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「新天地」に見る韓国キリスト教の危険性~神の名の下の侵略はもう始まっている(後編)

にせ預言者を警戒せよ。彼らは羊の衣を着てあなたがたのところに来るが、その内側は強欲なおおかみである。――マタイ福音書7章15

牧師はてっとり早い商売

 韓国系キリスト教会のシンボルは、あの悪趣味きわまる赤いネオンの十字架だ。夜半ソウルの街は十字架のネオンで真っ赤に染まる。よく見ると雑居ビルの一室やアパートの二階といったおよそ教会らしくない場所にも十字架がかかっている。

ご存知のように、プロテススタントはカトリックほど教会を重視していない。カトリックの神父は「ファザー」と呼ばれるが、プロテスタントの牧師は「先生」である。あくまで、牧師は神学を教える「先生」であり、教会は「教室」といった扱いである。教室だから雑居ビルでもぼろアパートの一室でも成り立つのだ。さらにいえば、韓国では牧師は手っ取り早い商売のひとつなのである。チキン屋を開くか、牧師になるか、人から「先生」と呼ばれるだけ牧師の方が偉いという考え方なのだ。

ソウルの夜景。赤い十字架に混じって温泉マーク(連れ込み宿)のネオンサインも。

 韓国MBCニュースによると、韓国国内には無許可のニセ神学校が40校あまりあり、そこでは平均500ウォン(約47万円)で「牧師」の資格が買えるのだという。既にこのやり方で1万人強のナンチャッテ牧師が誕生しているとも付け加えた。2013年8月、インド南部バンガロールで孤児院を営む韓国人宣教師が現地少女への性暴行で逮捕される事件があったが、彼の前職はタクシーの運転手だった。神学校に一か月通っただけで宣教師資格を収得したというが、おそらくは「買った」ものなのだろう。

 韓国では、大は女優チェ・ジウを広告塔に自前の衛星放送局をもつ「オンヌリ教会」のようなメガチャーチから、小は地下鉄の構内で手製のビラを配って布教活動にいそしむ一家3人の零細教会にいたるまでがひしめき合い「信者集め」に余念がない。わずか5人の信者から出発して、半世紀の間で単立教会では世界一の信者数78万人(公称)を誇る「汝矣島(ヨイド)純福音教会」の趙鏞基(チョー・ヨンギ)教祖はまさにコリアン・ドリームの体現者といえよう。 

オンヌリ教会、日本向けの広告塔は女優チェ・ジウ。すでに日本では、「あの人は今」状態だが。

 ちなみに、汝矣島教会はペンテコステ派の流れを汲む教団で、趙牧師の祈祷(悪魔祓い)のトランス誘導にはつとに定評があったという。こう見ると、韓流牧師というのはどこかジゴロに似ている気がする。ジゴロにとって必要なのは口の上手さと閨(ねや)での技巧である。宗教家ならば口の上手さはいうまでもないが、では閨の技に当たるのが何かといえば、悪魔祓いのテクニックだろう。信者を巧みにトランスに導きエクスタシーを体験させる技術だ。この巧拙が、最終的な信者数に左右するのである。

ウリスト教界・名うての霊的ジゴロ・趙鏞基(故人)。実際、パリで重婚騒動を起こすなど、艶聞にはことかかないようだ。東日本大震災の折りに、「人を天の皇帝(天皇のこと)と呼び、ハナニム(韓国プロテスタントの神の呼び名)を信じない日本人たちにハナニムが“こいつら!”と、軽く、罰を与えたのです」と説教し大顰蹙を買った。福音教会は2003年に日本で宗教法人の認定を得た。

宗教に無防備すぎる日本人

 しかし、どちらにしろ、狭い韓国内で、教団・教会は既に飽和状態といっていい。これ以上の信者拡大を求めるとすれば、国外に出なければいけない。彼らが目をつけたのが、クリスチャン人口が1%未満というキリスト教不毛の土地・日本である。
 60年代に原理運動として移植された統一教会を例外とすれば、日本に韓国系キリスト教の流入が本格的に始まったのは80年代末から90年代の初頭にかけてで、この頃、東京でも盛り場の雑居ビルに赤い十字架が目立つようになった。当初は、日本人向けの布教というよりも、韓国系ニューカマーたちのためのものだった。ニューカマーの多くはホステスなどのサービス業だったから、盛り場に集中していたのも道理だ。
 東京新宿の淀橋教会のように、金曜日の夜だけニューカマーに礼拝を開放するというケースもあった。この淀橋教会韓国部を母体として出来上がったのが、キャンパス・カルトとして近年問題視されている「ヨハン早稲田教会」である。大学内に入り込みさまざまなサークルに擬態し学生を勧誘し、合宿セミナーで洗脳を行う。信者の監禁や過酷な集金ノルマなどかつての原理研究会(統一教会の学生組織)と似ている。というより、おそらくは原理研のやり方を学んだのだろう。教祖は金圭東(キム・ギュドン)という。

カルトの勧誘に注意を呼び掛ける法政大学のポスター。これまで、ウリスト・カルトの擬態サークルでは、韓国語会話・ゴスペル・テコンドーが有名だったが、現在はそれに限らない。ヨハン教会のように「エブライ文化研究会」を名乗るキャンパス・カルトもいる。
原理研究会はCARP(カープ)と名を変え活動中。ボランティア活動で表彰状までもらっている。

 ついで、今世紀に入った頃、既存のプロテスタント教会が韓国キリスト教と積極的に交流をもつようになっていく。というのも、多くの教会では牧師の代替わりが始まっていたが、後継者不足に悩んでいた。要は、牧師の子が父の跡を継ごうとしないのである。ここいらへんは、第一次産業と同じ運命をたどっているといっていい。そこで同じ宗派ということで韓国から牧師を派遣してもらうのである。むろん、この時点で韓流牧師のカルト性に気づくこともない。韓国人牧師の教会に韓国人信者が集まりコミュニティを作り、やがて地域の日本人信者も呑み込まれていくようになる。
 戦後のプロテスタント教会(カトリックも、だが)は、かなり左傾化しており、抗日史観的な韓国系キリスト教を受け入れやすかったという点も見逃せないだろう。三一騒乱を陰で扇動していたのは英米のキリスト教勢力であったことはよく知られているし、安重根、柳寛順、金九といった独立運動家やテロリストはのきなみクリスチャンであった(安はカトリック)。

 ちなみに、左翼活動家の顔ももつ日本基督教団山手教会(東京渋谷)の創立者である平山照次牧師は、「国際女性戦犯法廷」の仕掛け人・松井やよりの父である。

 2011年の東日本大震災。日本人にとって、あの大震災は忘れることのできない深い傷となって記憶されるが、韓流牧師は、リバイバル(大量改宗)のチャンスと見ていた。
先に紹介した汝矣島教会の趙鏞基は、大震災の翌日の3月12日付のネット新聞「ニュース・ミッション」のインタビューで「(震災は)偶像崇拝と物質主義に明け暮れ神様を遠ざけてきた日本への神様からの警告」と発言、また13日には江南教会の金聖光(キム・ソングォン)は「日本には偶像は800万ある。天皇は津波を防げなかった。天皇を祀る罪を見て神様が大地を揺さぶったのだ」と日曜礼拝で語り、さすがにこれらには韓国国内からも不謹慎との声が挙がったが、「日本人=偶像崇拝を行う霊的に劣った存在」という考え方は韓流牧師のほぼ共通したもので、この場合、偶像というのは神社と天皇のことである。「八百萬の神」を文字通り800万と解釈しているのもどこかホホえましいではないか。「迷信と800万個の偶像に仕える日本人たちが神を知らずに死んでいく魂になるのを捨て置けない」と、これは米アリゾナ在住の宣教師・左永振(チャ・ヨンジン)の弁だ。
   要するに、大地震は、不信心な日本人への懲罰であり、その日本人の魂の救済(布教)に乗り出さないといけないと言っているのである。
「クリスチャン人口が1%に満たない日本は韓国教会にとって霊的にニネベと言えるでしょう」と堂々とHPで言い切るのは「ヨナ祈祷会」なる韓国系キリスト教の団体だ。ニネベとは旧約聖書「ヨナ書」に出てくる悪しき異教徒の棲む穢れた都市のことである。神にニネベでの布教を命じられた預言者ヨナは、最初、それを拒んで海中に没するが、鯨に呑み込まれニネベまで運ばれる。神の命令に逆らえぬことを悟ったヨナは、ニネベの王に神の声を伝えると、王以下、ニネベの民はことごとく悔い改めたという。
 つまりわれわれは神の使いとして、霊的に穢れた日本に伝道に来たと言いたいらしい。

鯨に吐き出されるヨナ。

 宮城や岩手などの被災地には、キリスト教団体の青年部なども積極的にボランティアとして参加しているようだが、その中には韓国系キリスト教関係者も少なくいて、避難所にギターなどを持ち込みわけのわからない歌を歌い布教に励んでいると、これは現地の声として筆者の耳にも届いている。末端の信者の多くは善意で参加していると思いたいが、彼らにとってあくまで被災者は「日本人=神を知らぬ罪人」でしかないのは確かなのである。
 韓国キリスト教のこういった、独善的で傲慢、上から目線の態度は、彼らがボランティアと称して派遣された世界中の被災地で、現地の人たちとの間で軋轢を起こしている。たとえば、2015年のネパール大地震の際、現地入りした韓国系キリスト教のNGO団体「グッドピープル」の緊急医療チームのメンバーが「今回の地震はヒンズー教を信じているから起こった」と発言して大問題となった。イスラム教国のリビアの難民キャンプで子供たちにお菓子と引き換えに「ハレルヤ」と言わせて、これも世界中の非難を浴びた。
 ところが、日本人の多くは、戦後の自虐史観によって韓国への過度な贖罪意識を刷り込まれていて、これが韓国キリスト教の異様さから目を覆っている。彼らは、日本人の贖罪意識も布教の武器としているのだ。ドーム会場を使ったメガ布教イベント「ラブソナタ」で有名なオンヌリ教会の機関誌「オンヌリ新聞」(07年7月17日付)にはこう書かれている。
《この日の礼拝で現地の日本人聖徒300人余りは、聖霊が導く感動によって、日本が過去に韓国に犯した過ちに対する赦しを求め、ひざまづいて涙を流し、ラブソナタのスピリットである、信仰と和解の一致がおこりました。》
 赦す側、赦しを乞う側という、韓国人の好む二元論的上下関係が信仰の世界にも構築されているのだ。

 ちなみにオンヌリの教祖・河用祚(ハ・ヨンジョ)(故人)もまた、「日本が地震に見舞われたのはサタンの国」だから言ってはばからぬ典型的な反日牧師である。
 おそろしいのは、このような反日思想をもったカルト教がぞくぞく日本に入ってきているということである。かの「新天地」も武漢肺炎拡大の責任追及を逃れるために、密かに本拠地を日本に移す計画があるという噂もあったが、今回の入国制限強化で、それはどうにか防ぐことができた。しかし、油断は禁物だろう。

 カルトに限らず、日本人はキリスト教をロマンチックに考えすぎだ。歴史的に見て、彼らが布教の名の下にどれだけの原住民虐殺、収奪、強姦、植民地化と奴隷売買をやったかを知るべきだ。まさに侵略の宗教ではないか。
そして、宗教に免疫のない日本人にとって、韓国系キリスト教こそが疫病にほかならない。その韓国系キリスト教は、韓国人の欧米移住とともに世界中に広がり、集団感染の様相を呈している。在外韓国人にとって教会は彼らの閉鎖的コミュニティであり、そこは反日工作の前線基地である。グレンデールその他の慰安婦像建立に韓国系キリスト教会がどれほど主導的な立場をとってきたかを知るべきだろう。
またNYのユダヤ系コミュニティに取り入り、慰安婦=ホロコーストというプロパガンダ作りに余念のないグループの背後にオンヌリ教会がいることは意外に知られていない。それらについてもくわしく触れたいのだが、紙面も都合もあるので、いずれかの機会にまた。(終わり)

初出「WILL」2020年5月号。掲載時のタイトル「ウイルス蔓延の元凶 『新天地イエス教会』が日本人を狙う」

ついでに「反日宗教の真実」2013年(オークラ出版)も合わせてお読みください。

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