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一週遅れの映画評:『ダンジョン飯』想像力で介入せよ!

 なるべく毎週火曜日に映画を観て、一週間寝かして配信で喋る。
 その内容をテキスト化する再利用式note、「一週遅れの映画評」。

 今回は『ダンジョン飯』です。

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 いやぁ、間違えたッスね。違うの、作品としてはちゃんと面白かったんだけど……これ来年1月からはじまるテレビアニメの先行上映だったのよ。それに気づいたのが見にいく前日か前々日で、もう「この時間の回を見れば、そのあと用事を済ませて、そっから飲みにいって……」っていうシミュレーションが完璧に組上がっちゃててwいやお酒を飲みたかっただけなんだけどね。もう今さら予定組み直すのめんどい! からの決行に相成りました。
 
 なんでそれが「間違えた」になるかって言うと、私の問題として「最後まで見れてないものを批評できない」っていうのがあって。例えば4クール作品とかでも最終話のラスト10分で言いたいこと言えることがガラッと変わる……なんてことはそうそうないですけど、まぁ実体験としてもゼロでは無いわけです。
そういう体験をしていると、どうしても「最後まで見ないと何も言えんよなぁ~」って立場にならざるえんわけですよ。だからこの映画評でいかにも取り上げそうな『ガルパン最終章』とか『閃光のハサウェイ』とかも避けているわけです。

 で、ここから強引に作品の話に入っていくわけですがw
 私にとって「料理」ってそれと同じ側面を持っているわけなのよ。ある程度、料理をやっている人間だと例えば材料のリストと完成品の写真があれば、だいたい「あぁこういう調理をすればいいんだな」「たぶんこんな味なんだろうな」って”想像”がつくじゃあないですか。めちゃくちゃ簡単なところだと「にんじんジャガイモ玉ねぎ牛肉カレールゥ」って材料があったら、素朴なビーフカレーが出来上がるな、ってわかるじゃない。私は中華にちょっとだけ詳しいので「アヒルの足タロイモえび湯葉」ってあったら「鴨脚扎(ファオチャォジャ、だっけな?)、作ったことあるけど……」ってなるわけですよ。
 だけど誰でも知ってるとおり、同じ「ビーフカレー」でもその味はピンキリなわけですよ。「おめぇ箱の説明通り作ったらこうはならんやろ」から「ンフー(鼻から息を吐きながら目をつぶり、無言で天を仰ぐ)」までの違いって当然ある。それは材料の質であったり調理技術の差であったりで。
 つまり「この素材、この調理、この完成予想図」から導き出される想像の味と、実際に出来上がったものが一致するかどうか? ってやっぱり「完成品を実食する」まではわからないわけです。ね? 同じ側面があるでしょ?
 
 そういった点で今回の『ダンジョン飯』先行上映版で出てくる料理って、丁度その隙間をぬってくるものなのが(これは原作時点からだけど)すごいんですよ。
 最初に出てくるのが「大サソリと歩くキノコの水炊き」で、これって作品内の描写からすっごく想像がつくのよ。
大型甲殻類の身がどんな味かなんて、オマール海老辺りと近いだろうな(だけど尾とハサミにエグミがあるとか、陸生ってことは独特の癖があるっぽいぞ)とか。独特の香りがある歩くキノコの足なんて、松茸とか外国人からは「足の臭いがする」って言われたりするからそういう感じだろうな、とか。根に見える地下茎の食用植物なんてめちゃくちゃ種類があるのよ、現実に。けどあの様子だとゴボウかレンコンと近いだろうね。コケはちょっとマイナーだけど「ジャゴケ」っていう食用にできるものがあるから、それが参考になるでしょ。スライムはクラゲに近いかねぇ……って代替食材がすぐ思いつく。
 これって食材自体の説明もあって、その上で完成品のビジュアルが「これ私の知ってるアレっぽいな」というのが結びつく。だからここまで具体的に思い浮かべることができる。
 
 その次に出てくるのが「人喰い植物のタルト」ってのもイカしてて、これ完成品だとタルトとキッシュの中間みたいな感じで、しかも「塩味だ」ってセリフまである(あるいは「ゼラチンが使えればもっとキレイにまとまったのに」という発言から、少しモソッとした食感までわかる)。
だけど、だけどですよ。「実を軽く蒸してからヘタを引っ張るとキレイに種が取れる」植物って、パッと思いつかない。種のある位置だとパプリカが近いけど実が詰まっていない、タルト生地にできるってことはデンプン質なのかと思うけどそれで芋類じゃないってなんだ? たぶん一番近いのは「甘くないタイプのバナナを蒸し焼き」にしたやつなんだろうけど……。
 ここではさっき話したことの逆、つまり「材料リストから味を想像する」じゃなくて「食べた料理の味とか食感から、材料と調理を推測する」を私はやろうとしている。ライオスたちが食べてるタルトの感想や描写から「きっと材料はこういう感じのものが近いのでは?」を考えてる。
いやこれって初めて食べる料理で、実際に私がやってることなんですよね。だから「料理をやっている人間だと例えば材料のリストと完成品の写真があれば、だいたいわかる」のと同じ回路で「食べた料理って作り方がだいたいわかる(ときもある、って注釈はいるけど)」が行われている。

 私が料理自体を好きなのって、こうやって実体や現実に”想像力”で介入できるところなんです。「この材料から何ができるか?」をイメージして思い描く、あるいはそれを反転させて「この料理は何をどうやって作ってる?」をイメージしてバラしていく。この過程がまずめちゃくちゃ楽しいし、その想像力を手を使って実行して確かめることができる。
 で、それが大成功だったり「……あれ??」ってなったりするのが、すごく面白い
んです。
 
 だから「魔物を食材にする」っていう『ダンジョン飯』の作中で行われているチャレンジと、フィクションとして「存在しないものを想像力で作り上げていく」ということが、つまりは私たちが普段やっている「料理して食べる」という行為の面白さ/楽しさを純粋な形で抽出しているわけですよ。
 
 こっから「それは批評って行為も同じでね……」って続けれるんだけどwまぁ、それはまた別の話なので別のときにすることにしましょう。
 
 それでね、この「やってることが想像できるから、それが何かわかる」「でも現実に完全対応するものがないので、最終的にはわからない」っていうのがぎゅっと詰まった作品として同じ作者の『ひきだしにテラリウム』っていう短編集収録の「記号を食べる」って作品がめちゃくちゃ良いので、是非セットで読んで欲しい。
 もうね、この「記号を食べる」で「〇」をフライパンに入れたときの「じゅわー!」じゃない、適温の中火で水分の少ない素材を油で焼いてることがわかる「ちわー」ってオノマトペが天才すぎるのよ……『ダンジョン飯』のプレとして「記号を食べる」超オススメです。

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 次回は『屋根裏のラジャー』評を予定しております。
 
 この話をした配信はこちらの15分ぐらいからです。


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