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5.療育を始めた経緯

息子が6か月になったころ
療育に通い始めた
育休中で通いやすいということもあったし
もちろん息子だけが要因ではなく
いくつか要因があった

その1 娘の聴こえ方に衝撃をうける


娘は2歳とちょっと
なぜか!!
カンパーイ
しか言わない・・・

しかも
「Eテレ いないいないばあ」で流れていた
♪もりのふくろうさん

「ふくろうさん ふーふー
ふくろうさん ふーふー」
という歌詞の部分を
「てぃーだーばー ふーふー
てぃーだーぱー ふーふー」
という風に歌っていた・・・

補聴器も1歳過ぎからずっとじゃないけどつけてたし
いないいないばぁ観てるときは高確率で補聴器つけてたし
それでもこの聴こえ方!?
と思ったら震えた。。。

もう
難聴児2人抱えて
全然知識もない自分
そんな私がこの人たちを育てられるわけがない
私ではどうにもできない
と思ってた
もう
人の力をかりるしかない
そう思って
市内に新しくできた
支援学校にお世話になることにした

その2 父親の障害受容の具合

一番最初の記事でふれたように
旦那は受容するのに時間を要した
それ自体は、無理やり受容しろってったって
難しい話だと理解はしてたし
どうアプローチしても難しいなと感じてた
だから、母である自分がとにかく行動するしかないと考えていた
「障がい者が通うところだよねそこ」
とはいわれたけど→うちのこは障害児じゃないしっていう旦那の気持ちw
もう、話がかみ合わない旦那の理解を待っていたら
この子たちの発達は遅れて行ってしまうのではないか
そして私にはそれがどんなレベルなのか
今は大丈夫なのか
さっぱりわからない不安のほうが大きくて
旦那の反対を押し切って支援学校に行くことにした

その3 初めての共感

支援学校に伺ったら
そこには長女と同い年の男の子とそのママがいた
そして
そのママは
自分の子供は障害者手帳持ちなのにもかかわらず
「中等度難聴って手帳ももらえなくて
意外と聴こえる反応もあって
逆につらいよね」

共感してくれた
それが
本当にありがたくて
そのママに救われたと思った

ほかにも
担当してくださった教員も
とてもやさしくて
常に
「十分おかあさんがんばってますよ」
と支持してくれて
十分ではないと自分では感じていたけど
安心して相談できる場所をみつけることができた

そこから
療育というにはほど遠くて
まず自分の頭を整理する作業からはじめたわけだけど

相談できる場所ができて
本当にありがたい日々が始まった

次回からは現在に戻ります
時系列的にはこの記事の次は
「娘の療育」へと続きます ☆

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