あの日の「ちびまる子」には、もう会えない
「ちびまる子ちゃん」は、昨年はTVアニメ化30周年。今年は登場35周年だという。わたしは『りぼん』連載時も知っているけれど、熱心なファンでもない……こういう人って、実は少数派なのかもしれない。少なくとも「250万乙女」はいたはずなのだが。そんな立場から、今日は早稲田アカデミーの広告と、舞台化の話をします。
まる子、塾通いをおすすめする
昨年から早稲田アカデミーの長期キャンペーン「まる子、本気になる。」も好評のようだ。中学生になったまる子と仲間たちが3Dで登場するのだが、季節が変わるたびに更新されている。
わたしは最初、このシリーズは「変だ」と思っていた。まる子が妙に前向き過ぎて「いい子」なのだ。しかし、最近放映されるTVアニメを観るたびに、しみじみと思う。もはや、あの「まる子」はいない。いまのまる子が中学生になったなら、言いかねない。
時代に合わせたのか、少し目を離していたすきに、登場人物が変容してしまった。そういうことなら仕方ない。
まる子、いつの間にか年をとる
けれども、それなら「ちびまる子」ではない作品でも良かったのではないか……? などと考えたくなる。とはいえ、それを否定するだけではすまされない。視聴者の声を無視してしまう。多くの人から支持されているのも事実なのだから。
となると、こんな仮説が成り立つ。毎週必ずTVに登場し、ゆるやかに変化している2Dちびまる子を観る安心感は捨てがたいとされている。ステレオタイプとして固定された日常を、無意識にあるべき理想として仮託しているのかもしれない。マンガのスタートから35年が経過したということは、実質的には半世紀ぐらい前の風景が描かれている。視聴者は無意識のうちに、世代を超えた連なりを形づくっているのだ。これはつまり……保守という形なのかもしれない。
実は『りぼん』連載当時すでに「このお話は、作者が小学生時代を思い出しながら描いている昔の話です」という前提を共有しているので納得していた部分もある。今の10代はどう思っているのか、気になるところだな……!
まる子、憧れの2.5次元になる
それからなんと。35周年を記念した舞台化の話も出ている。安定のネルケプランニングということは、大野くんと杉山くん確定では。ケンタはどうするんだ。実在の人物で小学生はちょっと……さすがに……と思ったら……。
高校生になった3年4組男子が登場。
……番外編が過ぎる。「僕、はまじ」なのか?
さくらももこは、高校生になった自分(まる子ではない)の短編マンガも描いていた。エッセイマンガみたいなもので、そこには生身の自分を登場させていた。造形はまる子の延長ではあるのだけれど、別人格だった。子どもながらに「ちびまる子ちゃん」という作品を覆うガラスドームの存在を感じた。そんな聖域に踏み込んでしまうというのだ。令和はすごい。
こんな時代に、あの日の「ちびまる子」はいない。だからもう、無理やり探さなくてもいいような気がしている。とつぜん、どこかで会えたらうれしいけれど。
※この記事は100円で販売していますが、月額300円のマガジンに含まれています。月額購読の方に限り、期間外の記事も開放中。仕事中のランチから広告関連のレビューまで、広告業界の辺境地から見える風景を更新します。
ここから先は
¥ 100
もしもサポートいただけたら、作品づくり・研究のために使います。 よろしくお願いいたします。