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すきの積み重ねが、自然と趣味になる

趣味があるって、とても素敵だ。
でも、例えそれがなかったとしても、無理に作る必要はあまりないと思っている。

趣味って、見つけるものではなく、気付いたら自然と見つかっているものだと思うから。

そういえば、福山雅治(さん?)がとあるラジオでこんなことを語っていたそうだ。
彼の言葉が印象深くて、今も記憶に残っている。

趣味があれば人生豊かになれるって言うのも違うと思う。
本当に心が豊かな人っていうのは、ただ空を見上げて、流れる雲を追いかけるだけで、感動できる人のことですよ。

僕はそういう天才を知っています。
写真家の植田正治先生。
鳥取県の米子、境港界隈、あの辺りに住んでいらっしゃったんだけど、毎朝散歩に出かけて、なんか拾って帰ってくる。落ち葉とか枝とか拾って帰ってくる。それをテーブルの上に乗せて、写真を撮る。
そこらへんに埃が落ちてても、「この埃、なんか面白い形してるな」パシャ・・・みたいな感じですよ。

先生はそれが趣味であり、人生であったのかもしれないけど、“何かやんなきゃ!”とかそういうことじゃないよね。
必然的に体が動いたこと、動かざるを得ないくらい興味を持ったことが趣味になる。
別にそれが趣味にならなかったとしても、毎日空を見上げるだけで感動できる人って世の中いるわけですよ。 


「“何かやんなきゃ!”とかそういうことじゃない」
「必然的に体が動いたこと、動かざるを得ないくらい興味を持ったことが趣味になる」
という部分に共感する。

日々の生活の中で心惹かれるものに出会い、それをただやりたいから、やっていく。
そういうことの積み重ねで、気づいた時にはそれが趣味になっているのかもしれないね。

このnoteを書くことも、コーヒーやサウナや内省も
そんな感じなのかも。

やらなきゃ!と思ってやっていないし、好きというだけで地味に続いてきたものばかりだ。

好きなものは、突然現れるから、やっぱり無理に作るものじゃないよなあって思う。

ああ、ここ最近で感じていたことを、やっと言語化できた気がする。
ちょっと嬉しい。(笑)

では、今日はここまで。

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