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一握りの希望 『カード師』感想


小さい頃、カードをめくるのが怖かった。
正体を隠し裏向きで並ぶカード達は、無数の他人のようだった。ふれようと近づけた僕の指は手前で止まり、いつも宙で悩んだ。
p.7

 中村文則 著『カード師』は、この印象的な一節で始まる。
 学生の私は収入に乏しく、普段なら本は文庫か、中古のものを買う。しかし書店でこの一節を目にした途端、手放せなくなってしまった。
 どこかでこんな風に、気持ちを代弁してくれる人を探していたのかもしれない。

 世の中が、あまりにも怖かったから。

 2021年もそろそろ折り返しに入るが、新型コロナウイルスの脅威は未だ収まりそうにない。そんな中、オリンピックの開催も控えており、論争は絶えず、人々の不満もつのるばかり……。

 学生の私は、オンラインで授業を受けることが増えた。
 直接会えず、画面を通して見る知人達は、何だか別人のように思えた。
 ただでさえ少ない友人のほとんどが、会うこともできず疎遠になっていく。

 就職も近々に控えているが、悩みは尽きることを知らない。
 オンラインの説明会や面接は、判断基準として役に立つのだろうか。
 この不景気の中、人見知りで精神疾患持ちの私を、採用してくれる企業はあるのだろうか。
 就職できたとして、そこで何年もやっていけるのだろうか。


 先の見えない世の中。


 『カード師』で描かれる世界も、まさにそうである。

 本作の主人公は、占いを信じていない占い師であり、また客を翻弄する違法カジノのディーラーでもある。彼は既に、『色んなことが本格的に嫌』になってきており、『隠居』をするために資金を貯めている。そんな中彼は、ある組織からの依頼で、正体不明の資産家の顧問占い師となり、徐々に理不尽に巻き込まれていく……。

 カードというものは、めくられるまで正体がわからない。世の中も全く同じで、その瞬間がくるまで何が起こるかわからない。

 いつ地震が起こるかは、誰にもわからない。
 ウイルスの発生や収束は、その時になるまでわからない。
 突然の交通事故や病気で誰かが亡くなってしまうことも、わからない。

 近くの人が何を考えているかさえ、本当のところはわからない。

 考えれば考えるほど、理不尽で、恐ろしい世界だ。

それは中々、殺伐とした瞬間と言えた。この世界は圧倒的に味気ないのだと。現れた何かのドアの先を、事前に知ることができないまま開け続け。その都度ダメージを受けるのが人生であるのだと。
p.190

 だからこそ、人々は占いを求める。
 一歩先も見えない未来で、何かを決めることはとても恐ろしいことだから、占いに決めてもらうのだ。

 科学技術は発展し、世界の様々なことが解明されてきた現代でもなお、占いの需要は廃れていない。
 朝のワイドショーには毎日のように星座占いが流れ、Twitter等のSNSでは定期的に占い結果のハッシュタグがトレンドに上る。
 それは、占いのようなものがなければ生きていけないほど、世の中は理不尽であるということの証左に見える。


 ……それでも。

 悲劇を受けてもなお、人生を放り出さない人間の姿は、光り輝くのだろう。


 主人公の占いはやがて、力強く、美しいものへと変わっていく。占い自体は相変わらず不器用なデタラメだ。しかし、主人公自身がその手で、その脚で、願いを叶えようと働きかけるのだ。
 それは、占いを受けた者にとっては奇跡となり、生きるための希望となる。

 カードをめくるとそこには悲劇があるのかもしれない。けれども同様に、めくった先に、奇跡が起こることだってある。
 当たり前のことだけれど、これは、間違いなく奇跡だ。


 だから中村文則は、こう記すのだ。

― 最後に一つ、これまでのカードを全てひっくり返すようなことを言おうか?……つまり君たちは、やはり絶望なんてできないんだよ。
 浮いたカードが回転する。
― だってそうだろう? 明日何が起こるのかも、わからないんだから。

p.451


 この世の中は、時に恐ろしい。それは今でも変わらない。

 それでも読者の未来を、きっとうまくいく時もあるのだと、優しく占ってくれる中村文則という作家が、確かにいる。

 胸をかきむしりたいくらい、苦しい時もあるだろう。
 全てがどうでもいいくらい、悲しい時もあるだろう。
 何かに縋りつきたいくらい、寂しい時もあるだろう。

 これまでも色んなことがあった。消え去ってしまいたいと思ったことは、一度や二度ではない。
 向精神薬を飲み始めて5年以上経つが、私の精神疾患は、未だに寛解の兆しもない。

 それでも、『絶望するにはまだ早い』。
 この言葉を持って、また少し、少しでもいいから、長く生きていける気がした。


 ここまで読んでくれた全ての人達に感謝します。
 どうか、共に生きていけたら。

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