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◯拷問投票257【第四章 〜反対と賛成〜】

 違うんだ。よく聞いてくれ。あのとき、目の前で群れていたのは全部、人型ロボットだと思っていたんだ。嘘じゃない。瞬きだって遅かった。だったら、全員を確認したのか、だって? そんな正論を言われたら、なにも言えなくなっちゃうだろ。さすがにそれは性格が悪いよ。神に誓って言う。人間が紛れてるなんて、思ってなかった。あれはただの器物損壊罪だった。
 弁解している自分の姿があまりにも異常に思えてきて、反射的に自分のことを絞め殺してみたくなった。
 想像を深めているうちに、このまま黙ったままでいることのストレスが、長瀬に声をかけることのストレスよりも大きく膨らんでいた。
佐藤は、小さな声を絞り出した。
「常に正義の側に立つことができたら、楽なのかもしれません。このタクシーはすでに正義じゃない」
 批判のつもりではなかったが、長瀬は強く反応した。
「違います」
 峻厳な横顔で語る。
「正義は常に正義じゃない。誰かにとって正義じゃないことを正義としてやりぬくことは楽なことではありません」
 グサッ、と胸に刺さった。長瀬の言う通りであった。この世には、常にすべての人に喜ばれ、歓迎される正義など存在しない。純なる正義というもの自体が、そもそも幻想でしかないのだ。
「これは個人的な見解ですが」
 長瀬は、さらに言葉を続けた。
「おそらく、人間の行為はどれも、それ自体では善の性質も悪の性質も備えていないのでしょう。人間は、この中性的な行為の数々を、独自の方法で分類していく。ここでひとつ重要なのは、『独自の方法』というのが、人間一般に特有の方法ではなく、個々人によって違う方法だということです。人間たちはさまざまな方法を持っていて、それぞれに違う結論を導くことになり、すると違うもの同士で議論や喧嘩を行わなければいけなくなり、そして、仕方がないから多数決で決めようということになる」
「はあ」
 佐藤は、正直、あまり理解できていなかった。
「それで、なんですか?」
「いま、わたしは難しい哲学を展開しているわけではなく、現実的な妥協について話しているのです」
 長瀬の声に力がかかっているのは、気持ちが昂っているからだろうか。それとも、手動運転に緊張しているからだろうか。なお横顔は険しい。
「つまり、正義など存在しないが、いままで人間は正義らしいものを多数決で決めてきた。そこで得た結論は正義の近似です」
 そこまで聞いて、長瀬が言いたいことがようやく伝わってきた。正義は在るものではなく、人為的につくりだすものだ、と。
 自然の生み出した動かない原則ではなく、流動的な人工物。