人を想うって?ー家族を想うとき

こんにちは、先の記事「0章自宅浪人地獄を生きるのだ」で書いた浪人期の経験から人間関係について考えるようになった私。大学に入ってから一気に広がる人間関係。家族関係、友達や先生、バイト先、恋人…と本当にいろんな関係が生まれます。友達も同じサークル、同じ学科、その他様々な活動を通して知り合うなど、つながり方は多様。中学高校男子校出身の僕にとって女子は未知の存在。高校の先輩には女子は「日本語をしゃべる外国人」と考えろとアドバイスを受けたことはいまだに覚えています。ちなみに大学生活を考える上で参考になった本があります。『大学1年生の歩き方:先輩たちが教える転ばぬ先の12のステップ』という本です。この本は「○○しないとダメ」みたいな脅迫的な内容ではなく、筆者のしくじり経験から生まれた話を書いてます。個人的に人間関係に関することは本当に考えさせられました。興味があれば是非。

で、本題。人間関係と言っても色々。悩むこともたくさんある。その中で考えたことを何回かで書いていこうと思います。最初は家族関係。浪人体験の次に僕の考え方に影響を与えているから。ここで注意してほしいこと。これはあくまで自分の経験です。これから書くこと、感じたこと、考えたことは僕の意見。だからこれが正しいというわけではない色々あってよいということを忘れないでほしい。あと人間関係において気を付けることはたくさんあっても、劇的に人間関係が広がったり良くなったりするようなハウツーは存在しません。色々経験して、自分なりに考えていくことが重要だと考えています。その一つの材料になったら幸いです。


両親が不倫した

僕の両親は、かなりの年の差がある夫婦でした。約20歳の差があります。えって思う。でも自分が高校2年生くらいまで、周りに誇れるくらい仲が良い家族でした。みんなで食卓を囲み、なにか特別なことがあればちょっと外食をしてみんなでそれを祝う。協力してみんなを支え合う。本当に絵に描いたような仲の良い家族でした。

でも、そんな日々も徐々に陰りが見えてきます。兄が大学に入り、生活が一変。家族全体での会話が減りました。そして両親はそれぞれ年を取った。結婚を皮肉する表現に「結婚は顔と金の交換」という表現がある。今、振り返れば自分の両親にはこうしたところがあった気がする。思うと息子として、家族の一員として苦しい。あの時、感じていた幸福感はこうした交渉から生まれた幻想だったのか…と悲しくなる時がある。母は結婚当時は19歳で若かったし美人だった。父は30半ばで経済的にかなり安定していた。でもそれも20年たつと美貌はなくなり、父は定年退職が見えてきた。

母は二女。結構美人だと思う。昔からチヤホヤされて生活してきた自慢話は結構聞いている。母も両親の離婚を経験している。だから若いうちに結婚した。美貌で生活をしていた。もちろん家事とかしっかりしていた。でも結構わがままなところがあった。父はそれに結構頑張って向き合っていたが、美貌もなくなりとストレスが溜まった。僕たちの面倒を父は結構見ていたと思う。職場の健康診断でも家庭内のストレスが大きかった。それで最初に別の女性との関係を作った。母はそれに気が付いた。女として否定されて傷ついたんだと思う。でも30代後半。女としてだけでなく、人として生きていく、人としての魅力を考える方向になってほしかった。でも、人生がらそんな発想は毛頭ない。結局、父にリベンジするがごとく、母も愛人を作った。

父の不倫は母から聞かされた。母の不倫は自分だけが気が付いた。こうした状況になってからほとんど家の中のコミュニケーションはなくなった。お互いをいがみ合い蔑むようになった。これは僕が自宅浪人をしていた時のこと。兄は大学生で家にはほとんどいない。両親は浪人で家にずっといる僕を伝書鳩にした。お互いに伝えてほしいことに加えて父から母の悪口を、母から父の悪口を聞いた。伝えるべき情報は伝えたが悪口は僕の中で消化する。夫婦関係は可変な関係だけど、親子関係は不変。お互いの悪口を聞くことは辛かった。息子として、親を想ってバランスを取って、大きな喧嘩にならないように密かに色んな調整をしていた。浪人の時のストレスに加えて二重スパイのようなことをすることは結構ストレスだった。でも僕にとっては大切な家族。だから頑張った。昔の家族から感じていた幸福感を想うと心が痛かった。


両親が離婚した

こうした二重スパイ生活は、僕が大学に入ってからも続いた(続けた)。大学に入ってから学費の問題が出てきた。学費は奨学金とかでなんとかしてほしいと言われた。僕は納得がいかなかった。源泉徴収とかから親の収入は知っていた。学費の全部は無理でも、一部は払ってほしかった。奨学金は将来の借金だから。その時、相談はしたが母に相談すれば「父さんに相談して」、父に相談すれば「母さんに相談して」と結局はどちらも重要な問題なのに相談に乗ってくれなかった。僕は一人で悩んで、将来の借金が怖くて取り合えず自分で学費を稼ぐことにした。そこからバイト漬けの大学生活が始まった。合間を縫ってサークルとか飲み会とか勉強とか頑張ったけど、今思うと相当きつかった。

学費の納入時期になると残高がほぼゼロになる。両親は愛人にお金をかけたり、離婚後の生活のためにせっせと貯金していた。自分に借金をさせてそんな生活をしている両親を見ていてストレスが限界にきた。大学でやりたいこともなかなかできない。周りを見た時に自分だけが取り残されているような気がした。それで、僕の方から「どうせいずれ離婚するなら今離婚してほしい」と切り出した。家計が半分になれば奨学金も借りやすくなる。バイト漬け生活も解放される。両親の二重スパイ生活からも。


両親と喧嘩した

離婚を切り出してから、両親と何回も喧嘩した。両親へのストレスをぶつけまくった。大学での費用を親戚から借りて、それが原因で喧嘩もした(これは自分にも非がある)。でも自分より愛人にお金を出す親の行動を許せなくで、大喧嘩の日々。自分に残ったのは両親との分かり合えないという喪失感と更なるストレス。二重スパイをしていたから、結局一番僕が家族のみんなが考えていることを知っていた。話せば傷つくことは喧嘩の時も話せなかった。だから、分かり合えないのは当たり前。全部伝えたいと思ったこともあったけどできなかった。戦争状態下での親へできる最大限の優しさだと思った。

その後

勝手に実家を売りに出すとか、苗字の選択を勝手にしたり、勝手に移住したりと結構振り回された。20年以上住んだ実家はなくなった。想い出が無くなった気がした。今は一人暮らし。ちょっとの間、母型の祖父母の家に居た時に祖母が、離婚問題で僕に八つ当たりして自殺しようとする(死んではいません)とか色々問題がある状態で今に至っている。

こう書くと親が悪いと感じさせてしまうかもしれない。僕にも悪いことはたくさんある。両親に相談すべきなのにしなかったことはたくさんある。親戚からお金を借りていまだに返せていないこととかどう考えても問題だ。因みにお金は大学の研修に使いしました。家庭が機能しない中で勉強のために使ったのだから悪いことではないと自分を慰めることもあるけど、そんなの間違っている。喧嘩の時ももっと分かり合えるように気をつけるべきだった。今でも、頭の中で無限回の反省をしている。喧嘩のことは今でも結構覚えているから、頭の中で再現できる。いつも脳内で再現して、こうすればよかったと後悔している。この出来事は忘れないし、後悔は一生続くと思う


考えたことー人を想うということ

こんな自分だけど、この経験から「人を想う、大切に思う」とはどういうことか考えた。家族とはうまくいかなかったから、それ以外の関係が僕の財産だ。だから、せめて周りの人は大切にしたいと考えている。家族の経験から人と関わる時に心掛けることがある。

①人間関係はうまくいかないもの、分かり合うのは基本無理

人間関係は基本はうまくいかないもの。だから、その瞬間を大切にすること。今、この瞬間がもしかしたらその人との最後かもしれない。だからこそ今できるベストでその人と接すること。相手に誠意をもってしっかりと関わることが重要だと思う。でも相手を完全に理解することはできない。だから知ろうとする努力は忘れてはいけない。

②肩書や見た目で判断しない

人は関わってみると思いがけない側面を持っていることが多い。第一印象がどうでも、その人がどんな考え方や価値観を持っているかを考えること。人の噂ではなく自分の目で見ること。その人の深いところに関心を示し、理解する努力するように心がける。そうすると意外と人は面白いし、みんな優しいものだと思う。人の豊かさは多様な価値基準を持っていることという言葉が生きている

③良いところを見ること

人間は完璧ではない。悪いところもある。両親にたいして悪いところばかりみて辛くなった。人の良いところを見つけること。悪いところも見方を変えると長所になるかも。

④去る人は追わず、来る人は拒まない

家族という基盤が脆弱な分、それ以外の人との関係がとっても大切。積極的に人と会うことを大切にしている。でも、うまくいかないこともある。その時は適度に反省して、次に行く。プロ野球でも打率3割で一流なんだから。人と会うにしてもそんなもんだと割り切る。そうした数ある出会いの中で自分を必要としてくれる人もいる。そんな人は心から大切にする

⑤ハウツーは存在しない

人脈という言葉は、人との関係を道具のように表現している感じがしてあまり好きではない。人との関わりはその都度の出たとこ勝負の世界でハウツーは存在しないと思う。テクニックなんてないと思う。ただひたすら誠実にその人自身と向き合うしかない

こんなことを書きながらも、人を傷つけることもあるし、怒られることもある。常に考えて、ブラッシュアップしていくしかない。ソクラテスの「無知の知」の考え方が好きだ。知らないとわかるからこそ真に知ろうとすることができる知っていると思うことは無知への第一歩になる無限の自己反省をすることをしていくしかない。これが多分真に「人と想える人」になるために必要なことなんだと思う。


追記ー家族を想うとき

長々と書いているうちに最初のタイトルを忘れて、人を想うことについて書いてしまった。タイトルを変えることも考えたけど、最後にちょっと未来のことも書きたい。今、家族とはうまくいっていない。ほとんどコミュニケーションすらとっていない。これを考えると悲しくなる。でも、僕の頭の中には昔のお互いを支え合っていた時の想い出がある。何か悩むとその時の家族に頭の中で相談している。あの時の時の家族なら何て言うか?、その行動に対してどんなリアクションをするだろうか?そんなことをいつも想像している。その昔の家族と関わる時にも上の5個を考えている。家族がバラバラになったとき、そんな昔の家族の思い出は幻想だったと思うこともあった(それは今でもたまに)。でも家族だったことは事実だし、それは信じたいと思っています。ホスト界の帝王ローランド様の格言に「離婚の回数は愛された勲章」というのがある。これを聞いた時にハッとした。そうか、家族が想い合っていた事実を大切にしないと。今は難しくても、いつか昔みたいに戻れたら、という気持ちは忘れたくない。昔の家族と思い出の中で対話して、そのいつかが現実になる時を待ちたい。待つだけでなくちょっとの努力もしていかないと。

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