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なんだ。楽して生きたかっただけだった。

現実が辛いのは、私が間違っていたから。

それに気づいたのは、去年の夏だった。
シンプルに価値観を変えれば済むだけのことを、価値観にそぐわない現実を、自分の尺度に変換し、解釈によって納得するという、なんとも面倒くさいことをしていた。

自分を責めることは格段に減ったし、心が疼くこともほぼなくなったので、だいぶ楽にはなれたけれど、現実が嫌になることはままある。
感情に呑まれて、不機嫌を撒き散らさないようにするだけで精一杯なことも。

ずっとその理由がわからなかった。
自分に対して、全てを許したつもりだった。
なのに、許せない。
幸せになりたいと願って、許可してみても、幸せを感じない。
存在を肯定しても、自分に対する無価値観が消えない。

ハッピーになるはずの価値観がもたらす現実が、不幸せな実感なのはなぜ?
価値観と感情が一致していないから。

なぜ、一致しないのか?
不幸せをもたらす価値観だから。

どうすれば、ハッピーになれる?
価値観をかえる。

なぜ、価値観を変えようとしないのか?
…変えると困ることがあるから?

困ることって?
本気で願っていることが、叶わなくなるから。
気づいてないみたいだけれど…

いわゆる自己欺瞞というやつです。
例え、今の現実が嫌だとしても、その不快さを我慢する方がマシ。そんな強烈な願望が隠れている。
自分にとって、都合の悪いなにか。

本当に知りたい?
覚悟はある?
どんな願いだったとしても、認められる?
バカにしない?拒絶しない?
到底、受け入れられないと思うよ?
それでも、知りたい?

楽して、生きてゆきた〜い。

嘘でしょう?
ガッカリだよ。そんな人間じゃないと思っていたのに。人として最低の人間が、私なの?

はい。これです。
「楽していきたいという人間は、最低」

こんな信念があったから、やりたくもないことをがんばり、楽しないように苦手なことを選んできたわけです。
そりゃ、人生ハードモードになるはずですよ。

よく考えれば、楽して生きたいなんて、悪いことじゃない。むしろ、進化脳だ。才能です。

気づいてみたら簡単なのに、気づくことができないもの。それが、自己欺瞞。

なにがあっても、自分の味方でいることの重要度が増しました。

今度、現実が辛くなったら、自分を裏切っていないか、省みることにします。

今日の運気 ▲
日中はゆっくり。夕方からは行動的に。
掃除、片付けに良い日。

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