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一週遅れの映画評:『エゴイスト』これを愛だと、名付けたのは。

 なるべく毎週火曜日に映画を観て、一週間寝かしてツイキャスで喋る。
 その内容をテキスト化する再利用式note、「一週遅れの映画評」。

 今回は『エゴイスト』です。

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 これはね、もうはっきりと「名作」と言っていいと思います。めちゃくちゃ良かった……んだけど、えっとね私がこの映画評をなんで「一週遅れ」でやってるかって言うと、もちろんネタバレ前提だからってのはあるんだけど、それ以上に批評としてまとめるのにそのぐらい時間がかかるんですよ。
 私はそれほど思考の瞬発力が高い方じゃないから、結構色んな作品で最初見たときの感想と数日置いた後では変わることが多い。そうじゃなくても、見た直後は「このポイントとあのポイントが大事だな」って感じても、後から「いや、こっちのほうが重要じゃないか?」とか「違うな、私が感銘を受けたのはこっちだ!」みたいなことが頻繁に起こる。
 だから一週間置いて、その間にグッと力を込めて作品のことを考えて、なんらかの答えを自分の中で出して喋っているんです……が、あのねー、この『エゴイスト』に関しては最後の部分で答えが出せなくてまだ悩んでるの。その迷いをそのまま話すから、まぁみんなからの答えも聞けたら嬉しいです。
 
 ざっくりネタバレありであらすじ話すと、主人公はまぁまぁいい給料貰ってサラリーマンしてるゲイなのね。で、ある日ゲイ仲間から「体絞りたいならいい子紹介してあげる」って駆け出しのパーソナルトレーナーを紹介されるの。
 それでなんやかんやあって主人公とその子は恋仲になるんだけど、いきなりその子が「もう会えない」って言い出す。そのパーソナルトレーナーの子は、まだ小学生の頃に父親が女作って出ていっちゃって、しかも母親が病気で伏せてしまった関係で中学卒業した後からもう働いてて家計を支えてるのよ。
 ただまぁ正直、中卒でまともな仕事なんか見つからない。だからこの子はゲイ向けに「ウリ」をやって稼いでる。いままでは割り切って体を売っていたけど、主人公に抱かれることで割り切れなくなってしまい辛い。だけど母親のためにもウリを止めることはできないから別れたい、と。
 
 それに対して主人公は「じゃあ毎月20万円渡す」ことを約束する。こうあらすじとして喋るとこんな言い方になるけど、そこには渡す方も貰う方も迷いと戸惑いがあるんだけど……それでパーソナルトレーナーの子はウリを止めるて、主人公と復縁するのね。だけどまぁ月20万じゃあウリで稼いでた額には届かないから、その子は廃品回収業と深夜も皿洗いのバイトをはじめる。
 それでも「ようやく母に、自分の仕事を正直に言えるようになった」と喜び、二人の幸せな日々が続いていく……と思った矢先に、そのパーソナルトレーナーの子は急死してしまう。って話なのね。
 
 彼の死が過酷な労働に原因があると、主人公は思ってしまう。実際はどうかわからないけど、誰かが死んだとき、特にその相手が親しい人だったり大事な人だったとき、私たちは「何かできたんじゃないか?」「何か間違えたんじゃないか?」って思って沈んでいってしまうわけですよ。それって確かめようのない後悔だから、絶対に解消されない痛みで。
 それでも主人公は、恋人の母親をちょくちょく訪ねては、その子に渡していた額を母親にも渡すようになる。いや、もちろん母親は固辞しようとするんだけど「これは自分の我儘だから」って、半ば無理矢理に押し付けるようにして渡すのね。
 というのも主人公は中学生の頃に母親を失くしていて、恋人と母親の関係になんとなく自分の母親のことも投影している感じもあって。
 
 だけど、今度はその母親にステージ4の膵臓ガンが見つかってしまう。ここでまた主人公は後悔するわけですよ。自分の行動によって恋人を殺してしまった、彼がいれば母親の異常にすぐ気がついてもっと早期発見できたのかもしれないのに……って。主人公はその気持ちを恋人の母親へ吐露する。それに対して「そうじゃないのよ。それに息子も私も、あなたに愛されていて幸せだったわ」って答える。
 主人公は「私には愛がわかりません」という。だって自分の願望が二人を死に向かわせてしまったと思ってるから、こんなものは「愛」なんかじゃないって思ってしまう。だけど母親は「私たちは自分勝手に、愛されていたと思っているわ」って応える。
 ここが私は好きで、愛することは当然エゴイズムなんだけど、それと同じくらい「愛されている」と相手の行動を受け止めることもまたエゴなのだ。という「愛は双方向の自分勝手な思い込み」だけど、それゆえに相手の真意がわからなくても「ここに愛はある」と宣言できる。そういう強い精神が私はめちゃくちゃ好きなんですよ。
 この映画、ほとんどドキュメンタリーなの? って思うぐらい登場人物に独白がなくて、心の底でどう思ってるかがはっきりと描かれないままお話が進んでいくんだけど、それがこの結論を支えていて良いんですよ。
 
 それでね、この映画で凄いところが「普遍性を描きつつ、でも特殊でもある」って部分で。全編通してかなり役者のアップとか、体のアップ(特に主人公と恋人のセックスシーンは、そこいらのAVよりも接写している)で構成されていて、その映像に耐える役者さんの演技もすごいんだけど。
 この作品で描かれている心情って誰にでも理解できる部分がある。誰かを好きになることも、大事な人を失くした悲しみも後悔も、まぁわかるじゃないですか。その感情を演じる姿で、画面は埋め尽くされる……つまりそこには「背景」が無いんですよね。
 場所とか時間とか、性別とか関係なく、そこに描かれている精神ってのは共感できるものだから、普遍性のある物語として見てる人の胸を打つわけですよ。
 
 だけど普遍的でない部分もある。主人公が恋人が死んだあとしばらくたって、恋人の母親と度々会ってその家に泊まることもあるぐらいの関係になったところで「一緒に暮らしませんか?」って提案する。母親は「そこまでお世話になるわけにはいきません」って断固として断るのね。
 これがさ、男女の特に夫婦だったらめちゃくちゃわかりやすい話だし、結論も違ってたと思うのよ。例えば妻が死んでしまった夫がさ、年老いて一人暮らししてる義理のお母さんに「一緒に暮らしませんか?」って言うのって、想像しやすいじゃん。そしてたぶん義理の母親も「そこで言ってくれるなら……」って結論になる可能性もかなりあると思うのよ。
 もっと言うなら恋人を夜職から抜けさせるために援助したりとかもさ、男女だったらすっごいわかりやすい話ではあるわけ。
 
 でもまぁ、悲しいことに今の日本では同性婚ってできないから、そう単純にはいかないわけですよ。いやね私は「同性婚、できるならそっちのほうがいいんだけど、パートナー制度とかじゃダメなのかなぁ」ぐらいの気持ちではいたんだけど、違うわ。やっぱ違う。「婚姻」ていう社会制度が持つ説得力ってのが必要になる。個人と個人では収まらない人間関係を幸福にやっていくためには、ここで言うなら義理の母と一緒に暮らしたいマンモーニにはそういうものが必要なんだと、この作品によって言葉ではなく『心』で理解できた気がする。
 描かれている心情の普遍性と、それでもこのなぜか許されていない特殊な社会構造を思わずにいられないところ。それを両立させているのがね、凄いと本当に思うんです。
 愛の持つ”相互に”エゴイスティックな面、普遍的な心の動き、そして社会批判。それらをしっかりと一本の映画としてまとめあげてる『エゴイスト』は、「名作」と呼んで間違いない作品です。
 
 問題は、この名作が生まれるために「未だ同性婚ができない社会制度」というバックボーンが必要で。もちろんそんな謎の制度なんかさっさと修正すべきなんですよ。なんですけど……比べれるもんじゃあないと、当然に理解しつつ、それでも「それが当たり前だったら、この名作は無かったかも」みたいなことをチラッと考えてしまうのも正直な部分で。
 いや、それは間違ってる、間違ってるんだけど……フィクション至上主義としては、そういった迷いが無いとは、やっぱり言えなくてね。いやぁ、ままならんね私って生き物は。

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 次回は『ボーンズ アンド オール』評を予定しております。

 この話をしたツイキャスはこちらの13分ぐらいからです。


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