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怒りを表現するのは、もっと奥にある気持ちに寄り添うためにも必要なプロセスだと思う

今、自分と寄り添いありのままの自分を愛する継続セッションを、あーだこーだ考えながら作ってます。

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なにかモヤモヤがあるとき、
怒りや嫉妬、イライラなんかが出てきますよね。

それはよく「第二感情」と言われます。

何かあった時いきなり怒りがわいてくるように見えるけど、
実際はたいてい、最初に「悲しみ」とか「辛い」「苦しい」など、自分の内側にむかっている感情があります。こちらは「第一感情」というそうです。

第一感情があって第二感情があるから、第一感情に寄り添って、その気持ちをわかってあげるといいそうです。

心理学などでも、怒りに構いすぎると、自分の中の怒りをどんどん集めて、爆発しちゃうときがあるので、
怒りにはあまり触れないで、第一感情に寄り添うことが多いみたい。

でも僕は、やっぱり怒りも、とても大切な自分の感情だと思います。

自分の中から出てきた想いや感情は、どんなものでも大切に表現してあげたいなって思うんですよね。

だから怒りもちゃんと発散させてあげたい。

怒りの前に、悲しみや寂しさなどの、独りぼっちの感情があることを分かっていたらいいんじゃないかと思います。

それが分かっていたら、怒りに寄り添って、「怒ってる自分」と一緒に怒ったとしても、暴走することはないんじゃないかな。

映画「千と千尋の神隠し」で、カオナシが出てくるけど、カオナシは千に拒否されて、怒り狂って暴れちゃいますよね。

でも怒りを全部吐き出したら、後は超静かになって、最終的にゼニーバの所で安らいでましたよね。

あんな風になったのには、怒りをちゃんと発散したことが大きいんじゃないかって思います。

もちろんカオナシみたいに周りに危害を加えるような暴れ方は良くないけど、ちゃんと悲しみや辛さから怒りが出ているってわかっていれば、安全に表現できるんじゃないかと思います。

悲しみに寄り添えるってことは、もう客観的に自分を見ていられるってことだから、

怒りにも客観的に見ながら寄り添えるはずです。

僕は昔、父に対する怒りをちゃんと表に出そうと思って、クッションを殴るとか、大きな声をだすとかした事があります。

それはそれでスッキリしたりしました。

だけど、ちゃんと自分の中の悲しみに寄り添って受けいれてはいなかったから、父への怒りは消えませんでした。

「怒りを表現できるようになった」という成果はあったけど、そこまででした。

だけど、父に怒る自分の中にある悲しみや寂しさなどを認め寄り添うようになったら、怒りを表現するのはプロセスの一つになりました。

悲しみや寂しさ、自分の頑張りに寄り添うために、第二感情である怒りにも寄り添う感じです。

怒りってめっちゃパワフルだから、悲しみに寄り添おうと思っても、ムカムカイライラ出てきちゃうからね。

でも怒りに寄り添っていると、やがて怒りが落ち着いてきて、悲しみや寂しさに寄り添えるようになるんです。

そうして悲しみに寄り添っていると、自分が満足してくれる。

そうしてやっと、もっと客観的に出来事を見られるようになったり、良い面や隠れてる愛を見つけることができるんですよね。

だから怒りは第二感情だからって、無視しないであげてね。

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って、こんな風に怒りに寄り添ったり、悲しみに寄り添ったり、新しい視点を発見したり、ってのを僕がガイドしたりサポートしながら、見守りながら、一緒にやっていくようなプログラムにしたいと思ってます(^^)

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