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とりあえずやってみる!が出来ない人たち

社内で、少しだけ人材育成的なワークショップなどをやっている(自主活動で)
その中で、以前記事にも書いたWILL発掘フレームワークを活用したワークショップも開催してみた(真似事のレベルだけど)
その中で顕著に現れたのが、タイトルの通り「とりあえずやってみる」が出来る人と出来ない人の差だ。

今回のワークショップで言えば、まずは曼荼羅のマス目を埋めないことには話にならない。
このワークを進めるにあたり重要なポイントとして「言語化にこだわる」というのが上げられるぐらい、言葉にすることの大切さが語られている。
勿論、ワークの最初に十分に説明している。

でも、書けないのだ。

一先ず2週間時間を取って、書いてくることを宿題としても、やっぱり書けてない。

他の業務が忙しくて…考えてみたけど出来なくて…
こんなこと書いて良いのかな?って思ったら悩んで書けなくて…

書けなかった理由は沢山出てくるらしい。

じゃぁ、いつ書けるのか?
仕事が暇になったら?心理的安全性が担保出来たら?

いや、きっとそんなんじゃ無いんだと思う。

仕事が暇になってもきっと後回しにして他のことやるだろうし、どれだけ気心知れた中でも、結局自分の中のプライドとか恥ずかしさとかは超えられず書けないんだと思う。

でも、書いてくれなきゃ、進めてくれなきゃワークショップは進まない…
なんとか進めるべくプロービングを工夫したり、デプスインタビューのように深堀りしたり、あの手この手で言葉を引き出すが、
なんとなく言葉には出てても、結局手元はお留守なのだ…
考えながら書く。書きながら考える。が出来ないのだろうか?

言語化力みたいなものについては、よく社外者のリサーチャーや企画屋さんとも集まってやってる勉強会でも話題に上がるけど、
必ず書いて、具体と抽象を行ったり来たりしなければ成長出来ない。って話に帰着する。
頭の中で考えている、思い描いているだけではやはり言葉は「あやふや」なままで、いずれ消えてしまう。
自分がどういうプロセスで、言葉や思考の行ったり来たりをしたのかを残さないと成長出来ないのだ。
書いてみて間違ってるとか、しっくり来ないとかあれば書き直せば良いし、後日見返して自分の成長や書いた当時の青臭さに苦笑いすれば良い。
それが出来るのも書き残す。という作業あってこそなのだ。
それを身を持って知ってる人はきっと「一先ず書く」や「一先ず動く」が出来る人なんだと思う。

少し前までPDCAサイクルを回そう。と言われていたが、
それも最早古いサイクルで最近はdCAPサイクルが一般的になってきたように思う。
そう。計画の前に動いてみる。

ちょっとスピリチュアルな話にもなるけど、今は風の時代なのだ。
情報やセンス、自分らしさなどが大事になる時代。自分らしさを表現するため、説明するためには明確な言語化力が必要なんだと思う。
じゃぁ、言語化が苦手な人、とりあえず書いてみるが出来ない人が、どうすれば出来るようになるのかは分からない。ごめん。
とりあえず書いてみるが出来る側の人間なので、出来ない人がどうしたら良いかは分からない…
でも、それこそ「とりあえず動いてみる」しか無いんだと思う。思い立ったが吉日。
自分が動き出すのにハードルに感じるもの「失敗」「恥ずかしさ」「プライド」「面倒」とか、それが何かを分析して認識して、それを乗り越えるためにどうしたら良いか、それを乗り越えたらどんな嬉しさがあるのか?それをきちんと天秤にかけて見極めて行ったら良いと思う。

世の中には本を読め!とインプットばかり沢山するのに、アウトプットを全くしないので、知識が自分の物にならず、最適な場所で引き出したり使ったり出来ていない「頭の良い人」は結構居る。
インプットと同等か、またはそれ以上にアウトプットをしないことには知識や知恵は使えないのだと思う。

とは言え、性格も関係してるとも思うので、直ぐ様変わるのも難しいことだけれど。
ストレングスファインダーで戦略性、活発性、最上志向全てを持ち合わせてる私のような人間は、
動きながら考え、考えながら動く。しかもそれをあまり考えている。という感覚無く自然にやってしまうし、数あるオプションや分岐の中から常に最善策を選択して、不測の事態が起こっても即座にルートを切り替えれるという、特殊なヤベー奴なので、所謂変わり者であることも認識はしてる。
なので自然に動けちゃうので、動けない人の気持ちに寄り添えて無かったら大変申し訳ない。
でも、動けない人の足枷がなんなのかは興味があるので、良かったら教えて欲しい。
とりあえず動いてみたら、きっと世界は変わると思うよ。

変わり者の世界へようこそ。

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