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「伊豆海村後日譚」(14)

 パク・チョルスはイヤホンから流れるAMラジオのニュースに、自分の立場を知った。
 山蛇組は俺たちを売ったのだ。
 恨む気持ちはなかった。立場が逆なら俺も同じ決断をしている。
 三人の部下を即座に現場から散らし、自分は車を遠く離れた場所で乗り捨てようとした矢先、別のパトカーのサイレンが聞こえてきたのは予想外だった。どれだけ腐敗しようとも、身内の危機に際してだけは昔と変わらぬ使命感が発揮されるこの国の警察の職業意識を思えば、現役警官の殺害自体が結果的に致命的な判断ミスと言えた。
 あのまま若い警官の命令に従っていれば短銃不法所持の露見は避けられなかったが、それが静岡では一体どれほどの罪となるのかが分からず、明後日の船に乗れなくなるかも知れないという懸念を一瞬のうちに何よりも優先させてしまった。
 故郷の土を再び踏めるという思いに咽び泣いたハン・ガンスを一喝しながら、パク・チョルス自身同じだけの感慨に囚われていた。船が沼津港を発つのは今日ではないと分かっていながら、東名高速を法定速度で走り続けるのに少なからず精神のコントロールを要した。生き残るためにできることだけをする。それが、それだけが満海時代の原則的な生活規範であったはずなのに、この国で過ごした五年の日々が、自分の物差しをすっかり錆びつかせてしまっていた。
 満海国民殺戮大会を勝ち抜いて日本海を渡り、そこで待っていたのは日本国民殺戮大会、『混乱の五年』だった。非合理性と非能率性と非生産性だけが千年一日のようにぐるぐると輪廻していた祖国を離れ、しかるべき情報分析を行い、それに応じた事前準備を怠らなければ勝ち残ることができた後者のゲームは簡単だった。半年に一人ほど山蛇組のペルソナ・ノン・グラーダを闇に葬り去り、その遺体を処理するだけで日常生活を保証され、安全も金も女も充分にあてがわれたこの国で、以前はたった一つしか持ち得なかった人生の目標は止めどなく増殖し変質してしまった。
 もっといい女を抱きたい、もっと美味いメシを食いたい、もっと恐れられたい、もっと尊敬されたい。
 毎日の節制で肉体は相変わらず鋼のようだったが、精神にはいつの間にかだぶついた贅肉がたっぷり乗っていた。ハスン港の光景をもう一度海から眺めるという贅沢な夢を、まずは生き残るという基本原則に優先させるような俺では、五年前はなかったはずだ。
 そして、己の能力を過信していた。
 もともとは祖国の軍隊でも「中の上」でしかなかった俺なのに、いつの間にか実力で奴らを追い抜いたという記憶に改竄されていた。三十代で少佐になり、海軍のカリスマとなったのは兵士としての総合的な実力ではなく、山蛇組に売りつけた覚醒剤の対価によるものであったという事実を受容しようとしなかった。
 亡命後も状況は同じだった。
 音に聞こえた日本の「ヤクザ」が自分たちに愛想笑いを浮かべてくる毎日。しかし彼らが真に恐れていたのは自分たちではなく、その庇護者だった。確かに俺たちの殺しの技術は卓越していた。だが全ての案件が迷宮入りしたのは、それだけが理由ではなかったはずだ。そこには常に要員不足に悩む警察の怠惰もあっただろうし、構成員二万人を超える巨大非合法組織の見えざる手による事後処理もあっただろう。
 過去に殺害した連中の中に、元警官は二名いた。それが今回の誤った判断の一因となった。警官と元警官は、全く別の存在だった。事件後一時間以内で自分たちの正体を見破り、庇護者から引き剥がし、公共電波へ過度な介入をしてまで情報提供を呼びかけたこの国の保安組織の力と怒りの深さを、完全に見誤っていた。
 そして、山蛇組。
 この組織の存続のために、五年間汚れ仕事をやってきた。俺がもし捕まり過去の行状を謳えば、困るのはあいつらだ。それでも奴らは俺を売った。官憲の手に落ちる前に俺たちを処理したいと言うのが連中の本音だろう。電源を切っている携帯。組から支給されたものだ。こいつの再使用は文字通り命取りになる。ガンスとヨンナムは問題ない。奴らもそれは分かっている。パンチョッパリの存在はどうでもいい。沼津駅前で無意味な騒ぎを起こし、無意味に目撃者を増やしたあの男は、本来なら明日沼津駅に現れた時点で満海式処罰を与えてやりたいところだ。しかしこうなってはそうもいかない。追われる立場となった今、日本人として三十年をこの国で過ごしてきた男の知識が必要とされる機会もあるだろう。
 そして、パク・ジョンヒョン。
 生き残った俺のたった一人の家族。こいつだけが心配だ。
 
 旧満海人民軍は、日本や韓国のマスメディアが報じるような、冷酷で感情を持たない無機質な集団という訳ではない。彼らとて親を想い故郷を想い女に惚れもする、要するに世界中の若者と大差ない気質を持った連中だった。
 徹底的に高度化された密告システムが、彼らに自然な彼らであることを許さなかったに過ぎない。三人集まって立ち話した時点で逮捕されたあの国で、人が生き残る最も有効な術は「一切口を噤んだまま友人を作らない」こと以外になかった。そして、そうした社会体制を更に製錬し高純度まで抽出したのが軍隊における秩序であるという事実は、どの国にも共通する話だ。
 迂闊な言葉や動作、あるいは咳払いひとつで疑われた連中は、分解した銃が二つ置いてある地下室に連れて行かれて、日頃の訓練の成果を試された。一人は死に、もう一人は生き残るが、後者はたまたま銃の構造への優れた理解力を示しただけのことで、「偉大なる大将」への忠誠心が一点の曇りもないことを証明した訳ではなく、後日またこの地下室に連れて行かれ、次は自分以上に銃の扱いに慣れた同僚と相まみえる可能性を常に怯えて過ごさなければならなかった。一般には公表もされていないし誰も調査しようがないものの、旧満海人民軍正規兵の自殺率は約十八パーセントにも達していたと言われている。
 入隊して約一年後、まだ成人にもならない頃、パク・チョルスは初めて人を殺した。脱走した兵士二名が近隣の農家に逃げ込み、その乏しい蓄えを喰らい、酒を飲み、家の主を殺してその五十歳に手が届こうとしている女房に代わる代わる乗っかっているのを発見した彼は、脱走兵の延髄にそれぞれ正確に一発ずつ銃弾をヒットさせ、声も出さずに震えている女をも射殺した。帰営後、軍の名誉を守ったとしてむしろ後者の行為を表彰され、彼自身の高い知能指数という助けもあったものの、翌年ハスンの大学に入学を許されるという余禄までもがそこに付いた。
 その夜のことは未だはっきりと覚えている。一睡もできなかった。
 夜中何度も吐いたが、それを周囲に悟られる訳にはいかなかった。人民の敵を処理したことに良心が咎めているとでも誰かに解釈されれば、明日の早朝、処刑台で目隠しをされるのは自分自身となってしまう。嘔吐物を飲み下し、それを何度も繰り返し朝を迎え、翌日の訓練では誰よりも動いた。
 亡霊の存在有無についての果てしない論議が、彼にはおかしくてたまらない。枕元に誰かが立つのは毎夜のことだ。それを幻覚のせいにできればどれほど楽かと思えるほどに、それら異次元からの遊客は厳然たる存在感をもって、眠ろうともがく彼を眼のない顔で見下ろしている。その度にチョルスは、声にならない声で叫ぶのだ。
「死んだのは俺のせいじゃない!準備すべき時にそうしなかったおまえの怠惰な精神が招いた結果だ!」
 
 ハスン港から命からがら脱出し、哨戒艦艇から九巻組に連絡を取った時、彼らは答えた。パクさんよお、いくらなんでも四十人以上も面倒見れまっかいな。
 隠岐島沖で乗り換えた漁船の甲板。
 三十八名の乗員を残して海面を漂流し始めた艦艇を眺めながら、ジョンヒョンは泣き叫んで上司に喰ってかかった。
「少佐には赤い血が流れてないのか!」
 海軍少佐の弟でなければ、自分が三十九人目の乗組員になっていたという冷静な判断が、彼にはできなかった。残してきた三十八名の最期を想像すると、パク・チョルスとて平穏な心境ではいられない。そして無理にでも自分に言い聞かせる。あの国で誰かを信用したこと。それが彼らの死に値する罪だったのだ、と。
 神戸に着き、日本人に生まれ変わっても、長年の習性は皮膚のように全身に纏わりついて剥がれなかった。自分の弟、連れてきた二名の部下以外の者と、個人的に口をきくことはなかった。他者に胸襟を開くそのしっぺ返しに対する恐怖は、幼少の頃から続く第二の天性のようなものだった。
 チョルスの両親は、彼が大学生だった頃に続けて亡くなった。銃弾やロープといった強制的物理力によってもたらされた死ではなかったのがせめてもの救いだった。彼にはジョンヒョン以外に弟と妹がそれぞれ一人ずついたが、両名とも幼い頃にその命の終焉を迎えていた。そこにはあの悲しい後日譚が宿命的に貼りついている。
 若い頃、徹底した情報統制の網を潜り抜けて入ってくるニュースからだけでは、「汚染され堕落した帝国主義諸国」での暮らしがどういうものか具体的な想像もままならず、人の寿命などそういうものだ、としか考えられなかったが、自分たち家族が貧窮するあの国にさえ生まれてこなかったら、両親も幼かった弟や妹もまだ生きていたかもしれない、という疑念は、今や確信に変わっている。
 チョルスにとって、ジョンヒョンはたった一人、この惑星に生き残る血を分けた家族となった。あのパク・チョルスの弟であるという理由から、軍隊時代、地下室で分解された銃を組み立て直すこともなかった。苛烈な世界を泳いではいたが、生き馬の目を抜くような経験は兄のそれに比すると児戯のようなものだった。そしてそうした生い立ちが、日本に来てから彼を残りの三人から際立たせる状況を産み出した。

 山蛇組の連中と個人的な友誼を結ぶことのなかったチョルスおよびその二名の腹心と違い、パク・ジョンヒョンは満海人民の尺度で計れば「致命的に軽率な」態度で周囲と接し、時には組員と連れ立って夜の酒場に足を運んだ。神戸に来たばかりの頃、ジョンヒョンはまだ三十五になったばかりの見目麗しい青年で、「混乱の五年」期における「見目麗しい三十男」の人口比率を考えれば、その影のある横顔が新開地のホステスたちの話題に上るまでさほどの時間を要さなかったのは、当然の帰結とも言えた。
 酒席でも祖国の話は一切せず、自分から話しかけることなく聞かれたことだけに最小限の言葉で応え、どれだけ酒を飲んでも様子が変化することもない、本省人の眼には飛び抜けて自律的と映った彼の所作は、それでもチョルスたちに言わせれば「驚天動地の裏切り行為」であり、事実ハン・ガンスとチェ・ヨンナムは、密かに彼を六甲の山中に埋めようと共謀した時期もあった。それを結局実行に移さなかったのは、ひとえにそれが看破された場合の結果ー死ぬことは分かっている。問題はその死に方ーに怯えたからに過ぎない。しかし時の経過が、やがてぎくしゃくとしていた歯車を潤滑に回し始めた。
 パク一味は来日後しばらくはその語学力を活かし、朝鮮半島から流れてくる覚醒剤その他特殊薬物の回収をその主要業務としていたが、その過程で生じたトラブルを解決すべく、とある敵対組織の幹部を警察が満足するだけの物的証拠を残すことなく闇に葬り去った後は、自然に職業的暗殺者集団へと変容していき、その噂を聞きつけた山蛇組の本家組長が、彼らを九巻組から引き上げ、直接自分の子飼いとした。
 九巻組から腕っ節の強さは折り紙つき、と紹介された新井という組員をマネージャーとして付けられ、それが監視役をも兼ねていることは重々承知しながら、彼らもまた標的のより微細な情報を集めるために彼を利用した。しかし、組が与えてくる、あるいは新井がしたり顔で運んでくるゴミのような情報だけではパク・チョルスは満足しなかった。標的の個人情報を可能な限り独自に収集し、何らかの事態が出来した際にはそれを自分たちの命を担保する盾として備えておくのは、世界で最も閉ざされた国の軍隊でトップランナーとして走り抜け、誰の奸計にもトラップされることなく生き残った男なら当然講じる最低限の措置であり、それを具体的に可能としたのは、野に放たれたパク・ジョンヒョンが持ち帰ってくる各種に渡る情報の断片だった。
 身内の組員、時として敵対側の組員、その情婦、情婦の同僚。市井の衆人下に潜り込み、適切な人間に当たりをつけ、彼または彼女から必要なエピソードや物証を抜き出してくるという芸当は、ジョンヒョンただ一人の専売特許となり、やがてチームの二人も彼を六甲山中に連れ出すことなど微塵も考えなくなっていた。

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