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【韓国ドラマ】『海街チャチャチャ』が可視化した市場原理が壊したもの

お金があれば、たいていのものは手にはいる。

ある調査では、「子どもの学力はお金次第」と考える親の割合が過半数をこえていたし、いつまでも若々しい有名人は「お金をかけているからだ」とやっかまれる。

安心安全な住環境、年をとっても輝くような白い歯、教養を得られる趣味やレジャー、混じりけのない水、無農薬の野菜……などなど、現代を生き抜くにはとにかくお金がかかる。

当然、そのような世においては、財力はパワーの指標となるだろう。

「教育競争を勝ち抜き、良い大学を出て稼ぐ者」「専門知識やスキルを金に替える者」は「勝ち組」などともてはやされているのは良い例だ。

今、ネットフリックスで配信中の『海街チャチャチャ』は、田舎の港町を舞台とした韓国ドラマ。主人公の男性は、「勝ち組」側に行く十分な資質を持ちながら、「そちら側」に行くことをかたくなに避けているようなキャラクター

多種多様な資格を持ち、数か国語を理解する教養を兼ねそろえているが、どんな労働も最低賃金で請け負う。あらゆる雑事を手際よくこなし、損得勘定抜きの濃密な人間関係に時間を費やし、消費や浪費とは距離を置き、手作りのせっけんなどを作って安く売っている。

韓国の最高学府と呼ばれるソウル大出身の彼がなぜ「人に与えてばかりいる」「人から決して過度に奪わない」生き方を選んだのかは、これから明らかになるのだろうが、中盤までこのドラマを見て、ふと思った。

「お金があればたいていのものが手に入る」ことで、残酷に壊されたものだってあるのだと。

大人も子どもも「稼げる場所」「成功に近い場所」を目指すことで、地域の人間関係や、手つかずの自然、平等な教育機会は少しずつ失われ、「稼げる場所」に人材もお金も吸い寄せられていく。

この構図の中で、「勝った者」は、意図せず「勝っていない者」から金・時間・自然・心の余裕を搾取している例さえあるだろう。

主人公は、抗うことのできないこのうねりを感じながら、顔では笑い、心では泣きながら、一見、何の悩みもなさそうに暮らしている。

このドラマのメインテーマは、主人公同士の恋愛模様だが、SDGSという言葉さえもファッションの記号のように消費され始めた今、「サステナブルな地域づくり」「ポスト新自由主義」という硬派な裏テーマがギュッと詰まっているようなドラマだと感じている。


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