文字ずつ重々しく言葉を口にしました。愛香ちゃんの小さな目が私を見据えました。愛香ちゃんは、ぽつりと「わかっています」といいました。
「わたしも、同じ気持ちだったからです。正直、一緒にいて怖い気持ちもありました。殺されるんじゃないかと妄想も拡がりました。ごめんなさい」
 私は、首を振り、こちらから謝罪しました。
愛香ちゃんと直接会ったのは、それが最後でした。それからはずっとtwitterでのDMでしかやり取りしていません。

     四

 以上が、私の遺書です。この遺書を最後に、私は芸能活動を辞めます。最後に、軽く後日談を記しておきます。
 愛香ちゃんとは、現在でもやり取りがあります。愛香ちゃんは脅迫を受けた事実を家族に話し、その後すぐに転校しました。転校してからは脅迫はなくなり、日々、勉強に励んでいます。
 いまでも、ときどき誰かに殺されるような気がするのだと言います。私も同感です。
 ちなみに、愛香という名前は仮名でした。ゆるゆるぽんぽんというtwitterアカウント名も仮名です。
 愛香ちゃんの保護者さんには私のほうから直接に愛香ちゃんを連れまわした顛末を説明し、謝罪しました。誘拐罪として問われることはありませんでした。
 メンバーだった加奈子は、結局、カメラの前に戻れずに、芸能活動を引退しました。いまでもLINEでのやり取りが続いています。具体的に加奈子の現在を語るのは控えますが、加奈子はとても元気です。私との関係も良好です。ときどき、一緒にカフェに行ったりします。
 周知のとおり、メンバーの杏奈は、一般男性との密会をスクープされ、ニジアメを脱退しました。私が忠告したあとも、杏奈は、亮太なる人物の誘いに乗っていたようです。杏奈は現在、モデルへと活躍の場を変え、頑張っています。
 朝日警備員は、架空の警備員です。読みやすく、かつ、深刻になりすぎないよう、本遺書に導入しました。実際には、私には専属の警備員はいませんでした。雨の夜に私を発見したのは、朝日警備員ではなく、尾山プロデューサーでした。
 本遺書は、読者のストレス軽減のために、ややオブラートに包んで記されました。実際には、より深刻な恐怖があったと明記しておきます。
 また、アイドルとしての私の社会的影響から、実際の殺人事件の事例を取りあげられなかった場合もありました。その場合、実際には存在しない殺人事件の事例を自作しています。ご了承ください。
 現在、ネットを騒がせているメンバーの由美については、簡単に、私のほうから説明します。地球は平面だとバラエティー番組で主張した由美ですが、あれはウケを狙った発言ではありません。由美は、本気で、地球は平面だと考えています。
 由美は、Youtubeで、地球は平面だと主張する動画を繰りかえし視聴したようです。オススメ機能によって似たような動画ばかりが出てくるため、地球は平面だと信じこんだものと思われます。
 笑いごとではないと思うのです。
 私は、現在も、殺人事件を恐れています。青谷未和を辞めたあとは、殺人事件を防ぐための活動に参加したいと考えています。アイドル活動の中で、それくらいに強烈な体験をしました。
『許さない。殺してやる』との脅迫をした犯人は、いまだ不明のままです。
 くれぐれも、皆さま、情報の取捨選択にはご注意ください。情報の取捨選択に失敗した経験者としてのアドバイスを最後に、青谷未和としての活動を終えます。
 いままで、誠にありがとうございました。

              (了)