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無機質に走り続けていた、誰かに敷かれたレールの上

小さい頃から、私は年上の人の方が好きだった。

大きい人に囲まれていつも上ばかり見ていた。

自分という景色のすぐそこにある、こころすら見えていなかった。


4歳上のお姉ちゃんがいたから尚更に、親戚に会っても、どこへ行ってもお姉ちゃんの後ろに隠れていた。とりわけ何かを意見するわけでもなく、聞かれた質問にも答える必要もないくらい、お姉ちゃんが全部代わりに説明してくれていた。私はただ、顔だけ出しているような無口な子でいてもそう不思議には思われなかった。それでも、年上の方々と一緒にいるのは色んな知識が得られるようで、刺激的な毎日を送っていた。それで満足だった。

別に将来のことなんて考えなくても、お姉ちゃんのように進学して就職できると思っていた。だからお姉ちゃんの行く高校、大学は同じ外大に行った。逆に頭のレベルも目指すところが明確だったから多少良かったのかもしれない。でも大学4年生を迎えた年、しっかりと挫折した。


大学に行くといろんな人がいる。一気に道が開けて、毎日たくさんの選択肢を与えられた。そんな生活を楽しみながらも、やりたいことを明確に、やれることをやりたいだけ出来た気がした。授業も休まず行って、テストも満点を心がけて、レポートは得意だったから、オリジナルな世界観を発揮した。表現の世界はすごく面白かった。

そしてひとつ、宇宙の中で最も好きだと感じられたのはデザインの惑星だった。表現の一角として、絵を描くことで自分のアイデンティティを投影していた。でもここからは、一切として先駆者を見つけることは出来なかった。外大でデザインを教えてくれる人はいない。そして、自分の中だけの世界観を持ってして、就職先という行先を闇雲に探し求めた。毎日朝から晩まで、ポートフォリオ(作品集)の作成に勤しんだ。大手も中小もわからぬまま、ただただ応募しては落とされ、応募しては落とされた。一体何が求められていて、何が駄目だったのかわからないまま、最終的に「ポテンシャルは認めますが....。」の一言が添えられていた。

これが丸一年続いて、やっと我に帰ったのである。デザインとアートの違いもわからない者に、出来なくて当然だったということを。デザインは才能じゃない、センスじゃない。カッコいいか、カッコ悪いかの世界ではなかったことを、今なら咀嚼するように分かる。

簡単に言ってしまえば、クリエイティブの世界に就職することは出来なかった。一番無いなと思っていた営業職に就いて、また目標もないままその会社が敷いたレールに乗っかって、毎日毎日同じ日を繰り返しているようだった。それでも広告会社ということで、危機一髪夢にかじりつけているように思えていた矢先、「真面目に頑張る」という得意技を酷使した為、病気になった。最悪な展開だけど、これが最高なターニングポイントとなり、ようやく自らやりたかったデザインを学校で学ぶという道を選択した。

レールが敷かれていない人生に一歩踏み出すことは、真っ暗な森の中で歩むことを強いられることと同等な怖さがあった。新しく何かを始めるための勇気や努力、度胸から何から何まで自分にはやってこなかった経験が多すぎて足がすくんだ。目の前に与えられたタスクを忠実にこなすことは迷いなくクリアできる。だけど唯一、デザインやイラストというクリエイティブな行為には、自分にしか出来ない、誰かのこころを動かすことのできる魅力を感じた。更に自分自身もそういったデザインやイラストに胸が躍る感覚を覚えていた。

私はこれからスタート地点に立ち帰り、2通り目の人生を歩む事になるが、1通り目が失敗だったとも思えない程、私の意見に耳を傾け、手を貸してくれる素敵な仲間がいた。今があるのは、確実に道を歩ませてくれようとした姉や家族、周りの友人がいてこその人生であると痛感している。一生しか生きれない人間が、奇跡的に現世で2生目を生きているんだから、その環境を整えてくれた家族に、何もかもを受け入れてくれている友人に、感謝も恩返しもしたい。

自分の目標に辿り着くためのプロセスは、自分のためのレールでなければならなかった。私は4月からデザイン・イラストの専門学校に通い始め、自分だけの人生を今歩き出している。

#あの失敗があったから

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