見出し画像

目からビーム!144 7月14日に祈る

 今日は7月14日。とはいえ本稿を書いているのは12日である。7月14日を仏語でそのままにキャトルズ・ジュイエといえば、革命記念日を意味する。巴里祭という粋な和名は日本の映画配給会社がつけたものだが、もとよりパリだけのお祭りではなく、この日はフランス中が三色旗(トリコロール)に染まり、夜となれば無数の花火が夜空を焦がす。ところが、今年は政府が一般への花火の販売を禁止してしまった。そればかりでない、催しそのものを自粛する自治体も出ているという。いうまでもなく、一連の暴動騒ぎを受けてのものだ。花火に刺激され不穏分子が暴徒化する、あるいは、花火に紛れて暴徒が火器を使うことを恐れてといったところだろうか。これに対しては、過剰反応という声も多いが、どちらにしても今年のキャトルズ・ジュリエは、その歴史の中でもっともピリピリした空気の中で式典が行われそうだ。
 警官による一移民系少年の射殺から始まった暴動は、フランス各地に飛び火し、あたかも内戦状態の様相を呈している。破壊、放火、略奪、リンチ、もはや暴力そのものが目的化し、どうひいき目に見ても、そこに正義はない。

パリの暴動。遠くエッフェル塔が見える。

 日本でも先日、埼玉県川口市の救急病院の前でクルド人100人による騒乱があったばかりだ。フランスの暴動はもはや対岸の火事とはいえなくなっている。
 生まれたらお宮参りをし、結婚式は教会で挙げ、死ねば坊主の世話になる、という特異な宗教観をもつ日本人は、一神教の厳格さ、悪くいえば、不寛容さをなかなか理解できない。日本人がこれまで国内で接するイスラム教徒はトルコやエジプトの世俗派や東南アジア系の比較的穏健な人たちばかりなので、トラブルもあまりなかったが、現在流入が進んでいるイスラム系移民はまったく性質が違う。彼らには共生の意思などない。受け入れてくれた国への感謝も敬意も持ち合わせていない。彼らが感謝を捧げるのは、征服するべき土地を与えてくれたアラーだけだ。彼らにとって異教徒は敵なのである。私もあなたもだ。
 安易な移民政策は将来に大きな禍根を残すとこのコラムでも何度も警告してきた。
 国際機関はなおも日本は難民受け入れの努力が足りないと非難する。ならば、こう言い返したらどうか、狭い日本には既に、済州島虐殺と朝鮮動乱から逃れて密航してきた難民とその子孫が60万人もいます、と。
 2023年の巴里祭が無事開催されることを祈ります。

よろしければご支援お願いいたします!今後の創作活動の励みになります。どうかよろしくお願い申し上げます。