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フジテレビ・プロデューサー別所孝治 アニメ&特撮と歩いた男

ゲッターとザボーガーをつなぐむもの

 アニメであれ特撮であれ、ヒーロー物のテコ入れ(番組強化案)には、いくつかのパターンがあるのがわかる。
たとえば、それまでの敵を凌駕する新たな敵組織の登場と、対抗するヒーロー側のパワーアップである。パワーアップに伴うキャラクター・デザインのマイナー・チェンジあるいはフル・チェンジは、マーチャンダイジング(MD)の関係上、スポンサーである玩具メーカーも大歓迎なはずで、要するに、一口にテコ入れといってもその裏には、さまざまな大人の事情があるわけである。
わかりやすい例をいえば、『ゲッターロボ』(74)だ。当初ゲッターの敵は恐竜帝国と彼らが操る恐竜をサイボーグ化した巨大ロボ・メカザウルスだった。恐竜帝国の壊滅と入れ替わるようにして登場した、より強大な敵・百鬼帝国を迎え撃つため、パワーアップ・バージョンの新ゲッターロボが出撃。番組名も『ガッターロボG』となる。『G』へのスピンオフは、やはりというかスポンサーだったポピー(現バンダイ)の強い意向であったという。ポピーは当時、超合金と称したアニメ&特撮ヒーローのダイキャスト・モデルを主力商品としていた。
 興味深いのは、恐竜帝国の壊滅が描かれる『ゲッター』最終話(第51話)の放映は75年5月8日、『G』第1話の放映は翌週15日である点だ。
 この一か月先立つ、75年4月5日、やはり同じフジテレビが放映する特撮番組『電人ザボーガー』(制作ピープロダクション)の「電人ザボーガー対恐竜軍団シリーズ」がスタートしている。それまでの敵だった悪之宮博士率いるΣ(シグマ)団が倒れ、新たな敵、魔神三ツ首を首領とする恐竜軍団がザボーガーの前に立ちふさがるのである。恐竜軍団の放つ刺客は、一部恐竜の生身を残した戦闘ロボット・メカアーミーで、これはΣ団のメカアニマルをはるかに凌ぐ戦闘力をザボーガーとの初戦で発揮する。初戦で一敗地にまみれたザボーガーだったが、同シリーズから登場する松江健操縦のスーパー・バイク、マシーンバッハとの合体により、さらなる能力を身に着けたストロングザボーガーとして蘇り、みごとメカアーミー・ガラキを打ち破るのだ。
 どうだろう。ゲッターもザボーガーも、新たな敵の登場とヒーロー側のパワーアップという、テコ入れの定番パターンを踏んでいるのがわかる。

恐竜×メカ の発想

 しかし、ここで注視したいのは「恐竜帝国」と「恐竜軍団」という「恐竜」(爬虫類)をモチーフとした敵組織の一致性である。ゲッターの「恐竜帝国」滅亡を予言するようにザボーガーに「恐竜軍団」が登場している。というよりもゲッターからザボーガーへ「恐竜」が、あたかもお引越ししてきたかのようだ。はたしてこれは偶然なのだろうか。
 そもそもゲッターの敵ロボ、メカザウルスは、先行していた、同じく永井豪原作の『マジンガーZ』(72)の機械獣との差別化を狙っての設定であることは想像に難くない。完全メカニカルな機械獣に対し、恐竜を改造したメカザウルスはいわばサイボーグで、傷を負えば流血もする、ある種の生物的な生々しさが特徴といえる(番組OPでそのイメージが描かれている)。
『マジンガー』、『ゲッター』両作品ともフジテレビの別所孝治が局側プロデューサーとして作品にかかわっている。『ザボーガー』もそうだ。ここいらへんにヒントがあるのではないか。
 恐竜とメカの合体というコンセプト自体、そもそもが別所プロデューサーのアイディアだった可能性があると僕は見ているのだ。別所氏は『ゲッター』ではプロデューサーだけではなく、「企画」としてクレジットされており、基本設定の段階から関わっていたと思われる。また、ポピーに乞われ超合金シリーズのブレーンを務めていたという。いわば、MDの視点も交えて製作者サイドに意見をいえる「テコ入れ」のプロでもあった。
 
キミは、別所孝治を憶えているか

60~70年代のアニメ、特撮のファンなら、「別所孝治」の名はタイトルロールの片隅に見て記憶に焼き付いていることだろう。その貢献度に比して、現在にいたるまであまり語られる機会もなく、関連書籍も出版されていないのが残念である。筆者は、後述するとおり、別所氏とは一度だけ面識があり、そのとき伺ったアニメ&特撮の制作裏話の数々が大変楽しく、いつかインタビューをまとめた本を作らせてもらいたいという思いを抱きつつ突然の訃報を聞いて唖然となったものだ。2006年2月のことだった。享年70はまだまだ惜しまれる年齢であろう。生涯独身だったという。
 ということで、この稿の後半は、その半生のほぼすべてを日本のアニメ、特撮番組の発展につくした別所孝治プロデューサーへの遅ればせの追悼として筆を進めたい。

別所の初プロデュース作品『鉄腕アトム』(1963)虫プロ


 別所孝治は1935年、東京生まれ。東京写真大学を経て1958年に、開局したばかりのフジテレビに入局。最初に任された仕事が米ハンナバーベラ社のカトゥーン『恐妻天国』(The Flintstones)(60)の日本語版製作、いわゆる声入れの現場監督だった。本格的なプロデュース参加は、虫プロ制作の『鉄腕アトム』(63)で、ご承知のように『アトム』は本邦テレビ・アニメ作品の記念すべき第1号。つまり、別所氏のプロデューサー人生は日本のテレビ・アニメ史とぴたりと重なるのである。もっとも、カメラマン志望だったご本人は当初、「マンガかあ…」と内心落胆したとのことだ。当時、アニメの正当な評価はまだなく、一般に「マンガ映画」「テレビマンガ」と呼ばれていた時代である(「動画」という呼称は戦前からあったが、やや専門用語的な響きがあった)。
 しかし、番組に関わり、虫プロに日参するうちにアニメ制作の面白さに目覚め、アフレコにも立ち会うようになったという。これには『恐妻天国』での体験が活かされた。日本で最初に「音響監督」の肩書を頂戴したのは、別所氏である。多忙な手塚や現場スタッフに代わって、声優のセレクトを含めてかなりの権限を託されていたようだ。
 以後、フジテレビで放映されたアニメ、特撮番組のほとんどを担当していている。大好きなSFものばかりか、ギャグ、スポ根(『アニマル1』『あしたのジョー』)から史劇(『ラ・セーヌの星』、『円卓の騎士物語 燃えろアーサー』)、国民的アニメ『サザエさん』、世界名作劇場(『アルプスの少女ハイジ』『あらいぐまラスカル』他)の諸作品におよびジャンルは多岐にわたっている。
 自分が最初に関わった作品ということで、『鉄腕アトム』への思いは強く、『アトム』のカラー版リメイクを切望していたが、虫プロ倒産時のゴタゴタで権利関係が複雑化しており断念、結果、アトムのイメージを踏襲した新作『ジェッターマルス』(77)がつくられたという。本編は東映動画の製作だが、別所氏の発案で旧虫プロ・スタッフが多く投入されている。また、主人公マルスの声をアトムの清水マリ、後見人の川下博士の声をお茶の水博士の勝田久が演じることになったのも氏のこだわりだった。
 後述するオヤジなキャラには似合わず(失礼)、部類の読書家で、名作劇場や史劇ものにも理解が深かった。特撮ドラマ『スペクトルマン』(71)随一のトラウマ・エピソード、「ボビーよ怪獣になるな!」「悲しき天才怪獣ノーマン」(第48・49話の前後編・脚本は山崎晴哉)は、シナリオ会議の場に、別所氏が「こんなお話で一本書けないか」とダニエル・キイスの『アルジャーノンに花束』を持ち込んだことがきっかけで生まれたというのは、ファンの間では有名な話である。
 別所氏がクラシック音楽に造詣が深かったかは不明だが、彼が手掛けた『UFOロボ グレンダイザー』(75)の主人公デュークフリードのネーミングは、ワーグナーの歌劇で有名なゲルマン伝説の英雄ジークフリードからの発想なのはあきらかだ。同じく『SF西遊記スタージンガー』(78)もワーグナーのマイスタージンガー(親方歌手)を思わせる。お会いしたとき、ご本人に確認しておけばよかったと今は後悔している。

東大寺を破壊せよ

 特撮ものではピープロ制作の『マグマ大使』(66)が初仕事だった。ピープロとはアニメ作品『ハリスの旋風』(66)以来のつき合いで、酒が一滴も飲めない別所氏は、酒席のつき合いの多いテレビの世界で苦慮していたところ、ピープロの鷺巣富雄(うしおそうじ)社長も下戸と知り大いに親近感をもったとのことだ。以来、ピープロ特撮作品のすべてを担当している。
『ウルトラマン』と並ぶ第1次怪獣ブームの牽引者として知られる『マグマ』だが、実は広告代理店・東急エージェンシーによる完パケ作品で、局プロデューサーとしてはまったく苦労知らずだったという。そのぶん、暇があれば、栄スタジオの特撮ステージには通いつめた。別所氏曰く「特撮の現場ほど面白いものはない」そうだ。
『マグマ』の特撮は、東急グループの潤沢な予算の下、初代『ゴジラ』にも参加した入江義夫のミニチュアワークがすばらしく、今見てもこの部分に関しては『ウルトラ』を超えていたと思う。特に入江は実在の建物の再現(新宿西口のビル群とか)には定評があった。精巧につくられた東大寺大仏殿のミニチュアを怪獣が破壊するというバチ当たりなシーンを撮影するにあたって、別所は鷺巣社長と連れ立って奈良東大寺にお参りにいっている。それでも件のシーンが放映されたあとには、寺側からクレームが来たという。

東大寺大仏殿を破壊する怪獣ストップゴン。内部には大仏まで作り込んでいる。


『マグマ』放映終了後、雌伏期にあったピープロが再起をはかって世に放った特撮ドラマが『宇宙猿人ゴリ』(71)である。のちに『スペクトルマン』と改題、第2次怪獣ブームの先鞭となった同作品だが、放送決定から第1話オンエアーまで一か月という強硬スケジュールだったという話は有名だ。そのため、第1話は、特撮パートを含め粗も目立ち、試写を見た編成局長の武田信敬氏は、2か所のリテイクを要求した。しかし、撮り直している時間はない。一計を案じた別所は放映当日(1月2日)の放送時間に武田氏の家に電話をかけ、新年の挨拶にかこつけて世間話を始め、とうとう該当シーンを武田氏に見せなかったという。まだ家庭用ビデオデッキもなかった時代のエピソードである。
 ピープロ以外の特撮では本家円谷プロの『ミラーマン』(71)に局プロとして参加している。超大作と銘打った『マイティジャック』(68)は、フジテレビ社員でもあった円谷英二の次男・皐氏がこれにあたっているため参加していない。

残念だった異色作『メガロマン』

 別所氏が最後に関わった特撮番組は東宝制作の『メガロマン』(79)である。当時、第3次怪獣ブームともいえるムーブが起きており、特撮好きの別所としてはこのブームを定着させたいという意向だったのだろう。しかし、第1次、第2次と大きく違っていたのは、第3次ブームの本質がいわゆるレトロ・ブームであり、第1次、第2次を通過し大人になったファンが、過去の作品にツッコミを入れながら楽しむ(いわゆるオタク文化の走り)といったもので、新作に対する期待度はあまり高いものではなかった。
『メガロマン』は視聴率的には苦戦し、翌年の『ウルトラマン80』ともどもブームの起爆剤とはならなかった。もし『メガロマン』が成功していたら、テレビ特撮の流れも大きく変わっていただろうと思うと残念である。
 その『メガロマン』にも随所に別所氏らしさも見える。メガロマンはカンフーアクションを得意とする異色の巨大ヒーローである。『電人ザボーガー』の主人公・大門豊(山口暁)の殺陣にカンフーを取り入れるようアイディアを出したのは、ブルース・リー・ファンでもあった別所氏だった。また、メガロマンのたなびく白いたてがみは、『快傑ライオン丸』を彷彿させた(両キャラクターとも意識下に歌舞伎の『鏡獅子』がある)。やはり、別所氏はピープロ作品とこそ相性がいいようだ。
 
社長は同期なんですよ

ある本の企画で、鷺巣富雄ピープロ社長と別所孝治プロデューサーの対談をお願いしたことがある。筆者が別所Pに一度だけ面識があると書いたのは、そのときのことだ。
お話好きなお二人だけに、話題はピープロ作品にとどまらず、他社作品、果てにはテレビ業界の内幕にまで及んで、濃い内容のものとなった。
たとえば、『鉄腕アトム』のアニメ化の真の功労者は萬年社(広告代理店)の穴見薫氏だと別所氏は教えてくれた。当時、虫プロに中村和子氏という女性アニメーターがいた。美人と誉れ高い中村氏に手塚も懸想していたらしい。実は中村氏は穴見氏の交際相手(のちに夫人)で、これをとっかかりに穴見氏は手塚と急接近、『アトム』の売り込みを萬年社に委託させることに成功、そればかりか、その辣腕を見込まれ、後年、虫プロに常務として迎えられるのだった。
そんな思い出話を鷺巣家のソファで楽し気に続ける別所氏だが、興が乗るほどに貧乏ゆすりがとまらない。ゲップも飛び出す。鷺巣家では夫人が茶とともにタオルのおしぼりを出してくれるのだが、そのおしぼりで首を拭くのはまだいいとして、ズズズ…っと大きな音を立てて鼻をかんだのには驚いた。「(夫人に)俺がやったと思われたらイヤだなあ」と内心思いながらも、デスクにへばりつくよりも、現場でスタッフと一緒に泣き笑いすることを好み世事にはまったく疎い叩き上げプロデューサーの不器用な半生を見るようで妙な感動も覚えたものだ。
「今度のフジの社長(羽佐間重彰氏)、私の同期なんですよ」
 無邪気に笑っていた別所氏。社内の政治力学などとはおそらく無縁・無関心な人なのだろう。
 改めて、別所孝治プロデューサーのご冥福を祈ります。たくさんの夢をありがとう。

初出「昭和39年の俺たち」(一水社)2021年9月号


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