とあるゲイの昔話:4
ダイキとの恋が終わり、僕は自分がゲイであることに気付いた。好きになるのは、必ず男だった。高校生になってからも、目で追うのは男ばかり。パソコンでエロ動画を漁るときも、検索する言葉は「ゲイ」「ホモ」「セックス」こんな言葉ばかり並べて家族が寝静まったリビングで、二重の意味でドキドキしながら観ていたりもした。
僕が入学した高校は、農業高校で3つの科があり、それぞれ男女の割合がバラバラだった。5:5、1:9、9:1。クラス替えもなく、三年間同じメンバーで卒業まで青春を楽しんだ。僕のいたクラスは9:1の割合で、40人ほどいる男子の中で、女子は4人だけという、なんともユニークで面白いクラスだった。男子校、という場所にご縁はなかったので、雰囲気が同じなのかどうかは分からないが、とても居心地が良かった。
ゲイだから男子が多いクラスで幸せだったか、と問われたら僕はNOと答えるだろう。男が全て恋愛対象になるわけではない。それは異性愛者でも同じなはずだ。好きでもない男の裸を見ても、僕は興奮しない。プールの授業であってもそれは一緒だ。友達の裸を見ても「ふーん」くらいにしか僕は感じなかった(興奮はしないだけで、眼福ではあったけど)
その同じクラスで、好きになった男友達がいた。ここでは「ヨウタ」という仮名を使わせてもらう。僕は多分、一目惚れというものを一度もしたことがない。ヨウタも同じで、最初はごく普通の友達だった。気になり始めたのは、高校三年生になってから。僕のいた科では卒業する前に所謂論文みたいなものを提出する課題があり、僕はヨウタとペアで論文をまとめて出すことになった。必然的に一緒にいる時間が長くなり、休日にも、お互いの家に遊びに行ったりして論文をまとめていた。
ヨウタは僕より小柄だったので、昼休みになると僕の膝の上に座ってくるのが日常になっていた。携帯電話を互いにいじりながら、時折互いにじゃれ合いながら。そんなある日、同じクラスの友達が
「お前ら仲良すぎ、ホモかよ」
通り過ぎざまにそんなことを言われた。僕は誰に何を言われようが別に平気だったのだがヨウタはその言葉を気にしたのか、スッと僕から離れてしまい、それ以来膝に座ってくることはなくなった。あの野郎、余計なこと言いやがって、と思ったがヨウタに変な疑いがかけられるのは嫌なのであまり追及はしなかった。
話す時間も増えていくうちに、僕は「ダイキ」と似た感情を、ヨウタにも持ち始めたことに気付いた。その感情が恋であることを決定づけたのは、ヨウタが他の女子と仲良く話しているのを見かけてしまったとき。そのとき僕は初めて、女子に「嫉妬」をしたのだ。ヨウタと一番仲が良いのは僕なんだ、ってヨウタを自分のものみたいに勝手に解釈して、ドス黒い感情が身体の中でもやもやと渦巻いているのを、家に帰っても、寝る前にも、その感情はしばらく身体に居座っていた。
そして同時に後悔した。なんで、友達を好きになってしまうのだろう・・・・・と。ダイキのことがあったから、僕はヨウタに想いを伝えるなんてことはしなかった。どうせ言っても振られてしまう。友達でいられなくなる。想いを伝えないという辛さを、一番長い期間味わったのは、おそらくこの時だろう。
当時、ゲイであることは誰にも言ってなかったので、相談相手もいない。高校を卒業するまで恋愛に関してはとてもしんどい思いをした。報われない恋があるのはもちろんゲイだけではない。そのしんどい思いを少しでも消化してくれた歌があったのでここで紹介しておく。
アニメ のだめカンタービレのエンディング曲「こんなに近くで」
ヨウタには、結局想いを伝えることなく、高校を卒業するとともに僕の恋は終わった。高校時代、好きになったのはヨウタだけだった。タイプのイケメンはもちろんいたけど、仲良くなろうとは思わなかったし、その手のイケメンは見るだけで充分だった。
甘酸っぱい青春なんてのはしょせんおとぎ話。僕には無縁のまま社会人になってしまった――
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