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ハロウィンの週末に韓国の『フィフティピープル』を読み返した理由

凄腕の韓日翻訳者たちの活躍があり、原文をくみとった美しい日本語で韓国の名作を読めるようになった。
 
近年の翻訳物を読んでいると、2014年のセウォル号の惨事と、そこに至るまでの社会的な背景は、韓国文学界にも多大な影響を与えたことがわかる。
 
さまざまな作家がそれぞれの想像力を駆使し、市井の祈り、その後の日常、あったかもしれない別の結末の物語を生み出している。
 
そして、この週末「あったかもしれない別の結末」を思わずにいられない事故が起こった。昨日、朝一番のラジオニュースが耳に飛び込んできたときから、異国で暮らす異世代の私でさえ、ひどく打ちひしがれている。
 
犠牲になったのは、社会に激震を与えた2014年の事故を多感な時期に見聞きし、2020年から対人コミュニケ―ションの機会と若いエネルギーを凍結された、人生の中でもっとも自由を謳歌することができる“予定だった”年代だ。
 
年をとってから昔の友人と再会して、疲れを知らぬ時期の思い出話に花を咲かせ、魂が若返る瞬間を追体験できるような、そんな経験が叶う年代だ。
 
過熱する教育競争の中で日常の制約に耐えに耐えて成長した子たちが、誰かと水平につながることができるような、貴重な一日だ。
 
感染症の孤独な日常を終え、当たり前のようにあった祝祭が消えた今、袖すり合う誰かと高揚感を共有できる一日だ。
 
そんな美しいときが突如断たれた人、その人を愛している家族・恋人・友人、そのニュースを見て再び日常が凍結されたような思いをしている人たちを思うと、胸が張り裂けそうになる。
 
過去の傾向や歴史を踏まえると、もう少し時間が経ったら、今の哀悼の雰囲気は、誰かが誰かを責める言葉に変わっていくかもしれない。
 
自治の長、行政、街を喧伝したエンタメ産業、有名人、海外発の行事にあやかった人、若者の幸福を蔑ろにする政治など、非難の的は多岐にわたるかもしれない。海外向けに発信するきらびやかな文化の「陰の部分」をセンセーショナルに報じる記事が目立つようになるかもしれない。
 
今朝、『フィフティ・ピープル』という50人超の主人公が出てくる短編集の最後の一編を読み返した。物語の中では、面識のない者同士の優しさが巡り、縁が交差し、大きな災害の中で全員が救われる描写がある。
 
この結末が現実だったらと思わずにはいられず、何度も読んでいるのに、今日も泣いた。
 
大きな声で非難をする人がいる一方で、きっと粛々と現状を改善しようとする人がいる。祈りを捧げ続ける人がいる。表立って発信せず若者のエネルギーの発露を見守る人もいる。連帯をしようとする人がいる。メディアは、どうかそちらにも目を向け続けていてほしい。


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