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1231自分で自分を独りぼっちにしちゃったんだよね

2007年の初夏、私は教育実習にいった。
大学生活のハイライトの一つだ。
あれは本当に楽しかった。
事情があって母校にいけなかったのでよりにもよって男子校で教育実習をするという異例の事態だったため、
対して年の変わらないお姉さんが先生をしにくるのだからそれはそれは大騒ぎだった。
生徒にはもちろん、ほかの実習生にもモテモテだったし、何なら指導してくれた教員が最終日に電話番号を渡してきた。
さすがにそれは気持ち悪すぎる。
チクったらあの教員クビだったのではないだろうか。

あの思い出は今でも宝物だし、本当にやってよかったと思う。
終わってしまったときは本当に寂しかった。
だが帰ってきてその余韻に浸る間もなく、知り合いから一通の連絡が来た。
自分がカメラマンをしているバンドレーベルで今度ジャケット撮影をするのだがモデルになってくれないか、と。
私は表に出ることに興味がないのでモデルなんぞしたことはなかったが、
女子大生に面白そうなことを断るマインドは全くないのでやっぴーな感じでOKをした。
今思うとこれで私の人生は随分と変わった。

少し話を脱線させたい。

社会学の授業を大学で受けていたときに言われて今もよく考える内容がある。
「人は思っているほど自分だけの意思で選択をしているわけではない」というものだ。
要は生まれた国、環境、家庭、性別、時代、などなど産まれた瞬間人はたくさんのラベルをいきなり背負うことになる。
その時点である程度の道筋は絞られているという理論だ。

「今あなたたちは自分の選択や意思でこの教室にいると思っているかもしれないがそれは違う。ここは学費の高い私立、そして国際性が高い。ということは全員ではないとはいえ大半がある一定の経済力を持ち、国際性の意識が強い家族がいる環境で育っている」

たしかに。
誰と友達になるか、誰と付き合うか、これも自分で選んでいるつもりでも、何かしら共通するものがある相手ということになる。
自分が生まれた瞬間に背負ったもののどれかで共感しあえるから距離が近くなるのだろう。
特に学生のうちは余計に「道筋」みたいなものが狭いのだろう。

しかし、その「ジャケットのモデルになってくれないか」の一言である意味それまで自分の道筋としてなかったものが生まれた気がしている。
教授の話にもあるが、私はまあまあいい大学を出ている。
大学に入るまでも私立の一貫校。
その中でうちは貧困層だったのではないかと思うが、父は年間何百万もかかる学校に通わせるだけの稼ぎがあった。
特別甘やかされもしなかったが、周りにはまあひどい甘やかされ方をしている人間もいた。
そういう環境で育つと何か常識みたいなものがひん曲がる。
もちろん悪意はない。
マリーアントワネットがケーキでも食っとけというのと同じ。
それしか知らないので、それが当たり前なのだ。

そんなスーパーインキュベーターのような中で育ち、自分が「お嬢ちゃん」といわれてしまうような言動をとっている自覚もないまま、突然バンドの中に放り込まれた。
世間知らずで悪気なく自分がお姫様だと思っているし、インターナショナルに育って敬語の概念もなくそれはそれはやばい20歳の私は、
それはそれはやばい要素しか持ち合わせていない上に人の精神のパーソナルスペースをものすごい勢いで侵害する特性も持っているために、
初めて会う人たちにものすごく馴れ馴れしい勢いで突っ込んでいった。
しかも年が10以上も上の人たちもいた。
今思うと恐いもの知らずにもほどがあるだろうと思うが結果今があるのでそれでよかったのだろう。
当時は今より日本語もへたくそだったので具体的になにを言ったかは覚えていないが色々と発言で困惑をさせた記憶もある。

ものすごい勢いで接してくる上にさらにやばかったのは、その時撮影のために着替えなければならなかったのだが何の恥じらいもなくいきなり撮影場所であったマンションの屋上で着替えようとした。
その勢いでいきなり着替えられるといやらしさも微塵もないので、そのとき男性しかいかなかったのだが逆にみんな目がそらして完全に動揺していた。
動揺というか、どちらかというと「こいつの頭は大丈夫なのか」という不安だった気もする。
ただ、一つ言い訳をしたい。
私にはガチのモデルも知人もいる。
ランウェイ裏では皆おっぱいを放り出して走り回って急いで着替えてランウェイに出てを繰り返しているのを知っている。
なのでそういうものなのだろうという認識のもと行った行動であって、いきなり街の真ん中で着替えたりするようなモラルの持ち主ではない。
迷惑が掛からぬようさっさと着替えてしまおうと思っただけだ。
結果皆の精神に迷惑をかけることにはなったのだが。

撮影だけして終わりも何なので、今度ライブを見に来ないかと誘われた。
洋楽限定だが、ヒューマンジュークボックスのごとく音楽は聴くので二つ返事で行く約束をした。

なんだこのクソ楽しいところは。
新しいプレイグラウンドを見つけてしまった子供のような気持だった。
これまでお金で手に入る世界しか見てこなかった私は初めてお金で手に入らない世界を目の当たりにした。

「私も何かしたい」

そんな思いから少しずつ色々なことを手伝っていつの間にかスタッフをしていた。
別にバンドメンバーとどうこうなろうみたいな興味は一切ないし、
レーベル内の他のバンドにも同様の気持ちだったが、一般的にこれがどう見えるかは理解できる程度の知能はあったので、
一定の距離を保っておかしな勘違いが起きぬように立ち回ることを心がけていた。
むしろ勘違いをされたらこちらが迷惑くらいの気持ちだった。
ナルシストは健在なので、私なんかがこんな人たちに引っかかるわけないでしょ、やめてよ的なクソっぷりである。

さてそんな大学生活、そしてそのまま社会人生活もバンドとちょこちょこ共にして、話を少し早送りしよう。

2015年、私は失踪した。
理由は色々あったが、いざこざがあったとかではなく、完全に個人的な理由であった。
とにかくどうしていいかわからなくて逃げてしまった。
連絡をばっさりと切った。
急にいなくなったので当然心配して連絡をくれる人もいたが、一切無視をした。

そしてさらに早送りして2023年。
色々なことが重なって自分からやっと連絡を取ろうという気持ちになって、無視されても仕方ないと覚悟をしながら連絡をしてみた。
無視どころか、みんな優しかった。
社交辞令もあったと思う。
でもそれでも「戻ってきて嬉しい」だとか「今年のハイライトだ」とか言ってもらえるのは本当にうれしかったし、人を大事にしないとなと思わせてくれるので本当にありがたいと思う。
自分の人生から消してしまっていた人が突然何十人と戻ってきた。
そして再会もそうだが新しい出会いもたくさんあった。

再会した結果、最近とても仲良くなった人に昨日言われた。
「いなくなったのは、一つの寄り道なんだよ。その選んだで進んで道は、君の生き様なんだよ」
感情表現が豊かではない人に言われたので非常にびっくりしたし、ちょっと泣きそうになってしまった。

社会学的にどう理論づけられたとしても、この道だけは生まれたときから決められたものではなくて唯一自分自身で選んだものだと思いたい。
その昔、2023年がこうなることなんて予想もしていなかった。
なにも考えていなかった2007年の私よ、お前の決断は多分正しかったよ。
そして2023年春の最高にバカだった私、バカなおかげで塞がっていた道が一本また開いたので多分必要なバカだったのだよ。

失くしたものを一つずつ拾い集めた一年だったと思う。
ただ、うっかり2023年だけをみてなんとなく振り返っていたが、よくよく考えたら最初のきっかけがなければ今年のすべてがなかったなと思い今これを書き綴っている。
これまで自分が犯した過ちをすべて消すと自分自身が消えてしまうというけれど、本当にその通りなので何も消さなくていい。
過ちなんて時間が立てば笑い話にできるんだから。
まだ笑い話にしきれないこともあるかもしれないが、時間だけはある。
無くなっていた時間を取り戻したから。
過ちを笑い話にして、本当に笑えるエピソードを来年は増やしたい。
喜怒哀楽をこんなに表現できたのはいつぶりだろう。

おや、書き始めたときはまだ12/30だったのにいつの間にか日付が変わってしまった。
まあ、大みそかにふさわしい今年最後の独り言になったかな。



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