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ヨガの聖地リシュケシュでの出来事。

ヨガの聖地リシュケシュに到着した僕はラクシュマンジュラという地域にホテルを借りた。

確か一泊100ルピーとかだったかな。(日本円で200円とかで泊まれた。)

部屋のベランダに出るとガンジス川を目下にしたいいロケーションのホテルだったな。

ここのホテルの従業員にめっちゃ気が合うインド人、マヌーと仲良くなって、バイクで色んなところに連れて行ってもらった。

ある日、マヌーと隣の町までバイクに乗って酒を買いに行った帰り。(リシュケシュは肉とアルコールは禁止の場所なので、売店などではお酒などは全く買えない。)

その帰りの夜道、山道をバイクの後ろに乗りながら、マヌーに喋りかけていた時に完全なデジャブを体感したのは印象的だったな。

日本にいる時に訳の分からない言葉で誰かにバイクの後ろから大声で話しかけてる夢を覚えていて、それと全く同じ光景だった。

デジャブって海外の夢も見るんだと思って、今でも覚えている。

デジャブは先に経験する景色を夢で見せてくれる。それは人生においてちゃんと起こるべくして起こっている。間違いない道にいると言う気持ちにさせてくれる。

子どもの時からデジャブはよく見る方だ。

話を戻そう。

リシュケシュでは朝から夕方までヨガを大体2セットくらい習いに行きながら、ヒマがあればビートルズアシュラムを探検しに行ってたな。

そうこうしてるウチに季節は12月も終盤。どうやら年越しはリシュケシュになりそうだ。(インドに来たのは10月の終わりの方)

僕はリシュケシュのどこかのお店で、リシュケシュの近くでリシュケシュ初の年越し野外イベントが開催されるのを知った。

日本に帰ったら、無農薬の八百屋をやりながら、アキラが主催してるパーティーオーガナイズも手伝う予定だったから、LSDもあるし、待ってましたとばかりに年越しパーティーに申し込んだ。

大晦日の12月31日。マヌーにバイクを出してもらい、リシュケシュから1時間くらいの場所のパーティー会場に着いた。

一応ホテルも取っており、ホテルの相部屋はなんかインド人の社長。かなり裕福そうな男と同じ部屋になった。

しかし、パーティー自体は全然面白くなく、日本から持ってきたLSDを食べてもあまりキマらず、ヒマだった。相部屋のインド人の社長がつまらないから帰ると言い出してたので、僕もリシュケシュまで車でのせてもらって帰る事にした。

リシュケシュに到着した僕は、部屋に戻り、余ってたLSDを一気に食べた。

そしたら、1時間するかしないかで、すごいキマりだしたんだ。

そこで僕は今まで味わった事のないBADトリップに陥ったんだ。

それは、自分が今まで経営していた会社を畳み、1人でインドの山奥で年越しをしてる自分がとても惨めになってきて、さらに東京では当時の仲間たちは楽しく遊んでいるだろうとか。
自分の自己満足で勝手に理由つけてインドまで来て、ただの逃げて来た、弱くてどうしようも無い人間のように自分を追い込み始めたんだ。
このままホテルのシャワー室で首でも吊ってやろうかなと思うくらい本当に死にたくなった 笑

だけど、LSDは6時間で効き目が半減。12時間で無くなるというのは勉強済みだったから、とにかく泣きながらベッドの上やシャワーに打たれながら、落ち着くのを待ったんだ。

時間だけが経過し、意識が朦朧とする中、外から大きな鐘の音がカーンカーンと鳴りはじめたんだ。

その音を頼りにベランダに出ると、ガンジス川がオレンジ色の光に照らされ、迎えてくれた。
そして、近くのアシュラムから鐘の音が優しく鳴り響いていた。

その途端に日本の友達から電話が来た。

何をしてるか聞いたら、家でガキの使いを見ていたらしい。

数時間の僕の悩みは、ただ僕が生み出したパラノイアだったのだと分かった。

リシュケシュでの思い出はこのデジャブと年越しのBADトリップだな笑

そして、僕はトランス音楽の聖地ゴアへと一路旅立つのである。

〜続く〜

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