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髑髏ヶ崎館

子供の頃によく世界征服が夢だという子供を見かけた。大人になってから世界征服を夢見ている大人の人に会ったことはないから世界征服は子供だけが夢想する病に違いない。私は彼ら世界征服者が憎かった。大人げないというよりは子供同士なので許していただきたいところだが私は征服者たちを見つける度にナチ狩りのように彼らの首根っこを掴んで離さない悪癖がいつ間にか身に付いていた。世界征服を君はしたいらしいがそもそも世界とはどこからどこまでの話だい?と狂犬のように食ってかかるのである。ま、大抵の征服者たちは要するに、自分自身を持て余していて「できれば学校や家庭の中では威張って生きたい」くらいのテロリズムに走るほどに本気ではない公民権運動に耽っているに過ぎなかった。私は征服者が偽物だと分かる度にがっかりした。世界はどこからどこまでのことか。何を持って征服完了を宣言するのか。征服者たちは返答に窮しそのうち泣いた。私は泣かないでいいんだ、考えて欲しいだけだと元気づけるのだが、もう世界征服は廃業すると彼らはそのうち元征服者に裏返ってしまう。私は世界征服をやりたいなんておぞましい想像をしたことがないから彼らの身勝手さや天才性に酔いしれてみたかった。これぞ我が友ヒットラーだ!と同志に熱い抱擁を与えたかっただけなのに、彼らは家に帰ってお母さんの作ったチーズインハンバーグを食べたいと泣きだす。征服者は勿論独裁者でなければならない。独裁者で孝行をした者がいたか。独裁者で母ちゃんのハンバーグを楽しみに生きている奴がいたか。私はいつか誰かが世界征服に来て近所を丸ごと火の海にしてくれる様な者を求めていた。私は家に帰りたくなかった。家には父の借金を取り立てにくるチンピラが来たし、貧乏長屋は全体的に糞尿の香りが強かった。私は圧政に苦しむ民の一人だった。私は征服者を待ち続けていたのだが、彼は一向に私の町へ砲撃を喰らわしてはくれなかったのである。世界は人が息のできるあらゆる場所のことで、世界征服とは全人類を抹殺する若しくは再起不能になるまで根絶やしにすることである。チーズインハンバーグが存在しない荒廃世界を眺めて初めて世界征服の達成の宣言をする権利が与えられるのだ。

高校生の時に付き合っていた大学生の金子先生(中学生の時に通っていた塾の講師だった)が私と裸で抱き合いながら、ポツリと世界征服がしたいと言った。煙草を回しながら吸って、私は世界征服?と聞いた。私は世界征服に関してはパブロフの犬と化しているので自動的にムッとしていた。金子先生は某大学の法学部に通う優秀な人だから直ぐに私がムッとしていることに気づいて、らしくない反応だねと言った。それって音楽とか文学で世界を変えるみたいな青臭いことじゃないのかって君はあたしが考えているんじゃないかって考えている?図星だ。金子先生には逆立ちしても敵わない。金子先生には女性の扱い方からベースの弾き方煙草のサマになる吸い方まで全部教わってきたから全部の思考が読まれてしまうのだった。金子先生は乳房を震わせて笑った。全然そんなんじゃないよ。できればあたしは一人になりたいのよ、いや君がすぐに着替えて家に帰って欲しいって意味じゃないの。金子先生は友達も多いし愛想もいいしチャーミングで面白い人だったけれど、私は彼女をよく知っていた。だるいですよね、人の世界。金子先生は私の髪の毛を手で梳かしながらニュアンスさえ伝わる気はしないけどさ、と言った。人間が人間を愛することが可能であると仮定する世界であたしは愛に応えるには征服しかないって考えているのよ。私は丁度その時金子先生の家で初めて読んだ『金閣寺』のどっぷり影響下にあったから羅漢にあえば羅漢を殺し?とだけ問うた。金子先生はそれには答えず、君みたいな子供を産んでみたいなと言った。私は勘違いして動揺したが、金子先生は私が何に動揺したか瞬時に察して、そういう意味じゃない馬鹿者と言ってからケラケラと笑った。現に私と金子先生はろくに避妊せずに交わることが増えていた。避妊具を買う金があれば酒と煙草と二人で楽器を練習するスタジオ代に当てたいからさと金子先生は言った。今から考えると金子先生は言わなかったけれど彼女は妊娠しにくい身体をしていたのかもしれない。僕みたいなかわいい子を産んだとしてそれでも先生は世界を破壊する?私は金子先生に聞いた。金子先生は曖昧に笑って私の身体を愛撫しながら、残念ながら、するよ、と言った。

子供の頃から夢の中だけでよくいく町があった。町は戦争の砲火にさらされていて敵の侵入を防ごうと市民たちは愚かにも自警団や民兵を組織して徹底抗戦していた。私は草むらに潜んだり、潰れたトラックの荷台に隠れて敵を待ち構えていた。それでも敵は来なかった。永久に敵は来ない。砲撃はやまないだけでそもそも敵が誰と誰と誰たちなのかはっきりしない。夢の町にはたまにゲストがやって来た。ゲストは金子先生(元恋人)だったり、その時々友人だった人たちだったりした。遠くで弱い砲撃音がしている中で私は彼らとトラックの荷台で敵から身を隠しつつ哲学的な問答を交わすのだった。特に何も話さないでずっと空を見ていることもあった。いつも夕方の様な夜の様などんよりした空だった。私は心の底から誰かが誰かを征服し服従させようとするのが憎かった。遠くの砲撃は何だ。なぜ敵はのこのこ来てちびちび撃ってくるのか。私は戦争が嫌いだ。幼児が泣いて両親を支配しようとするような努力は嫌いである。私は征服者たちに問いたい。泣いて喚いて他者を服従させていい気になってもいつか君だって年老いて死ぬじゃないか。征服者たちは虚な目で虚空を指さす。人差し指が示す方角には大きな大輪の花火が空に炸裂する。花火など札束に火をつけるようなものだと言う人もいるが、私は花火が好きだ。ついでに札束に火をつけるのも好きだ。一瞬でもいいから燃えるような想いに突き動かされたくなったりするから人間は面白いよね、と夢の中の誰かが横に寝そべりながら言った。

先日妻にせがまれて山梨県に行った。妻は突然陶芸家になったので、土偶の研究がしたいと言って山梨県にある博物館に車を私が運転して連れて行くことになったのだった。ひとしきり土偶を観察すると妻は満足したらしく後は好きな所に行っていいよと私に言った。私はGoogleマップを開いて躑躅ヶ崎館と打った。今は武田神社になっているらしい。私は寝ている妻に行き先も告げず車をかっ飛ばした。妻は知らないが私の家の家紋は武田家の四つ菱である。私が武田信玄をどれほど崇拝しているか、妻は当然知らなかったがスピリチュアル好きの妻は行き先が武田神社だと聞くと「神社」に反応し喜んだ。しかし妻は下手に霊感があるタイプなので、ここ本当に神社?何も感じないのだけどと聞いてくる始末である。私は言った。君の感じている通りここは神社ではない。偉大なる征服者武田信玄の居城跡だ。武田信玄は破壊の天才にしてカリスマ性の高い征服者である。マッドマックスでいえば、イモータン・ジョーだ。破壊と殺戮、陰謀と奴隷商売。なるほど冷静になって考えると武田信玄はクソ野郎だ。武田宝物館に入って兜や鎧や薙刀などを眺めていると妻がおかしくなっていき、息も絶え絶えにここは邪悪な念が渦巻いているから早く出ようと言った。マジでここは何?と妻が聞くので武田信玄の説明をする。こんな小さな盆地を治めていたヤクザの親分がやがて近隣の半グレどもを従えて行き最終的には広大な領地を征服し、民を服従させて苦役を強いて、戦争で捕虜にした一般市民を奴隷市場に売ったり金山でタダ働きさせたり、人は城人は石垣と言って人権まで剥奪するに及んだ蛮人の王、イモータン・信玄様の住まわれたるがこの躑躅ヶ崎館ぞ、図が高いと言った。征服者とはそういうもんだ。アメリカ大陸に乗り込んだコンキスタドールたちもモンゴル帝国の西征を指導したバトゥも無慈悲だった。妻は私の説明がわかったのかわからなかったのか気のない返事をして、神社じゃないならよかったよとだけ言った。ここには神は住んでない。だが、武田信玄や武田信玄に従った将兵たちが居たのだ。躑躅ヶ崎館の周囲には武家屋敷が並び、なだらかな坂が続いている。武田信玄やその家臣にとって世界は山梨と長野と静岡と岐阜までの範囲だった。彼らは世界を征服し、世界を自由に切り分けて、法を施行した。だが信玄は病に倒れ、信玄の手足となって従った将兵たちも残らず滅んだ。祇園精舎の鐘の声諸行無常の響きありである。私はずっと来たかった躑躅ヶ崎館周囲の整然とした町並みの清潔さに感動した。私は征服者の真意を汲み取った。征服者は破壊者であると同時に治世者でもある。信玄は生涯を対外戦争に明け暮れ富や栄誉を手に入れたが、それ以上に誰かを食わせていく覚悟があった。町は整然として清潔に保ち民に法を守らせた。堤防を整備して、寒冷化する飢饉にさらされた世界の無慈悲さから市民を救おうと懸命に戦ったのである。それでも武田信玄には運がなく同時代に生まれた織田信長や上杉謙信という天才戦略家たちと会敵し戦ううちに寿命が尽きて死んだのだった。信玄は平和主義者ではなかったが、躑躅ヶ崎館を見れば彼が機能美を愛していたことがよくわかる。私は躑躅ヶ崎館の土産屋に入って信玄パフェを注文してみる。信玄餅風にアレンジしたソフトクリームにきな粉と黒蜜がまぶされたものが出てきた。私は信玄公に対して手を合わせて神妙に信玄パフェを口に入れた。きな粉が予想を超えて粉粉しており、激しく咽せて口の中に入れた分のパフェーをほぼ全部吐き出すに至ったのである。咳き込む度にまるで線香花火のように私の口からきな粉の粉が漏れ出てくる。夏はもうすぐそこまでやって来ていた。

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