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◯拷問投票247【第四章 〜反対と賛成〜】

 


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 自動運転タクシーの運転席に長瀬が座り、佐藤龍を助手席に座らせた。車内は涼しく、まだ朝とはいえ外よりも居心地がいい。
 長瀬は、すぐさま東京地裁を目的地に設定した。できる限り早く到着するように指示を出すと、到着までに二十四分かかるという予想が出た。現在、午前七時三十五分。午前八時までに間に合うか間に合わないか、際どいところである。
「あとはタクシーを進めてくれるAIに期待するしかありません」
「ですね」
 佐藤の声は小さく、覇気がない。長瀬は、構わなかった。
「このAIはリアルタイムの道路状況を考慮しているので、おそらく渋滞に巻き込まれることはなく、予定のとおりに到着します」
「ですね、はい」
 打ち切るような無礼な相槌によって、会話は途切れた。佐藤になにがあったのかは知らない。親を疎ましく思っている少年のような雰囲気だ。それ以上は言葉を交わさないまま、タクシーは出発した。
 沈黙の青空に手を伸ばしている建物の群れを、法定速度ぎりぎりのスピードで走り抜けていく。
 まだ安心しきれない長瀬だが、無事に裁判員のひとりを捕まえて、ひとまず息を吐くことができた。
 コンビニのイートインコーナーを飛び出してから、まだ、三十分も経っていない。長瀬には、ここに至るまでに半日は過ぎたような気がする。
 午前七時過ぎ、オフィス街の片隅にあるコンビニのイートインコーナーにて、都内の一部の電車が止まったというニュースを見たとき、長瀬の頭には最悪のシナリオが浮かんできた。裁判所へと電車で向かう予定だった裁判員たちが時間までに到着できず、投票権を剝奪され、拷問投票法第五五条第三項の規定により、補充裁判員で補充できなくなった裁判員たちの票が反対票として加えられる、というシナリオだ。
 補充裁判員はふたりしかいないので、かりに補充裁判員のふたりがどちらも時間通りに裁判所に到着したとしても、三人の裁判員が遅れれば、一票は反対票になることが確定してしまう。
 言うまでもなく、拷問投票における裁判員たちの存在感は大きかった。
 十票のうちの六票を裁判員たちが握っているので、裁判員たちだけでも過半数をとることができる。
 しかも、裁判員たちがいちばん賛成票を入れやすい。事件を法的な問題と捉える裁判官や、少ししか事件の内容を知らない国民などとは違い、一般の感覚で生々しい事件の内容を見てしまった立場なのだから、当然である。いままでの拷問投票において裁判員たちの賛成率は七割を超えている。
 一票とて、反対票を確定させるわけにはいかない。
 長瀬は、コンビニを出てから、すぐさま自動運転タクシーを捕まえた。とりあえず最寄りの駅まで進むように設定し、平和刑法の会のかつての代表だった川島にスマホで電話をかけた。
 具体的な状況を説明している暇はなかった。買収計画のときに収集した裁判員たちに関する情報をまだ持っているなら、そのすべてを送ってほしい、と単刀直入に頼み込んだ。川島は少し訝しんだが、いますぐに欲しい、必要だ、あとで説明する、と慌ただしく畳みかけると、折れてくれた。
 幸いにも、川島の持っていた情報は優れていた。買収していただけのことはある。裁判員たちの氏名や性別、顔写真のみならず、住所や趣味、仕事、性格まで、とても詳細な情報をつかんでいる。
 途中で加わった裁判員や補充裁判員についての情報はなかったが、現在も裁判員である五名の情報を手に入れることができた。
 長瀬は、川島からメールで送られてきた裁判員たちに関する情報を、谷川と高橋実との三人のグループチャットに投稿した。
『この裁判員たちを裁判所に到着させなければ……。裁判員たちの住所と地裁との位置関係からどの交通機関を利用するかを特定して、混乱に巻き込まれている裁判員がいるならば、なんとしてでも地裁まで送り届けなければ』
 メッセージを投稿した途端、ふたつの既読がついた。
 十秒くらいして、谷川から返信が来た。
『動かせるだけ、人を向かわせるよ』
 それから三秒ほどで、高橋実からも来た。
『支持者の方たちに協力を求めてみます』
 長瀬も長瀬で、電車の運行停止によって身動きができなくなっているかもしれない裁判員を助けに行くことにした。