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Photo by
okanokura
Clubhouseで偲ぶ会をしてみた。
先日、若い頃から会社でお世話になった先輩が亡くなった。
会社のある先輩からLINEで連絡をいただいたのだが、
突然だったのでびっくりした。
最後にお会いしたのは、昨年の秋。
ご自宅に伺った時、前菜からデザートまで一つ一つ手作りで、おもてなししてくれた先輩は、幸せそうで、楽しそうで、元気そうだった。
自分の中のその先輩に話しかけたりしてみた。
「どうしたんですか?」
「ほんとですか?」
「あの時も調子悪かったんですか?」
「本当は私に何か話そうとしていましたか?」
だんだんと答えが欲しくなってきて、
もうこの世にいないという実感が持てず、
先輩にLINEを送ってみた。
「〇〇さん」
とだけ送ってみた。
まだつながれる方法がある、という気がして、
送れただけで少し気が楽になった。
1時間後、返事が来てびっくりした。
ご主人からのご葬儀のご案内だった。
一瞬、まだ連絡が取れるような気がした。
自粛生活・リモートワーク・IT進化で、
この世界からいなくなる、ということが少し薄れてきているように感じた。
逆を言えば、この世界にいる、ということも少し薄れてきているようにも感じた。
お通夜に伺っても、先輩らしい結婚式をテーマにしたお通夜。
全然実感が持てない…ので、
仲間とClubhouseで偲ぶ会を開いた。
流行りもの好きの先輩だったら、Clubhouseにすぐに参加しそうだったし、
心のどこかで「ちょっと立ち寄った~」と参加してくれるのでは、
と、少しだけ期待して。
生と死の距離感が、デジタルを挟んで緩やかになってきている。
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