チョコっとだけなら媚薬~日韓併合時代の甘い甘~いお菓子の話
チョコレートは併合時代のモボ・モガの恋の小道具だった? ほろ苦くも甘い誘惑の物語❤
阿片より甘く
朝鮮半島に西洋菓子が入ってきたのは、日韓併合より少し前、李朝の最末期である。当時、各国の公使が王宮に訪れるとき、高宗と閔妃に洋菓子を献上するのがならわしだったという。特に高宗は甘いものに目がなかったから、彼に覚えめでたくなるには。舌がとろけるような甘いお菓子が必要だった。
ロシアの外交使節はキャンディを、日本の使節はせんべいをもって捧げたという。そのためか、後世の韓国では「ロシアと日本の菓子が国をめちゃめちゃにした」という言葉まで人々の口にのぼったそうだ。こうなるとお菓子もまるで阿片なみの悪役である。ご承知のとおり、大英帝国は、清国を骨抜きにして支配するためにインドで作らせた阿片をあの広大な大陸に蔓延させている。
その清国を列強から切り離し、朝鮮を独立させたのは、他ならぬ日清戦争の勝者・日本だった。高宗と閔妃が当初、日本の勝利を小躍りして歓迎したことはいうまでもない。しかし、日本が三国干渉に屈し遼東半島を手放すと、高宗は「日本頼みにならず」と、いともたやすくロシアに寝返り、あまつさえ露館播遷という屈辱を甘受してまで、かの国に操を立てたのは、明らかに歴史の愚行だが、なぜ彼が日本を捨てロシアを選んだか、ひょっとして、せんべいよりもキャンディが甘いという単純な理由だったのかもしれない。リサーチ力に欠けるのは昔から日本外交の弱点だ。それにつけて、田中角栄が日中国交樹立のために訪中したとき、釣魚台国賓館の部屋には彼の大好物である木村屋のアンパンが置かれてあったという故事が思い出される。せんべいではなく、せいぜい虎屋の羊羹にでもすればよかったか。まあ、これは冗談。
朝鮮への洋菓子の流入はアメリカやフランスの宣教師も一役買っている。貧しい村々を回りながらお菓子を配るのである。
「主を信じなさい。さすれば、地上ははらいそ(天国)。この世の一切の苦しみは、主が与えたもうた、甘~いお菓子が忘れさせてくれるぞよ」。
こう見ると、確かにお菓子は人をたらし込める阿片のような魔力を秘めているといえるかもしれない。宗教は阿片とはよくいったものだ。
媚薬としてのチョコレート
昔、西田佐知子が歌って大ヒットした『コーヒールンバ』という流行歌がある。恋を忘れた若者もそれを飲めば、たちまち恋に目覚めるといった内容で、コーヒーの一種の媚薬的効果が歌われている。そこまでの即効性があるかどうかは知らないが、もともとコーヒーが欧州に広まる際には、滋養強壮の妙薬として飲まれていたという歴史がある。チョコレートの材料であるカカオもまた同じ。カカオの学名「テ・オブ・ローマカカオ」はギリシャ語で「神々の食べ物」を意味するのだという。いかにも万能薬といった感じの響きがあるではないか。ちなみに、古代アステカ時代、カカオは貨幣として利用していたほどに貴重品だった。
蔚山大学のソ・レソプ准教授によると、朝鮮で一般にチョコレートが親しまれるようになったのは1930年代だそうで、やはりというか日本製(森永)だったという。アメリカ製も輸入されてはいたが、庶民の口に入るには高価過ぎたようだ。
ソ教授が注目するのは、東亜日報1931年(昭和6年)11月9日に掲載された森永チョコレートの広告だ。そこには「チョコレートは、活動のガソリン」というコピーとともに子供がおもちゃの自動車にガソリン代わりのチョコレート(ココア)を注入している可愛らしいイラストが描かれている。さらに、そのコピーの横には「森永チョコレートの栄養価は鶏卵の3倍、米飯の4倍、牛肉の7倍半です」という一文が添えられているという。なんとも大雑把な比較だが、ここでいう栄養価とは単純にカロリーを意味しているのだろう。万人ダイエット時代の現代と違って、当時は高カロリー、高たんぱくが、優良な食品の条件だったのである。まさにこのコピーはチョコレートにおける滋養強壮の「滋養」の部分を象徴しているようだ。お菓子というよりも、今でいうところのカロリーメイトのようなポジションにあったようだ。
では「強壮」、つまり精力向上、あるいは媚薬効果について当時の朝鮮ではどのように喧伝されていたのだろうか。エロ・グロ・ナンセンスの風潮に後押しされた当時の流行小説にそれを見ることができるとソ教授はいう。
たとえば、『興行物天使』(1931年)という小説には、「チョコレートで化粧した」というフレーズが出てくるという。つまり、チョコレートを食べた女の甘い吐息が、唇が、男たちを惑わし奮い立たせる媚薬として作用するのである。また、チョコレートの、あのべたべたした感じは性的な暗喩として通俗小説の中にたびたび使われたそうだ。
《当時のチョコレートは、最も「モダンなお菓子」として紹介され、「愛をとる餌」として使われた。西欧から輸入されたカキ氷、チョコレート、コーヒー、ビールなどは感覚的快楽を満たすための嗜好品にとどまらず、階層的地位を飛び越え、恋愛に成功するための手段となった。西欧から輸入された新しい流行に敏感であった新女性(モダンガール)にとって「活動写真、パーマネント、口紅」そして「チョコレート」は最先端の流行を象徴するものだった。》(ソ・レソプ「チョコレートは近代の匂いがする」『新東亜』2014年5月号)
この時代、プレイボーイはシガレットを、プレイガールはチョコレートを手にもてあそびつつラブ・アフェアの小道具に仕立てあげていったというところか。まだまだ、チョコレートは子供のおやつとしては高嶺の花だったのかもしれない。なんといっても、中世では貴族の婦人の飲み物(板チョコはまだなかった)だったのである。しかも、閨(ねや)で飲むのがたしなみとされたというから、やはりどこか官能的な香りがまつわりついてくる。
コーヒーもカカオも興奮成分であるカフェインを多量に含む。またカカオの匂いの成分でもあるテブロミンやポリフェノールは血管拡張効果があり、アルギニンは男性の性欲促進に作用するというから、あながちチョコレートの媚薬効果も迷信ではなさそうだ。これは余談だが、犬はテブロミンの分解ができないため、大量のチョコを与えると中毒症状を起こし、はなはだしい場合は死んでしまうというから甘党の飼い主さんは要注意のこと。
バレンタインと春節
チョコレートと男女とくれば、誰でもまず思い浮かぶのは、聖バレンタイン・デーである。女性が男性にチョコを贈るスタイルは日本独特のもので、もともと神戸のモロゾフ製菓が1936年(昭和11年)英字新聞The Japan Advertiser紙(2月12日)に「あなたのバレンタイン(愛しい人)にチョコレートを贈りましょう」という広告を出したのが始まりとされている。もっとも儀式として定着したのは戦後で、1950年代に不二家がハート型チョコレートを売り出した際にキャンペーンを張り、その他の製菓会社がこれに追従してからだという。
さて、この日本式バレンタイン・デー、最近では韓国でも若者たちの間で流行っているという。あれだけ日本を嫌い嫌いといいながら、日本のものを模倣することにはまったく頓着はないのである。
むろん、こういった風潮を軽佻浮薄と断じるインテリも多い。2月14日は、伊藤博文を殺したテロリスト・安重根が裁判で死刑をいいわたされた日(1910年)であることから、「バレンタイン・デーは、日帝が自分たちの蛮行を隠すために韓国に広めた」という突飛な持論を展開する韓国メディアもあった。また、商魂たくましい韓国の某お菓子メーカーは、この日を「安重根義士の日」として、安重根の手形マークを入れたチョコレートを売り出している。なぜ、手形かというと、これには少し説明がいるだろう。安重根は伊藤暗殺を誓い、その決意を表すために、左手の薬指を切断、血の手形を仲間に贈っており、薬指のない手形は安重根のシンボルとして韓国では神聖視されているのである。韓国人が誰を英雄視しようが、何を崇拝しようがご自由だが、日本人の感覚からすれば、そんなチョコレートは、おどろおどろしい限りだ。どう考えてみても、韓国に日本式バレンタイン・デーが伝わったのは、戦後、しかも80年代以降のことで、安重根とは何の関連性もないのだが。
実は今回、調べていて面白い広告を見つけた。不老草キャラメルという純半島系のお菓子メーカーが出している1933年(昭和8年)の新聞広告である。「春節(小正月)には親しい人にキャラメルやチョコを贈りましょう」というキャンペーンを張っている。
韓国では新暦の正月よりも春節を重んじ、春節の三日間は祝日である。春節は移動日だが、通常、1月27日から2月20日の間の数日がこれにあたる。バレンタイン・デーとかぶるわけだ。
日本式バレンタイン・デーがお菓子屋の広告で始まったのなら、ひょっとして、韓国のバレンタイン・デーのルーツは不老草キャラメルの広告にあるのかもしれない、そんなことをふと考えてみた。
(初出)
※但し、単行本収録ぶんは短縮版。完全版はこのnoteが初登場となります。
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