見出し画像

一週遅れの映画評:『ファーザー』悲しむことすら、できなくて。

 なるべく毎週火曜日に映画を観て、一週間寝かしてツイキャスで喋る。
 その内容をテキスト化する再利用式note、「一週遅れの映画評」。

 今回は『ファーザー』です。

画像1

※※※※※※※※※※※※※

 あのですね、先に言っておくと『ファーザー』めちゃくちゃ名作です。見てない人は今ブラウザを閉じて明日見に行くのを勧めたい……でもね、すっごい「怖い」作品だったから心構えはしておいたほうがいい。
 とはいってもたぶん作品ジャンルとしてはヒューマンドラマになるのかな?一応は。だからホラーみたいな怖さでは全然ないし、そういう系が苦手な人でも大丈夫だとは思うんだけど。それでも私は恐ろしかった、とんでもなく、いまでも怖いぐらい。それはものすごくいまのリアルと地続きの不安が、それも2方向から襲ってくるからなんです。
 
 えっとね、主人公はおじいちゃん、年齢でいうとたぶん70代後半ぐらいなのかな?そんなおじいちゃんが一人で暮らしていて。そこに娘が訪ねてくるところから話ははじまるんですけど。
 どうもその娘のアンはほとんど毎日ぐらいおじいちゃんの様子を見に来ているっぽくて、まぁ年寄りだし心配てのもあるんだけど、その生活を助けるためにデイサービスの介護とかを雇ったりもしてる。ただどうもおじいちゃんは中々に頑固で、もう3人も介助人が代わっていて、それもあって娘が様子を見に来るしかないって状況なの。
 で、その3人目が辞めたのはつい最近で。娘が「あんないい人なのに、なにがあったの?彼女は脅されたって言ってたけど?」って聞くと、おじいちゃんは「そんなことをするものか。それにあいつは盗人だ、私の腕時計を盗んだ」って言うのね。
 それで娘は「お父さんの大事なものをしまってる、隠し棚は探したの?」って尋ねて、で実際に腕時計はそこにあるっていう。
 
 これって認知症の代表的な症状である「もの盗られ妄想」というやつで、有名だから知ってる人も多いと思うんだけど認知症初期によくある自分がどっかに物を置いたことを「置いたこと」自体を忘れてしまうことで、「ない=盗られた」と短絡してしまう、ってやつなの。
 だからこのおじいちゃんは完全に認知症を起こしていて、そりゃあ娘も心配で見に来るよね……って感じで。でもこの娘が、いま住んでるのがイギリスなんだけど、とある男性と出会って一緒に暮らすためパリに引っ越すこうやって毎日来ることはできなくなる。と告げる。だから介助人をつけたいんだけど、すぐ問題おこして追い出してしまうから、このままでは老人ホームに入ってもらうしかない。そう言うの。
 
 まぁそれでその日はとりあえず娘は帰るんだけど、その次の日。おじいちゃんが人の気配で目を覚ますのね、それで「誰かいるのか?」ってリビングに行くと、そこで一人の男がソファに座ってコーヒーを飲みながら新聞読んでるのよ、めちゃくちゃリラックスして。それでおじいちゃんを見て「おはようございます、アンソニーさん」って言うの。
 は?ってなるのよ、見てる側としては。誰だコイツ?って、それでおじいちゃんも「君は誰だね?なぜ私の家に入り込んでいる?」って警戒するわけよ、当たり前だけど。なのにその男は「アンソニーさん、僕ですよ……まいったな」とかのたまうわけ。それで携帯取り出して「すぐ帰って来れるかい?お父さんの調子があまりよくないみたいなんだ」って、恐らくおじいちゃんの娘に電話をかける。それですぐに玄関が開いて「どうしたの?」って女の人が入って来るんだけど……これがさっき話してた娘と全然別人なの!
 
 ここまでが映画開始から10分ぐらいなのね。もうさ見ながら「え?なにこれ?どういうこと?なにが起こってんの??」ってマジで両手が頭を抱えちゃうような、その後もそんな映像が次々襲ってくるのよ。それも場面場面はものすごくわかりやすい、そのシーン単体で見るなら別に何の難しいものでもないんだけど、シーンごとの連続性が完全に崩壊していて「何が起こってるかわかるはずなのに、全然わからない」っていうすっごい奇妙な体験をさせられてる感覚になるの。え?これおじいちゃんが何か異常な事態に実は巻き込まれてるとか??って思えるぐらいに。
 
 ここまで!ネタバレというか核心に触れないならここまでね、大丈夫ね?いいね?
 



 えーとそれでね。その次のシーンではまた娘が訪ねてくるんだけど、それは最初に登場した人なの。それでおじいちゃん「お前は本当に考えが足りない、その点お前の妹は立派だ。下の娘に会いたい」って言うわけ。じゃあさっき帰ってきた女の人は下の娘?え?でも会いたいってなに?みたいな感じになるし、それを聞いていま話してるアンって娘はめちゃくちゃ複雑な表情するし。
 それにおじいちゃんは「ここは私の家だ!絶対に出て行かないぞ!」って主張するんだけど、今度はまた別の男が家でくつろいでて「ここはあなたの家ではない」と言われたりするし、なんか知らないうちに模様変えされてたり飾っていた絵が外されたりで……こう、おじいちゃんは「私の家がめちゃくちゃにされようとしてる!」ってすっごい焦るし不安にさせられるのよ。
 
 結局ね、どういうことかって言うと。おじいちゃんの認知症はもうめちゃくちゃ進んでしまっているのよ。だから時系列が頭の中で無茶苦茶になっていて、映像はそのおじいちゃんの主観順に描かれていくから……見てる方は「認知症で時系列が壊れた人の感覚」を投げ込まれているわけ。時間シャッフルものをすごいカット割りで見せられてる感じで。
 
 それでね、その、おじいちゃんが「会いたい」って言ってた下の娘。彼女は最近、事故によって亡くなってるの。でもおじいちゃんはもう認知症を発症したあとでその事故が起きてるから……大切な娘がもう死んでいるってことすら、わからなくなっているのね。
 それがもうホントにきつくて。なんていうの「悲しむことすらできない」のがさ、本人はその悲惨さにすら辿り着くことができないていのが、そしてそのことに周りの人間は微妙な顔をすることしかできない……生い先短い人間に、忘れている悲劇を告げるべきか?って迷いがありありと見えて辛い。
 
 おじいちゃんは結局そういった認知症患者の多い老人ホームに入ることになる、というかこれはもう視聴者側の「これはいつのどこから老人ホームに入っているんだ?」ってのがわからないぐらいなんだけど、それはつまりおじいちゃんの認知症がそこまで進んでいて「いま自分がどこにいるのか」すら曖昧になってるわけで……作中でおじいちゃんは「自分の家」っていうのにすごく拘ってるんだけど、その「自分の家」かどうかもわからない。むしろわからないから「家」に拘ってるのかも、って感じで。
 
 ラストにさ、このおじいちゃんが「全ての葉を失っていく……」って、自分の記憶がバラバラになって無くなっていくことにそう呟くのね。
 これ、私はめちゃくちゃ身に覚えあって。ていうのも3年前に脳出血やって病院かつぎこまれて翌日とか2日目あたりって、本当に脳がブッ壊れてて「知ってるはずのことがわからない」「簡単な言葉が出てこない」「ここがどこだかわからなくなるう」みたいな状態だったの。もうさこうやって話したりとか、あとは文章書いたりが生き甲斐みてーな人生を送ってるなかで、それって本当に恐ろしくて。こうもうさめざめと泣いちゃって、ていうか今でもあの時の絶望感を思い出すと泣いちゃうんだけどさ。
 その時のことを思い出して、もしかするとこのまま年取っていったら「私はまたあの絶望に向き合うのか?」って本当に怖くなった。
 
 それにもう私は40歳近くて、父親が70歳なんですよ。つまり自分の親がそうなってしまうかもしれない、という割と近い将来のリアルな問題もそこにはあるわけで。
 その2つの怖さ、真に迫る現実的な……とくに片方はすでに似たような状況を体感してるだけに、本当に恐怖を感じました。
 そいうって感覚を呼び起こして、「痴呆症にとって世界はこんなに恐ろしい場所だ」と体感させるような構成の精度がとんでもなくて……すごいよ、すごい作品だったと思う。
 
 今もまだ、怖いです。

※※※※※※※※※※※※※

 次回は『地獄の花園』評を予定しております。

 この話をしたツイキャスはこちらの12分ぐらいからです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?