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◯拷問投票219【第三章 〜正義と正義〜】


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 それから引き続いた怒涛の展開の本当の意味をしっかりと理解していたのは、もしかしたら、長瀬と川島だけかもしれない。あの夜の長瀬の自宅リビングでふたりだけで交わされた言葉たちはあの時空に取り残されている。
 SNS上で拡散した音声データについては、多くの国民からフェイクだろうとみなされた。平和刑法の会としても、これといった反応は見せなかった。  そのうち静かに忘れ去られていくかに見えたが、まったく違った。時を置かずして、今度は、平和刑法の会の幹部たちが裁判員の買収計画について小さな会議室で話し合っているところを捉えたものと思われる映像が流出した。ほぼ同時に、とある大衆向けの週刊誌にて、元裁判員だった男性が買収されたことを認めた。もはや、フェイクだと思う人のほうが少なくなった。
 まずはSNSで燃え上がり、いろいろなインターネットテレビに飛び火して、地上波のニュース番組まで炎の手が伸べた。
 数日のうちに、平和刑法の会として、記者会見を開くことになった。すでに情報が固められており、無罪を主張することはできない。
 やつれた様子でカメラの前に現れた川島は、過去の自分を否定するかのように、オールバックではなくストレートの前髪だった。マイクの束の前で深く頭を下げると、第一声で言った。
『三人の裁判員を買収した件につきましては、すべて事実でございます。細かいところでは誤解も生じておりますので、この場を借りて、わたくしの口からひとつずつ説明させていただきたいと思います』
 フラッシュに包まれながら、川島は、糾弾の中心で肩を縮めていた。力強さに満ちた声はどこかに消え去り、小さな声でつぶやくように語る。
『まずは、買収の件についてですが――』
 裁判員の買収疑惑については、全面的に認めた。やはり目的は裁判を遅らせることで国民の関心を薄めることだった。
 川島はまた、流出した音声データも本物であることを認めた。音声データの中で語っている拷問投票制度にて拷問に反対する理由については、組織を代表したものではなく、あくまで川島個人の考えに過ぎない、と説明した。組織として重視していたのは、やはり人権のほうだった。
『一部には、経済界から資金援助があったのではないか、という噂もありますが?』と、記者のひとりが質問した。
『そのような事実はございません』
 川島は、しかつめらしい顔をしていた。
『わたくしの背後に、経済的な利害関係における賛同者がいた、などということはございません。経済制裁を防止するためにも拷問を発動してはならない、というのは、あくまでもわたくし個人の考えです』
『だけれども、お金がかかりますよね。ひとりずつに五百万ということですが、これはどこから出てきたお金ですか』
『平和刑法の会としましては、活動に共感してくださった方々から、多くの寄付金をいただいておりました。それを使わせていただきました』
 活動資金の問題については、長瀬も、詳しくは知らない。経済界からの援助もあったのかもしれない。