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目からビーム!113 日本の「加害」を歴史から風化させるな

 支援者に囲まれカメラの前に立つ重信房子はまるで凱旋将軍のようだった。
 自分たちがしでかした過去の事件を「戦い」といい、「50年も前のこととはいえ、戦いの中で無辜の人々に被害を与えたことをお詫びします」と形ばかりの”謝罪“をしてみせるにとどまり、被害者に対する具体的な言葉はなかった。50年前だろうが、100年前だろうが、1年前だろうが、人様の人生を奪った罪に軽減はない。しかもことは外交問題にまで発展したのだ。国辱である。
「私が逮捕されたことで多くの人にご迷惑をおかけしたことをお詫びします」ともいった。国際テロリスト集団の親玉が逮捕されたことで、ホッとする良民は世界に数多くいれど、迷惑と思う人間はどこにいよう。要するにこれは、支援者と「同志」に対するメッセージなのだろう。


「一方の情報、警察情報を鵜呑みにするのではなく、テロリストと呼ばれる人たちはなぜそう呼ばれるのか。そう呼ぶ側の意図をよく読み取っていただきたい」(重信房子)

 結局、彼女は謝罪も反省もましてや転向もしていないことがわかった。反省は彼女の人生を全否定することであり、何よりもカリスマとしての重信房子には許されないことなのである。彼女はこれからも支援者に守られ、ぬくぬくと余生を送りながら、世界に散らばった「同志」に密かな檄を飛ばし続けるのだろう。
 重信が潜伏していたホテルは大阪府の高槻市にある。彼女を匿っていた病院職員も赤軍関係者だった。同市は辻元清美の地元であり、新左翼の落人部落とも呼ばれているような土地柄。高槻市の公立小中学は長らく、卒業式などの式典での反国旗国歌運動のモデルケースとして全国の極左教師を鼓舞する存在だった。
 左翼教師は修学旅行と称して、生徒を中国や韓国の怪しげな抗日施設に連れていき、「日本悪うございました」と土下座をさせるのが趣味のようだが、ならば、一校ぐらい修学旅行先にイスラエルを選び、テルアビブの空港で「昔、私たちの先輩の活動家がこの空港で乱射事件を起こし罪のない人々の命を奪いました。日本人として心よりお詫びいたします」と教師、生徒ともども土下座してみせたらどうだろう。85年前の実態の不明な「南京大虐殺」よりも、50年前の「テルアビブ・テロ事件」のほうが、人々の記憶も確かなはずではないか。
 日本の過去の「加害」を、ぜひ学校でも教えましょう。

テルアビブ無差別テロ事件。出獄後のインタビューで重信は「また死者の中にはアーロン・カツィールという生物化学兵器の開発者もいました」と事件を正当化した。

初出・八重山日報

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