眼のこと(弱視)について寄り添い自己対話したら、愛を信じ奇跡をおこすことになった
『弱視』になってしまったことについて、自分の気持ちと寄り添い自己対話してみた。
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“ありのままの自分に寄り添い愛するために、自分との対話と気づきを記録しています”
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●僕が弱視になった経緯と現状
僕は去年、2022年の1月2日、朝起きたら急に目の前が真っ白になっていた。
実は僕は緑内障で、年々視野がなくなっていってた。でもその日までは、なんとか右目は焦点を合わしてみることができたので、かろうじて普通の人と同じようにテレビを見たり本を読むこともできた。
でもその日の朝から、僕の眼は焦点が合うことがなくなった。
緑内障の急激な悪化。原因はよくわからない。
でも多分、正月前後の暴飲暴食。そしてパソコンで、ずーっと「ドキュメンタル」を見続けたからだと思う💦
その日から約一年たつ。
この間、緑内障の手術やその後の処置、白内障の手術などで、何回も入退院した。
それで昨年末、やっと許可が下りて「視覚障碍者」となり手帳を受けとりました。
今は視力が大幅に低下して、ほぼぼやけてしか見えません。見える範囲も結構狭い。
いわゆる弱視(ロービジョン)です。
人に会ってもその人の顔がはっきりわからないし、普通の大きさで書いてある文字は読めません。
パソコンの文字はかなり大きくすれば読めるので大丈夫なのですが、本は無理。
好きだった漫画も、読むのはあきらめました。
そんな感じの我が「眼」。
見えなくなった当初は、夜になると「このまま何も見えなくなったらどうしよう?」とか考えましたが、今はあんまり気にしてません。
たまーにまだ不安になるけどね…。
●「眼」に対するスピリチュアル的な思い込み!?
僕は小学3年生ぐらいから視力が低下していった。
それから徐々に、どんどん視力が下がり、乱視も強くなっていった。
スピリチュアルな考え方の中には、体の不調はその場所に対応する心の乱れがあるというのがある。
その考え方からいくと、
「何か見たくないものがあると眼が悪くなる」
という風に考えられる。
思い込みかもしれないけれど、僕はわりとこの考えを信じてる。
実際、僕は小3から性格が変わった。
それまではめちゃくちゃ内向的で暗かったのに、小3からは人を笑わせるぐらいよく話す奴に変わってた。
父からのコントロールもあって、僕は外向き用の性格を作っちゃったように思う。
きっとそうしないと生き残れなかったから、全然責めたりしないし、むしろ良かったとも思う。
でもやっぱり、今これを書いていると、「あの時何かを見ないようにし始めたのかな」って思う。
それから紆余曲折あって、スピリチュアルな考え方を知り、心を開いてヒーリングなどをしてきたけれど、
ちゃんと、しっかりと、自分の心に目を向けてはいなかったように思う。
自分の本当からは目をそらしてきたように思う。
それが、僕がこんなにも眼が悪くなったスピリチュアル的な原因の一つだと思ってる。
思い込みかもしれないけどね…。
それを踏まえて、
眼のことについて、心にいろんな質問をしながら自己対話してみます。
●視力低下の原因にスピ的なことをあげることに対して…
あらためて、視力が低下したことについて考えてみたとき、普通は物理的なことから、原因を考えるのに、心の面から原因を考えている自分は、やっぱりスピリチュアル的なもののとらえ方を重視してるんだなと再発見した。
暴飲暴食や眼の酷使などよりも、自分が自分や現実を見ないようにしているのが大きな原因だと考えるのは、ちょっとおかしい気がする💦
もちろん肉体的なケアもすごく大切だけど、考え方の基本に「心と体は繋がっている」というのがあるのは、自分自身をあらわす大きな特徴だと思う。
で、どうせその概念があるのなら、もっと思い切りそちらを信じて利用したほうがいいと思う。
身体の反応から心の状態を読み解いたり、考え方や物のとらえ方を変えることで身体のエネルギーの流れを修正したり。
自分の気持ちに心を向けるのと同じように、もっともっと肉体の反応に敏感になってあげたい。
●「もし他の誰かが自分の眼が悪い原因を聞いてきたらどう答える?
「何かを見ないようにしているのでは?」というのも伝えるけど、ほかには
根詰めて何かやりすぎでは?とか
考えすぎたり気を張りすぎでは?と答えるかも。
眼だけでなく、頭や身体もしっかりゆるめることが必要かも。
そう思って自分の身体を観察すると、やっぱり目の周りの筋肉がこわばっているのを感じる。
もっとゆるめてあげたい。
●「眼が悪くなった事で良かったことは?」
・自分の身体や心にもっと向き合うように知らせてくれた。
・自分がエネルギーを一つのことに絞れるようにしてくれた。
・親からの期待を外してくれた。
・身体障碍者手帳の恩恵を受けらえれる。
・車の運転をしなくていい。
全ては愛から来ているから、この眼の事もまた、愛から来ている。
きっと、もっと目が見えたらなぁと思うこともあるだろうけど、見えないからこそ体験したり感じられることもあると思う。
愛の面をもっと発見していきたい。
●「私は弱視では愛されない」という思い込みはない?
スピリチュアルサロンをして、ヒーラーとして仕事をしているのに、そんな自分が弱視であることに、少し「それでは認められないのでは?」という想いがあった。
でも今はほぼない。
これまでの自分への寄り添いや、欠点を受けいれてもらえた経験から、
「完璧であらないといけない」
という思い込みはほぼ消えている。
最近は、昔に比べて太った自分の姿とか年取った自分とかをSNSに出したとしても、それに対して恥ずかしいと思わないようになっている。
みんなが、容姿や欠点などで僕を評価していないことを知っているし、自分自身がそこで自分を評価しなくなってきたから。
ありのままの自分を、愛しているから😆
「弱視も一つの個性」
そんな風に感じている。
●「心が伝えたい「本当の望み」って何だろう?」
どんな状況になっても、安心していればいいし、人に頼ったり宇宙に頼ればいい。
今あるものに感謝して、無くなったものに感謝して、手に入れたものに感謝して、豊かにいきたらいい。
宇宙の愛の中で、安心して自分を世界に開けばいい。
●「「弱視」に素晴らしい名前を付けるとしたら?」
弱視は、ロービジョンとも言う。
ただ僕は、自分が弱視になるまでロービジョンという言葉を知らなかった。
良い名前がないか調べてみたら、パラリンピックのパラは、現在では「~のそばの」という意味と解釈されてる場合と、parallel(パラレル もう一つの)という解釈があるよう。
もう一つの見え方という意味で、「パラビジョン」と呼ぼうかな😆
特別なとか唯一のって意味で、
「ユニークアイ」
とか、ジョジョのスタンド風に
「The Vision」
もいいかな😁
●自分の中の神(ハイヤーセルフ)からは、どんなメッセージが伝わるかな?
「あなたの視覚への制限は、あなたが物事を多角的に見られるように、より人の気持ちを推し量れるように、より自分の内側への探求が進むように、より愛を感じられるように設けられました。
その計画は、現在、ある程度達成されています。
あなたは今、以前よりも柔軟になり、自分や他者への愛を成長させています。
あなたは弱視になり入院している時、眼科医からは視神経は一度死んだら復活しないと言われているにも関わらず、復活させて元通りに見えるようになることを夢見ましたね。
ヒーリングや感謝のワークを通して、目が元に戻ったらすごいなぁと思っていましたね。
あなたは助からないと言われている病気が奇跡的に治った事例をたくさん知っています。
肉体の潜在的な力を強く信じることで起こった奇跡。自分が真に望む生き方をするようになって起こった奇跡。感謝と祈りによって起こった奇跡。
いろんな事例を知っています。
もう一度その奇跡を調べてみなさい。
現在の常識では起こり得ないことが、実際にはたくさん起こっているのです。
何例も調べて、よく咀嚼して、治らないという思い込みを外してしまいなさい。そして治るという思い込みに変えなさい。
証拠を集めて心を納得させなさい。
そして自分の得てきた技や能力を使って、もう一度真剣に取り組んでみて下さい。
あなたが望むなら、心から望むなら、あなたの信じるやり方をあきらめないで続けていってください。
そうすることで、それが叶った世界に現実が移行していきます。
パラレルという言葉通り、もう一つの現実にあなたは導かれます。
まずは奇跡が起こるという証拠を探してください。
そして心を定めて実践してください。」
だって!
そういえば、ヒーリングで治ったらすごいな!なんて思ってた。
すっかり忘れてました😆💦
うん。やってみます。
まずは証拠集めしてみよっと!
●「弱視に対して、大事にしようと思うことは?」
ハイヤーセルフからの言葉をうけて、「パラビジョン」と呼ぶことにします。パラレル世界の眼を持ってくるという決意を込めて!
そして、弱視になったこともまた、愛の素晴らしい表現だということを信じます。
目をゆるめて、肉体をゆるめて、安心の中で、自分の弱さを認めて、周りの助けを借りながら、感謝して生きていきたい。
そして証拠集めをして、ちゃんとヒーリングしてみます!!
がんばるぞ!😁
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