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スぺカレ~自分アップデートをして稼げる人になる~

スぺカレ Aクラス 7月2日(火)


自分というシステムを変容する

学習と聞くと沢山の知識を手に入れることや受験やテストでいい点を取るための学習と捉えている人が多くいると思う。

しかしここでは、自分自身をアップデートするものを学習とする。
中身が新たな知識によって少しずつ変わってより良いものになってくることや習慣や思考がアップデートされて同じインプットでもスジの良いアウトプットが出せるようになるのである。

例えば、褒める叱る教育を受けてきた一人の母親がいたとする。

その母親の中では、教育とは褒める𠮟るということが最新のOSになっている。そのため、自身の子どもには褒める叱る教育をしていた。

しかし、母親は子育てについて疑問を抱き様々な教育論を知っていった。
そして褒める𠮟るが教育としてあまりふさわしいものではないと知ると、本人の中のOSがアップデートされる。

すると、子どもに物事を伝えるという同じ行動でも、より子どもに合った(スジの良い)伝え方ができるのである。

この一連の流れをここでいう学習というものである。
この母親は子育てについて疑問を抱き、アドラーなど様々な教育論という自分の知っている教育の範囲より大きいものに出会った。

そのことで世界が変わって見えるのである。
今までやってきたことはこの点でよくなかったんだな、この点はよいものだな、と視座が増えてより鮮明に物事を見ることができる。

つまりは、ラッキー待ちでは経験の質は上がらないということだ。
母親は自分の子育てに疑問を抱き、大きな世界である教育論を知っていくという行動を起こした。

しかし、この行動を起こさない人も大勢いるだろう。
誰かがこの子を良くしてくれないかな、どこかいい塾ができないかな、この子が自分から行動を起こしてくれないかな、まさにラッキー待ちである。

この行動では現状が変わる確率は非常に低い。
そのため、自分から動いて経験の質を意識しながら学習を重ねていくことが必要なのである。

呪われている場合じゃない

呪われている場合じゃないとは、アップデートを止めている場合じゃないという言い方もできるだろう。

ここでは、呪いから解き放たれないとどのような困ったことが起こるかを”価値”という観点で見ていく。

まず、”価値”を知らないまま大人になっていくと時給に縛られた働き方しかできなくなる。
時間という価値あるものをどう使うか、どう使ってもらうかを意識すると、ただ時間が過ぎる過ごし方ではもったいないと感じるだろう。

また価値を知らないと、どうせ時給は出るんだから寝よう、バレないし楽しちゃおうという浅はかな考えが出てくる。
これはお金の価値も知らないということにつながる。

価値を知ることでより時間を使ってもらえるもの、お金を使ってもらえるものを作る意識が出てくるようになる。

それを作る材料になるのが哲学、アート、宗教というリベラルアーツや社会をよくするものである。
これを変換することで人々の充実や喜びに変えることで稼ぎにつながる。

しかし、哲学やアート、宗教は学びが非常に必要となる。
この学びを「難しいから30歳とかになってからの方がいいんじゃ?今は遊んでたいし…彼氏の方が大切だし…」

と考えている20代の人がほとんどであると思うが、この哲学、アート、宗教は40代、50代の多くの経営者が必要でありもっと学ばなければと感じているものである。
そのため、今から学んでおかなければよりよい仕事ができなくなってしまうのである。

ここでいうより良い仕事とは、自分で価値を作り人々を幸せにする仕事で稼ぐことである。
今学びを放棄すれば、5年後も価値は作れない、(スジの良い)彼氏・彼女はいないという結果につながってしまう。

では価値とはどのようにして作られていくものなのか。
例として体育館でのスポーツ体験会を挙げる。
何もないただの体育館でスポーツ体験会をするとする。場所は確保されているものの、子どもたちが集まっても集まるだけでは充実感も楽しさも得ることはできない。

しかし、開催する側が持っている知識や技能を発揮しながら子どもたちと一緒に運動することで子どもたちの充実感につながっていく。

つまりは何もない体育館というゼロの状態から充実感や楽しさという1の状態を作り上げた。
これこそが価値を生み出したということである。

対して同じ広い場所であるディズニーはどうだろうか。
場所として完成されているものがあり、人々はそれを楽しみにディズニーに向かう。価値を感じるか感じないかはその人次第なのである。

これは価値をつくりだしているとは言えない。
つまりは場所の消費をしていることに過ぎないのである。

ここで感じることは、もしこの例にあげた子どもたちが全員勉強がしたくてたまらない子どもたちであったらどうだろうかという需要についての問題である。

価値と需要の違いは150年前にはなかった考えである。
市場経済になっていったことで需要について考えられる機会が増えていった。

例えば、子どもが一人もいない集落に保育所を作っても需要は全くない。しかし保育というものに価値がないというわけではない。

ここに価値と需要の違いがある。

勉強がしたくてたまらない子どもたちの前で運動遊びを紹介しても需要はない、しかし運動遊びに価値がないわけではない。

この価値と需要をうまく結びつけたのがスティーブジョブズである。
彼は人々の需要を読み解きながら、自分が価値のある、良いと感じるシンプルで洗練されたものを開発し大ヒットを生み出した。

価値のあるものを生み出すことができても、現代でより多くの人に届けるためには需要を考えることも必要になってくるのである。

しかしこの需要とはただみんなが欲しいと言葉にしたり行動にしたりするものを提供するだけでは少し弱い。

”みんなが気づいてないけど欲しくてたまらないもの”に気づきそれを作ることで、価値が一緒に高まってくるということを考えることが肝である。

競争優位をつくる

価値を作ったり、需要について考えたりすることと同時に自分自身のブランディング、競争優位をつくることも忘れてはいけない
他の人にない自分の特徴は何かを考える。

競争優位とは希少性のことでもある。
みんなと同じでは埋没するだけで1アルバイター、会社員で終わってしまう。
その生き方でいい!と感じるのであればそれまでだが、今後の経済状況をみると本当にそれでこのまま安心して暮らせるかな…と私は不安になってしまう。

スティーブジョブズもそうであったように、彼は仏教の禅の道に魅力を感じて教えをきいていた。

そのことが彼を”トガらせる”ことにつながっていったのである。

自分のためを思ってフィードバックしてくれるしてくれるスジのいい人がいること、そして自分の好きなことで自分を高めることに楽しみを持っていることが”トガらせる”道になる。

しかし、現代人の悩みとしては自分のためにフィードバックしてくれる人なんでいないじゃん!お、占い…これはまさに私だ!これからどうしたらいいいんだ!誕生日占いに聞くしかない!

と占いに全振りしてしまうのである。

スジのいい人はスジの良い場所にいるものである。
地域の社会活動の場に自分から行ったり、ボランティア活動をしてみたりすることで人とつながることができるだろう。

自分自身の向上は一人では成しえないものである。

スジの良い師匠にフィードバックをもらいながら、自分自身のブランドを確立して稼ぐことがこれからの仕事のやり方として非常に重要になってくるのである。

この”トガらせた”ものはほかの人には身に着けることは困難であり、模倣することも困難である。

それは長い年月を要するからである。

すぐに身につくスキルや知識に流されるのではなく、深い学びやセルフブランディングなど時間のかかるものに取り組むことが必要になってくるのである。

まとめ・感想

自分をトガらせること、価値あるものを作れる人材になることで稼ぐという観点は現代ではなかなかメジャーではないかもしれないが、今後の市場経済では埋没していては…と感じるため、今のうちに!という気持ちがより強まった。

同年代は稼ぎが…稼ぎ…年金がないから貯金…とお金という”モノ”に囚われているように見える。

しかしそのお金をよりスジの良い方法でそして自分らしく、楽しく、人々の幸せになるための稼ぎ方を考えることが今非常に必要な学びなのではないかと感じた。

その考え方の材料になるのがリベラルアーツだからみんな学んでいこうや!と大学生や同年代にポップに誘っていこうと強く思った。

まなちゃる



マイクロスポーツを幸福にカッコよくするための学びを発信します。