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人を傷つけたいという衝動 ー私の中の内なる加虐性・愛着障害ー

前職の先輩で、仕事を辞めてからも仲良くしてくれている先輩がいる。


先輩というか実質もう友人である。が、呼びやすいのでここでは先輩で統一しようと思う。



一旦話は逸れるが、私は昨年の夏に社内でセクハラを受けてから働けない期間があった。実際今も働けていない。


色々あってその件については現在進行形で裁判をしようかどうか、という話になっている。弁護士との契約金で目が飛び出た。出せない金額ではなかったが、働くことの出来ない私には十分すぎるくらい大きな額だった。


でもやっぱり私は今のところその件を許すことが出来ない。

生涯残り続ける傷をつけて、許せる訳がなかった。


色々あってそのセクハラ関連で恋人も失った。


いや、具体的に言えばそのセクハラが無くても恋人とは別れていただろうなと思うが、当時の決定打となる出来事だった。


大事な人を失うきっかけになり、私に消えない傷を残した彼をいつか私は許すことは出来るのだろうか。


人を恨み続ける人生は嫌だ。だって自分自身が苦しい。


マイナスな感情に支配されたら自分が一番苦しむことを知っている。自分を見失うことは嫌だ。


いつか許せるようになるために、きちんとけじめをつけたいと思う。


セクハラを受けた当時、親身に私の話を聞いてくれた大学時代の友人がいる。


彼は泣きながら話をする私に


「◯◯の傷は◯◯のものだよ。向き合うのは辛いことだと思うけど、友達としてその傷を無かったことにはして欲しくない。自分が出来ることなら力になるから。」

と言ってくれた。あの時私はその事実に向き合い切る勇気は無かったが、確かに私はその時彼に救われたんだと思う。


人間生きていれば色々あるし、友人と数年経ったら疎遠になってしまうなんてことはザラにあるが、もし彼との縁が薄くなってしまう日が来たとしても、私はこの言葉に救われ続けると思う。


本当に大好きな友人なので、その友人のnoteを以下に貼り付けます。



どのnoteも私に新しい気付きを与えてくれる文章だけど、せっかくなら私が一番好きなnoteにしました✌️



さて、前職の先輩といい大学時代の友人といい登場人物が増えてきてしまったため、そろそろ今回のタイトル、自分の中の人を傷つけたいという衝動について書いていきたいと思う。


あ、ちなみにその前職の先輩と大学時代の友人と、その後付き合った恋人によって私は今何とか生を選べています。感謝しかない。その救ってくれた恋人も今回の裁判の件関連諸々で別れてしまったけど。もう本当に勘弁してくれ。



人を傷つけたい(心が綺麗な人編)


私は今年25歳になる。
自分で自覚している特徴だが、そこそこフレンドリーな人種かつ初対面の人ともどんどこ仲良くしていきたい人間である。

そこに加えて自分の興味の方向には好き勝手動き回る。


大学時代は自分の興味の湧く学生団体やNGOやNPOに好き勝手顔を出し、
飲食店のバイトというバイトは色々試し、
ホテルのバイトやイベントのバイト、
選挙のバイトやwebライターの学生インターン、
カラオケからキャバクラ、
レンタル彼女や英語カフェなどそれはもう好き勝手に動いていた。


それに加え大学ではどの学部学科にも友達を作った。
絶賛コロナの最中だったために学科の全体コンパをオンラインで開催した。学科の教授を全員呼ぶような大きなコンパで幹事をやっていた。

その傍らで卒業論文を執筆しながらタクシー運転手になるために二種免許の取得に加え都内のタクシー運転手になるために必要な地理試験も受けた。地理試験はほぼ満点で合格した。



こう振り返るととんでもなく色々やっていたんだなと思う。


ここで何を伝えたいかというと、もう色んな環境に飛び込むに飛び込んでいたためにめちゃくちゃ知り合いも友人もいる。

ネット上で関わっている人たちを含め全員LINEに追加していったら一体何人になるのかわからない。正直現状のLINEのともだちでも誰が誰だかあんまり把握していない。お願いだから全員本名か知り合った時のHNに加えてプロフィール写真を自分の顔の画像にしてほしい。


まあ私がイキリ大学生みたいなことをしていた?アピールをしたい訳ではなく、
ここで言いたいのは所属していた組織が多いゆえに多種多様な人たちと出会ったということだ。


当たり前だが、自分と気の合う人、気の合わない人どちらも出会う。


ずっと思っていたことだが、私は比較的家庭環境に恵まれた人たちとはあまり相性が合わないと感じている。


話していて感じる。心が綺麗すぎる。人を疑うということを後天的に学んだのを感じる。いや私も後天的に学んだのだが、幼稚園の頃からスクールカーストというものが存在し、家の中でも毎晩喧嘩の声が絶えなかった私からするとあまりにも純粋すぎて眩しい。


幼少期から家や幼稚園で人の顔色を伺い自分の居場所を探していた人間と、
周りからちゃんと愛されてきた人間とでは自分の存在に対する価値の置き方も違いすぎる。


故に、私はそういう雰囲気を感じ取ると何となく距離を置いてしまう。


世界の見え方があまりにも違うからだ。


そして私は厄介なことに、「あ、家庭環境が良さそうだな、この人は心の綺麗な人だな」というのを深く感じてしまうと傷付けたい衝動が自分の中に生まれてきてしまう。


私はこんなに辛かったのに。苦しかったのに。


どうしても汚したくなる。綺麗な心を。周りに愛されて育ち、人を疑う、出会った瞬間からマウントを取り合うことを知らずに生きてこれた背景を。


私の手でこの世界の汚いところを見せたくなる。今まできっと目の当たりにしてこなかったであろう人の汚い部分を。


まあこういう心理構造で幼児に性犯罪したりするんかな〜と思う。全然気持ち分からなくない。


というか脱線するが私もふらっと人を殺めたい気持ちが訪れることがある。
殺めたいというか、殺めてみたい、に近い。冒頭に出てきた先輩には「〜してみたいの方がサイコパスだわ」と言われた。確かに。


まあ私がどんな背景を持とうがそれを理由に犯罪を犯していい訳ではないし、人を理不尽に傷つけていい理由にはならない。秩序は守らなければならない。


私たちは生まれた時から秩序を守り、そしてその秩序に守られながら生きている。


だからこの欲求は今の所消える気配はないが、ほんのり抱いてしまった時はそういう人たちとは距離を置きつつ何もないような顔をしてやり過ごしていきたいと思う。





一旦終わり



本当はこの先もまだまだ続くのだが、結構長くなってきてしまったので今回はこの辺りで。


「お前何でそんなに捻くれてんの??」という質問に関しては、今回のnote然り以前の記事にも書いたが家庭環境と小中学校の人間関係が深く関わっている。と思う。


今まで公表した事がなかったが、父親からは私に自我が生まれる前から性的虐待を受けていた。私が高校の頃には家庭崩壊して父親は家に帰らなくなったが、結構真面目に思春期の頃はいつ殺されるんだろうという恐怖心と共に生きていた。

学校も結構酷かった。長くなるためあんまり詳しくは書かないが、「ようその環境でここまでまともに育ったね」と周りには言われる。残念なことに家にも学校にも居場所はなかった。


一応今回のnoteの前段があるのでそれをここに貼って今回は閉じます。また次回お会いしましょう〜!✌️



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