高校入学から7月までに何があったのか

スペラです。

最近は月末の投稿が多くなってしまいましたが、もう少し増やしたいとは思っています。Twitterのような短い文でも長時間かけるような人間なので、ネタと断片だけ溜まって文章にまとまらない状態です。


今回は、僕が最初の全日制高校に入学してから不登校になるまでに何があったのかを書いていきます。

noteを始めてから約1年3か月、きちんと話すのは初めてですが、こうなったことに特に理由はなく、隠そうと思っていたわけではありません。


まず高校入学前に、中学3年生だった2020年の冬休み明けの時点でけっこう精神状態が悪くなっていました。

朝は(苦手な方ですが)普通に起きて学校に行く準備はできているものの、いざとなると行くことができず、少し・もしくは大幅に遅れて登校し、下校まで通級指導教室で過ごしていました。

そんな精神状態の中ではあったものの、無事志望校の入試には合格。
一方で精神状態も悪化していたのですが、3月からのコロナ禍による休校が結果的に救いになりました。


4月は入学式を終えてすぐに緊急事態宣言が発令され、毎週課題が出されて1週間後に提出しに行く、という流れでした。

その後5月末に緊急事態宣言が解除され、6月1日から学校が始まりました。

中学校での不調はクラスメイトへの苦手意識が強かったからと捉えていたため、同じ中学校の人が1人しかいない(しかもほぼ面識がない)のでけっこう楽観視していました。

実際のところ、コロナ禍であると同時にほぼ全員と初対面という人も多かったと思うので、かなり静かな雰囲気でした。

ただ、最初の学年主任の先生の挨拶が「頑張って3年間耐えろ!」で、すごく不安と恐怖とプレッシャーを感じたことは忘れられません。


そんな時、ある事件が起こります。

英語の先生(そこそこ年配の男性)が最初の授業の際、ボールペンのクリップ部分を机に引っ掛けてカチカチ鳴らしていたのです。言葉で書いても伝わりづらいかもしれませんが、とにかく僕の苦手な音だと思ってください。

僕はその音で過呼吸になり、次の日学校を欠席。
その次の日に担任の先生に障害のことやこれまでのことを話し、さらに「重要事項を聞き逃さないためなどの理由で授業を録音したい」と伝え許可をいただきました。


また、僕はクラスのグループLINE、いわゆる「クラスLINE」に誘われます。
中学生の頃は入っていなかった(というより誘われなかった)ので、初めての経験でした。

ここで僕はある大失敗をします。それは、テンションを上げすぎたことでした。

僕はワイワイ・ガヤガヤとした雰囲気は苦手で、普段の生活や好きなものについて1対1・または少人数で話すのが好きなタイプなのですが、「明るいキャラだと思われればみんな寄ってきてくれる」と思ってワイワイ・ガヤガヤとした雰囲気を自分で作っていこうとしてしまっていたのです。

しかし当然ながらそれも疲れてきてしまい、よくトークに参加する方だった僕は最終的には全くトークに参加せず、スタンプ等すら送らないようになってしまいました。


さらに、毎日の登下校にも疲れを感じるようになりました。

僕はあまり体力がないので、家から駅まで自転車で向かうにもそこそこ苦労。駐輪場から息を切らしつつ電車の時刻を気にしながら改札に向かいますが、車通りが少ない道での歩行者の信号無視歩きスマホが常に気になってしまいます。

東京方面に向かう電車の本数の多さを羨ましがりつつ、東京とは逆方面へ。東京方面ほど混んでいないことが救いの約10分。

既にやや疲れた状態で歩くこと約10~15分で学校に到着。今となってはそこそこ長距離の散歩もしますが、この時は時間に限りもあったので気持ちに余裕がありませんでした。

小学生の頃も約30分かけて通学していたとはいえ徒歩だったので、多くの人に揉まれる電車通学にはやはり精神的に疲れを感じていたのかもしれません。


学校では、まだまだ英語の先生の癖が直りませんでした。担任の先生によると「『あっ、ごめんね~』って言ってたよ」とのことでしたが、癖というのは直せと言われて直せるものでもないんですよね…。

過呼吸状態のときに英語の先生に当てられ、気づいてくれることもなく「次は答えられるようにしてね~」と言われたこともありました。
先生に気づいてほしかったという一方で、辛いと言い出せなかった自分を責めてしまってもいます。いや、言える状況ではありませんでしたが…。

その後も些細なことで不安になりトイレに籠もることなども増え、親に車で迎えに来てもらったこともありました。

教室内での会話も次第に増えていき、その雰囲気にも不安や疲れを感じるようになっていきました。
ただ声が大きめなだけの先生に不安を感じるなど、既に普通ではなかったと思います。


そんな感じで心身ともに疲れていき、7月下旬は欠席が増えました(この年は授業日数の関係で7月末まで学校でした)。

そしてついに、学校の上層部が「録音をできるだけ控えてほしい」と言ってきたと担任の先生から聞きました。
少し前に授業中の写真をTwitterにアップした人がいたため、学校側も外部への情報流出に敏感になっていたのだと思います。

それが決定打というわけでもありませんでしたが、夏休み明けは学校に通える精神状態ではありませんでした

その後しばらくの静養期間を経て、学校のカウンセラーの先生と話したり通信制高校探しに奔走したりするのですが、そちらは書くとしたら別でじっくり書きます。


僕は中学校ではパニック状態になって突発的に叫んでしまうこともあったので、高校でもそうならないかは常に不安でしたが、そこまで追い込まれる前に休んだことは悪いことではなかったと思います。

ただ、当時は「感覚過敏」「聴覚過敏」という言葉すら知らなかったので、自分の障害特性について理解していればもう少し楽になれたのかな…とも思います。


一方で、実質約1か月半という短い全日制高校生活の中で1人仲良くなれた人がいて、今でも時々連絡をくれます。

学校に行けていない理由を話したときも、「話してくれてありがとう!」と言ってくれたのが忘れられません。

彼と出会えたり、主に担任の先生が手厚くサポートしてくれたりとありがたいこともたくさんありましたし、そうでないことも自分の特性の理解に繋がっていると思うので、結果的にこの学校で過ごしたことは良い経験だったと思っています。

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