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目からビーム!118 宗教とは毒でもある

 テロリスト山上徹也容疑者は、統一教会に家庭を壊され、その歪んだルサンチマンをもって安部元首相を狙撃したのだという。
いかに、同情すべき境遇にあろうとも、人をあやめてよいという理屈に結びつくものではなかろう。そもそもこの供述からしてはたして彼の本心から出たものか、弁護士との”合作”なのかはわかったものではない。それとも彼はカミュの描くムルソーだというのか。
 イエスはこう言っている。「私は、かまどに剣(つるぎ)を投げ込むために来た」「私が来たのは、人をその父と、娘をその母と、嫁をその姑と仲たがいさせるためである」(マタイ福音書)と。
 これでもわかるとおり、宗教とは本来、家庭を破壊する 要素をもちあわせているものなのだ。
 創価学会にしても2代目会長・戸田城聖の時代はかなりラジカルだった。入信者が、家の仏壇や神棚を壊して火にくべたり、門徒宗の寺に押し入って仏像を引き倒したりなんてこともあったらしい。先祖代々の信仰はここで途切れることになる。まさに剣を投げ込まれたのである。
 話は変わって豊臣秀吉。彼はポルトガルの宣教師や商人が日本人の男女を奴隷として売買しているということを聞いて激怒、これが有名な「伴天連(バテレン)追放令」につながるのだ。ちなみに、バテレンとはポルトガル語のパードレ(神父)が訛ったものだという。
 さらに秀吉は、伊東マンショら帰国した天正遣欧少年使節団から、ポルトガルで目撃した日本人奴隷についての報告を受けることになる。しかし、この会見で少年使節団の最年少、原マルチノは「日本人奴隷は幸せです。なぜなら、ポルトガルの地で神の教えに触れることができるからです」と言い放ったという。何度でもいう。同胞が奴隷の身となって牛馬のように売り買いされているのである。耶蘇の邪教にどっぷり浸かっていると、日本人でも性根が南蛮人に堕ちるのかと思うとぞっとする。
 これが宗教というものの毒性である。日本人は、宗教、とりわけ一神教というものに警戒心が薄いのではないか。


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