見出し画像

信じる、とは。

今話題になっている、【信じる】ということ。

芦田愛菜ちゃんが、映画の制作発表の場で「信じる」という意味を語っていて、それがなんとも哲学的で、真髄を言い当てたような答えで話題になっている。

【信じる】という言葉。

私はあなたを信じている。とか、この本の内容を信じている。とか、

対象は様々あるけれど、自分が「大事にしたい」、対象のことを指すことが多いと思う。だから余計期待が増す。そしてなにか自分が思う事と相違が出てくると、裏切られた、と感じるのだろう。

だから、若く、経験がまだあまりない頃は、想像の余地も無く、よく裏切られた、と感じる事が多い。

【信じる】思いが一直線に迷いが無く、強く、濁り無くあるあの頃。

たとえば初めて付き合ったカレ。こんな優しくて、私とぴったりの相性で、かっこよくて、こんな素敵な人この人しか居ない!と瞬間的に感じられるあの頃。

自分が見つめていた側面しか実際はカレのことを知らないのに、そんな理想のぴったりの人だと思い込んで、、、

ふと、レジの順番に並んで待っているときの態度の悪さや、疲れているときの相づちの冷たさに、心底幻滅する。そんなのは今となってはかわいいもんだけど、一直線にカレのことを信じていたあの頃にとっては、たったこんなことだけでも、自分が信じていたカレとは違うことに、裏切られた!と傷つく事もあるだろう。

大人になればもっともっとある。愛想良く、信頼できそうな人が、プライベートで見かけたとき、はちゃめちゃなクレーマーだったり、

相談を聞いてくれる親友と思っていたのが、裏で自分のカレと付き合っていたり、、、

信じていたのに、、、裏切られた。

この、裏切られた、と言う思い。これが、芦田愛菜ちゃんが言う、

その人のひとつの側面だけを見ていた自分がいて、手のひらを返され裏切られたと感じるけど、実はそうでは無くて、その人のもともと持って居る、違う側面が見えただけだと。

だからその人からしたら、裏切ったと思っていないこともある、と。

あぁ確かにな。と思った。

事実、自分の良い側面のみをみせて自分の傲慢な所を見せないようにしたり、そもそも騙そうと隠している人もいるのは確か。

けれど、大体の人は最初から騙そうと思って居ることは少ない。

オンとオフの顔があるように、人はみんな色んな顔を持つ。意図的にでは無く、その場に合わせた自分が出てくるのは自然なことだ。

私も子供を持って、一人の人をまるごと受け入れ、愛し、信じる事を知った。

もう産まれてきてくれただけで、ありがとう!!な存在だ。

この子が運動神経が良く、成績優秀で、人に優しく、丁寧に生きてくれなくってもキライになんかなることや、ましてや裏切られた、と思うことなんて絶対に無い。

母だから全部知っているわけでも何でも無く、

例え、何かのまちがいで犯罪を犯してしてしまったとしても、私の愛の伝え方や育て方に反省することはあっても、我が子への愛や思い信頼は変わらない。それが正しいかどうかは置いておいて、人を丸ごと信じている、愛しているってこういうことなんだと、初めて体感できた。

それからは、何かひとつの約束事や願いを強く信じる!ことは自然と無くなった。この人なら間違いない!と思って託したことも、もちろん、この人だから信じてはいるけど、何か天気や、事故や、病気や、色んな事情でダメになることもあるかもしれない、その時のリカバリー方法を考えておこう、、となるようになったのだ。

だから、信じている心は無くしていない。けど、【信じる】という意味が相手に対して優しさを含められるようになったのだ。

そう思うと今までの、信じる!は相手にとって脅迫じみた強い思いだったのかも。笑 ごめんなさいね。。。

時に自分よがりの、期待・希望の、信じる!は相手にとって重荷や押しつけになっているのかもしれないね。

信じる。あなたを信じているね、、。

今までより、もっと優しく、思いやりがある言葉として使っていきたいですね。。。

jasmine

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?