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一週遅れの映画評:『DUNE/デューン 砂の惑星』ナイフの先に潜む孤独は。

 なるべく毎週火曜日に映画を観て、一週間寝かしてツイキャスで喋る。
 その内容をテキスト化する再利用式note、「一週遅れの映画評」。

 今回は『DUNE/デューン 砂の惑星』です。

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「デューン!」
 言うてね。いまこう指を鼻の前に持ってきて、そこから何かを引っこ抜くように手を動かして「デューン!」てね。はい、わからない人は別にいいんですけど。
 いやー、なんか久々にめちゃくちゃ金のかかってるSF観たーッ!って感じですね。いやまぁ『ゴジラvsコング』とかもSFだし金もかかってんだけど、やっぱあれは「特撮」ジャンルでさ、こう「S!F!」っていうのはコレよコレコレぇ!
 かなり面白かったですよ、私はリンチ版も『デューン』も嫌いじゃないんだけど……技術の進歩ってのはすごいよねぇマジで。
 
 とはいえ映像面とかはここで話しても仕方ないので内容の部分にいくんだけどさ、かなり掴まれたよね。主人公はなり有力な武門の息子で、それが不思議な力で、こうすごくふわっとした未来予知ができるんですよ。それでなんのかんのあって主人公の家は仕えていた帝国に裏切られてしまうわけですよ、父親は死ぬし、領地は火の海にされるし。
 そこから命からがら脱出した主人公は予知を見るのよ。それが「これから先、自分がリーダーとなって帝国と戦っていく」っていうビジョンでさ。それを見た主人公はめちゃくちゃビビるんですよ、でもそれは「これから戦争になる」みたいなものとは少し違っていて
 これから自分の行動によって宇宙全体を巻き込んだ戦乱が起こってしまう、ということにビビるのね。これって隣接してるけど絶対に違っている部分で、つまり自分自身が戦う場合によってはそこで命を落とすって恐怖じゃなくて、見も知らない人たちを何十万人も死なせてしまう状況を自分が生み出してしまう、その責任に対する恐怖なのよ。
 
 ここまでで主人公は「すごい力を持つ救世主だ」と言われたり「それに近いかもしれないが、本物ではない」って言われたりして、結構ふわふわしてんです。それがここで効いてくる、つまり主人公が帝国と戦う決意をすると「宇宙全土を巻き込んだ戦争になる」、一方でこのまま逃げ隠れて余生をすごせばそれは回避できるとも言える。
 要するに分岐フラグなんですよ。ここで選ぶ回答がこの先のストーリーを決定するし、それによって主人公は「救世主」か「偽物」かに分かれていく。そういった意味では割と良く知ってる感覚というか、その葛藤がすごく飲み込みやすい気がするのね。
 
 ただ主人公が帝国と戦う決意をしただけでは不十分で、ここから2つの試練があるわけです。ひとつはストーリーとしてしっかり描かれてる、「殺す決意」。この砂の惑星に住む原住民と共闘して帝国に立ち向かおうとする中で、その原住民アラキスに認められるため決闘をしなくてはならない。
 アラキスの決闘には降参というものがなくて、どちらかが命を落とす以外の決着がない。そこでいままで誰かを殺した経験のない主人公は、手にしたナイフでもって初めて他者を殺める。これはすごく象徴的で、これから帝国と戦っていくなかで仲間も増える、そうなれば自分のあずかり知らないところでもバンバン人が死んでいくわけじゃない。
 だけどそれはいま目の前の男に突き立てたナイフ、その延長にあると。主人公が戦争する道を選んだことで死んでいく敵も味方も、「いまここで戦争へ向かう決意があり、その方向を決定づける殺害」がなければ生まれることはない。つまり今ここで主人公が奪った命が、もっと大勢の死へ向かうもので。その大量殺戮がただの「数」ではない、いま自分が奪った目の前の命、それと同じものだ。という意味を与えている。
 これって宇宙全体を巻き込んだ戦乱になる、っていう主人公の直感的恐怖に実際の重みを与えるエピソードであると同時に、「もうそっちへ歩み出した/進んでしまった」ことを示しているわけです。
 
 もうひとつが、割とさらっとしたシーンなんだけど、私はこっちのほうが好きで。
 主人公の家に仕えている軍事顧問みたいな人がいるのよ。その人と主人公は仲が良くて……まぁ武術の指導者でもあるんだけど、たとえば訓練とかからその顧問が戻ってきたときに「ヘーイ!」みたいな感じで肩組んだりして。こうお互いに領主の息子/雇われてる兵士って立場を越えた友情と信頼が見えるのね。
 ところが帝国の裏切りで父親が死んで、そうすると世襲として主人公が家長になるわけじゃない。それに対してその軍事顧問がうやうやしく膝をついて頭を下げて、主人公が自分の使えるべき頭首だと正式な名前を呼ぶわけですよ。
 
 友人であった相手はもうそこにいなくて、ここから主人と従者という関係になってしまった。そのシーンが私にはめちゃくちゃ胸にくるものがあって。
 人が死ぬ、その原因が自分にあるって恐怖は主人公の想像の範囲なわけですよ。けどこの軍事顧問が跪いたとき、主人公は一瞬虚をつかれたような顔をするのね。これって戦争になってしまう恐ろしさには心の準備ができていたけど、貴重な友人と「もう友達ではいられなくなる」ということは想像の範疇から外れていて。そして「あ、そうなんだ」って気づいたときには、もう後戻りできないわけですよ。
 なんかこれが、さっきの「このナイフがこれからの戦争の死者すべてに繋がっている」と同じように、これから先で主人公にはたくさんの仲間ができるし、自分を慕ってくれて命すら投げ出してくれる信奉者だって出てくる、でもそれでも「これから先、お前の人生に”友人”は一人もいない」って言ってるようで。
 殺した死んだり、その責任を求められる立場になってしまう恐怖っていう主人公が感じてるものより、こっちのほうが主人公が自覚できない「恐怖」なんじゃないか?と思って……なんかこのシーンが一番記憶に残りましたね。
 
 これ2部作予定なんでしょ?いやーほんと良いSF映画でしたよ。後編も楽しみ……なんだけど、一体何年後に公開なんだろうねw気が遠くなるわぁ。

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 次回は『トロピカル~ジュ!プリキュア 雪のプリンセスと奇跡の指輪!』評を予定しております。

 この話をしたツイキャスはこちらの16分ぐらいからです。


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