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◯拷問投票278【第四章 〜反対と賛成〜】

 毎日、いろんな人が首を吊って死んでいった。ネット上では一瞬のうちに拷問への賛成票が集まり、耐え難い精神的な拷問が非合法に繰りかえされた。死んだあとになって、実はあの情報は間違いだったんです、となることもあった。誹謗中傷をしてしまった人たちが糾弾されて、やっぱり死んでいった。
 言葉が、人を殺す。
 間違った言葉も、正しい言葉も。
 弁解の言葉も、魂の叫びも、義憤に満ちた言葉も、人を殺す。
 ネット社会は、お互いに殺されそうになって殺しあいながら、どっちが正しい殺人なのかについて論争しているように見えた。
 この戦場では、あくまで言葉で戦っているという予防線を誰もが張っている。べつに殺すつもりはないのだという自己正当化が、おそろしく狡猾だった。本当は、気に入らない人、頭に来る人、許せない人を、思う存分に殺してやりたい、と思っている。本音が滲み出てきている。
 おそらく、人間というのは、刑罰と他人の目さえなければ、平気で、いくらでも、残虐に、人を殺すだろう。
 いきすぎた悲観だとは思えなかった。
 ちょうどそのころ、第二回目の拷問投票が実施された。老人ホームに火を放って四人を殺害した犯人に対する積極的刑罰措置について、投票した国民の七割が賛成した。
 佐藤は確信を強めた。やはり、人間というのは、相手が気に入らない人なら、その人の苦しみを願い、その人が死ぬことに喜びを覚える動物なのだ。日常生活では、理性がストッパーになっているだけだろう。
 拷問投票を通して人間の本質がじわじわと明るみになっていく中、佐藤は、お前を殺してやりたい、という悪意の視線をより強く感じるようになった。この社会にはいつからか攻撃があふれている。
 野蛮だと思った。お互いの醜いところを攻撃しあい、それで、なにか、いいことがあるのだろうか。
 心の底から浮かび上がってきた佐藤の反発を、都合よく装飾することができたのは、あのときの言葉だった。

――わたしは蛇になりたくない。毒蛇には。毒蛇を退治するために戦うんじゃなくて、自分が毒蛇にならないように戦う。そう決めてるんです。

 はじめて耳にしたときは違和感を覚えた言葉だが、あらためて思い出すと、なによりも高潔に思えてきた。
 社会から非難されようと、受容されようと、どちらにせよ、毒蛇は毒蛇。正しい殺人としての地位と権力を手に入れたにせよ、それを手に入れることに失敗したにせよ、やはり、毒蛇は毒蛇。違いはない。間違った毒蛇も、正しい毒蛇も、毒を含んでいる時点でどんぐりの背比べだ。
 佐藤は、記憶の中の言葉に励まされ、心の中での悪意のイメージの増幅を抑えることができた。
 俺という存在は、小学校で教えられたように純潔ではない。だが、厄介なものを抱えながらも、折り合いをつけていくことができる。醜いものも受け入れ、適切に対処できているのなら、なにも問題はない。俺を攻撃する毒蛇を真に受けるべきではないし、俺も毒蛇になるべきではない。
 彼女の優しく力強い言葉が、そう思わせてくれた。
 社会全体が毒を撒き散らしだした時代の中で、彼女の存在こそ、迷宮の出口へと向かう地図のようだった。
 まさか再会するときがくるとは、思ってもいなかった。