死ぬほど辛いとき
あぁ。また素敵な女優さんが亡くなった。。
人として、優しく朗らかに明るく、素敵な空気に包まれていそうな彼女にも
耐えられないほどの闇があったのか。
薬の副作用なのか、精神が病んでしまっていたのか、本人以外が、本当の事実を知ることはないけれど、、、
それでも考えずにはいられない。
世代的にも近く、同じ母として、美貌も経済的にも、健康的にも恵まれていたように見える彼女がどうして死を選んでしまったのか。
なにくそ!と這い上がり、脱出して、自分を幸せにする選択は思い描けなかったのか、、、
この方が何を考え、何を思い過ごしてきたのかは分からない。
けれど、死にたくなるほど心がえぐられたこと、苦しかったこと、
辛く悔しく悲しかったこと、
生きてきた私やあなたも、一つや二つどころではないほど経験してきと思う。
年齢が若く、知識も経験も未熟だったあの頃、本当に苦しい時期もあったよね。
何が良くて何がしたくて何が正解かなんてわからなくって、
自分が嫌いで、人が嫌いで、それでも人と関わりたくて。
乗り越える方法を知らなかった私たちはただただ時間が過ぎて癒えていくのを待つしかなった。
あぁなんて苦しい人生なんだろう。
なんで私はこんな恵まれていないんだろう。
と、一人泣き、辛く暗い毎日を過ごしていた。
私がそれを脱出できたのは、二つの出来事から。
まず一つ目は、友達が、自分より、めちゃくちゃ病んでいたこと。
自分自身のカラダを痛めつけ、病み、一人苦しんでいたことを知ったとき。
ええ!それってだめじゃん!何とかしたい!と強く思い、彼女のためなら駆けつけ、話を聞き、一緒に泣き、一緒に過ごした。
自分よりずば抜けて、苦しんでいる対象を見たとき、自分に向いていた、『かわいそう』という思いがどこかに飛んでいって、『なんとかしたい』っていう相手への感情が湧き出てきた。
結果、この力が自分もを強く元気にしてくれていた。
負の感情で自分を対象に見つめていすぎると、抜け出せなくなる事がある。
なんで私にこんな事ばっかり起きるの。なんでみんな私に辛く当たるの。
そのことばっかり考えているとそのことばっかり拾い上げ、どんどん自分を縛り痛めつけていたように思う。
負の連鎖を自分で起こしていたよね、、、。
そういえば以前、同じ職場のスタッフにシングルマザーで、生きてきた境遇は想像を超えて苦しそうなのに、いつも笑顔で優しく居る人がいて、どうしてそう朗らかにいられるか不思議だった。
そして、聞いてみた。
「もう自分が辛くって辛くって耐えられないときどうしてる?どうしてた?」と。
すると、「自分の子供のことを考えると力が湧いてくるの。それでもだめなときは、不謹慎かもしれないけれど、世界の貧しい人たちや、辛い境遇の人たちの事を考えたり、映像を見て、あぁ、こんな人たちも精一杯生きている。私なんてまだまだありがたい環境だ、と思えると自然と力が湧くの」と。
その時は、自分より下を考えて、まだいいやと思える、なんかあんまり好かない感情論なのかな、と思えた。
けれど、そうではなくて、自分の意識が自分に向きすぎているとき、その思いを誰か違う対象に向けることで、心が変わることがあるんだな、と知った。
思春期を超え、社会に出たばかりのまだまだ若いとき、精神の成長的にまだまだ自分を見つめているとき。自分について病むなと言う方が難しいかもしれない。
そしてその経験はとても大切。痛みを知ることでしか人は優しくなれないから。
自分が経験した痛みを持つことで、相手の痛みが想像でき、どうにかして癒やしてあげたいと思う心がうまれるから。
それが優しさ、愛、だと思う。
自分が健康で元気いっぱいで楽天的で希望にあふれた毎日しか経験したことがなかったら、きっと人の痛みは分からない。それどころか、なぜあの人は前向きに生きられないのだろうとヤキモキし、腹立たしさを感じてしまったかもしれない。
繊細で、よく傷つく人、そんな人は誰より優しくって強くなれる。
経験上、私は心からそう思う。
だから痛い思い、苦しい出来事、悲しい状況、それらはかならず糧に、心の深みがある人になるよ。
そして脱出した二つ目の出来事。
もう、私の人生、絶対絶対、幸せに楽しく生きたいんだ!という『自分幸せ欲』の爆誕!!!
そう爆誕!!!!!
それはもう強烈に。
それが発生したときの状態はこうだ。
もう仕事のやりかたで悩みまくって、上司に相談しても精神論ばかりで怒られ、酔っ払ったお客さんに怒鳴られ続け、それでもニコニコ、笑顔をたやさず、朝4時まで毎日仕事。家でも母はほとんど家におらず、手紙で相談しても無視で、父に話をしてもいつも怒られ、兄弟も不穏な空気から話しをせず、とうとう身体がおかしくなる。
息が出来なくなって、寝られなくなって、下痢が止まらず、気持ちが悪く、めまいが止まらずご飯が食べられず、15キロ以上痩せた。
一人で調べ胃腸へ行って精密検査をしたら、精神科を進められ、
一人精神科で鬱病・パニック発作と診断される。
処方された薬を飲んでも身体に全く合わず、余計にひどくなる。
母に泣いて相談したが、なぜか怒って泣かれて出て行かれた。
未成年だったため、なんとか父を精神科へ連れて行ったら、主治医と口論になり、その後主治医に嫌みを言われ続け、さらに病む。
当時のカレはこの重い状況を受け止めきれず、浮気し、破局。
あーーーーー
もう!やってられるか!!!
どうしたらいいんだ!
なんで身体が苦しいんだ!
なんで涙が止まらないんだ!!!
もういやだいやだーーーーー!
何か吹っ切れたワタシ。
近くに相談出来る大人がいなかった私は本屋で助言してくれそうな本を読みまくる。
ひすいこうたろうさん。
アドラー。
ニーチェ。
自己啓発本や、女性のエッセイ本、たくさんたくさん読んで、
本当に助けられた。
その時の私にとって、それらが教えてくれた、考え方、生き方、目から鱗なことばかりだった。
もう私の人生は私のもの。
今ある周りのことは、私が選択し続けてきた結果。
その結果は私が責任を持つ。そして誰に何も私の心を従わさせることをさせない。
誰かのためにしたことも、わたしが決めてしたこと。
数ある選択肢から、ここにいるのも私が選択したこと。
決して家の経済状況、産まれた環境、自分の容姿のせいなんかにしない。
それらをふまえた上でも選択肢はたくさんあったはずだ。
何が何でも勉強し、奨学金を勝ち取って、大学に行くことも、親の願いで決めた仕事を継承せず、自分の憧れていた仕事に進むことだって出来たはず。
それでもわたしがそれらでは無く、周りが望むことを、喜んでくれそうなことを、その時の私は決めたのだ。
そんな星の下に生まれたのだ、と勝手に流れに沿って生きていた気分になっていたけど、結局そう生きようと、そう流されたのも、私自身だったのだ。
もうこれからは何のせいにもしない。
私が自分の責任で楽しく、力強く生きていく。
そう腹を決めた。
そこからはめちゃめちゃ気分が変わった。
思考が変わり、朝が来ることに怯えていた日々は次第に消え、
どうしたら自分の身体や心、を心地よく出来るか徹底的に考え実践した。
アロマ、マッサージ、紅茶、優しい友達に連絡して話を聞いてもらう、
おしゃれをする、徹底して自分を癒やし、喜ばせる。
そして仕事では、自分が出来ること、出来ないことをハッキリ伝える。
楽しく、挑む。そして永遠にこの仕事に縛られるわけではなく、いつだって無限の選択肢を私は持って居る事を意識する。
肝がすわるってこういうことなんだな、と実感した。
おどおど、不安に生きているんじゃ無くって、
無限の選択肢の中で私は私を幸せに楽しく、強く生きて行くんだ、と。
何を言われても、それを感じそれを発するのは相手の責任。
そう言った言葉を聞き、わたしがどう感じどう判断するかは私の責任。
もうそれだけなんだよね。
決して冷たいんじゃ無い。
自分の人生に責任を持ち、選択し、生きること。
こんな楽しく、軽やかに、生きる方法を私は経験から学んだ。
この経験は、結婚し、子供を持った今、とても生きている。
夫の言動に腹立つ事もあるけれど、彼は彼の人生を生きている、
彼が言うこと、行うことを強制、修正してやるなんて考えはおかしい。
私はただ、どうして欲しいか伝え、彼がそれを聞きどうしようか決めるのは彼自身だ。もちろん逆も然り。
子供だって立派なひとりの人だ。
赤ちゃんの頃からお世話をし、生きる術を伝えているとどうしても上下関係のような気持ちが生まれる。
ついつい従わせたくなるものだ。
それでもそんな時、彼らの思いを尊重できているか、彼らの生きる時間軸を、経験を尊重出来ているか、ふと考えられるようになっているのだ。
それらも、わたしが私自身、自分を大切に責任を持って生きてこられたから。
あのまま何かのせいにしたまま生きてきたのなら、自分の状況を悲観的に捉え絶望し、周りが思うように行かないことに腹を立たせ、つまらなく生きてきただろう。
絶望的な状況から生まれた『自分幸せ欲求』。
腹をくくった人は強い。
人は窮地に追い込まれたとき、どうするか。
死を選んでしまうことは弱さでも何でもない。
私はそれがただただ悲しい。
最後の最後まで自分を辛くすることしかできなかったその現状が心底胸が痛む。
どうかどうか、あなた自身を、幸せに優しくたのしくしてあげて欲しい。
それはあなたしか出来ないのだから。
自分に甘く、優しく、ね。
なんだってあなたの思うとおりにしたらいいんだよ。
あなたが嬉しい事をずっとずっとしてあげて。
こころから願います。
jasmine
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