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一週遅れの映画評:『嘘八百 なにわ夢の陣』ホンモノのない贋作、あるいはBL的な。

 なるべく毎週火曜日に映画を観て、一週間寝かしてツイキャスで喋る。
 その内容をテキスト化する再利用式note、「一週遅れの映画評」。

 今回は『嘘八百 なにわ夢の陣』です。


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 ねぇ? 知ってた? この『噓八百』シリーズがこれで3作目だってこと! 私は『噓八百』って作品自体を知らなかった……なんとですよ、第1作が2018年で、2作目が2020年。なんか私がこれまで見てないどころか存在も知らなかったのがちょっと不思議じゃない。だってこう言っちゃなんだけど、この微妙な感じがする邦画。明らかに私の射程内じゃない。
 それでね、過去の配信ログを確認してみたらさ。『噓八百』が公開されたとき、2018年は『カンフーヨガ』で2020年は『ルパンレンジャーvsパトレンジャーvsリュウソウジャー』見てたんですよ! これは仕方ない、仕方ないよね。その時の作品タイトル確認した瞬間「これ絶対、みー! るぅー!」ってなるやつだもんねw
 
 でもね、知らなかったからといって舐めてはいけませんよ。だって2~3年ごとに映画が作られてもう3作目って、邦画の中では中々すごいことだと思うんです。映画だって商売ですから、儲けなきゃいけない。つまりこの作品は過去2作でちゃんと結果を出してるってことですからね。
 実は去年、邦画『コンフィデンスマンJP』シリーズ、これも劇場版が3作公開されてるんですけど、それをね配信でまとめて見て「おぅ、結構面白いじゃねーか……」って感想になってですね。たぶんその影響もあって、なんか「3作品もちゃんと作られ続けているシリーズって、もしかして良いのかも!」と期待する感じになって見に行ったんですよ!
 
 で、まぁ「ん……普通」っていうw
 
 違うの、違うの! 違うのよ! 悪くはなかったの、悪くはなかったんだけど、「面白い!」ってほどでも無くてですね。普通、普通だった。
 
 主人公はふたりのおじさんで、片方は知識はあるけど胡散臭い古美術商。もうひとりは腕前はかなりのものだけどイマイチ人気の出ない陶芸家なんです。
 過去の2作では、このおじさんたちが騙されたりバカにされたりする。そうやって自分たちをコケにした相手を「ぎゃふん!」と言わすために、陶芸家は伝説級の焼き物そっくりの贋作を作り、古美術商は如何にもそれが本物であると信じ込ませて高額で売りつける。みたいなストーリーなんですね。
 
 ただこの3作目はちょっと違っていて。いやおじさんたちの復讐が動機なのは一緒なんですけど、過去2作では「本物が存在するなか、それの贋作を作って騙す」って展開だったんですけど、今回は「存在しないものを作る」ことになる
 というのも、ストーリーの中心にあるのが「秀吉七品」というもので、これはかの豊臣秀吉が残した逸品が全部で7つあると伝えられている。そのうち6個は実物があるのだけど、最後のひとつ「鳳凰」と銘が付けられた器だけは、まだ発見されていない。って設定なのね。
 
 で、古美術商は「秀吉展」という展示会のアドバイザーとして呼ばれ、「展示の目玉としてなんとしても”鳳凰”を見つけてこい!」と無茶ぶりされる。
一方で陶芸家はある現代芸術家のマネージャーに呼ばれる。その芸術家は秀吉の残した品から≪波動≫を感じ、そのインスピレーションによって作品を作っている。彼の描いた絵は「幸運を招く≪波動≫が出ている」と人気に、というか一緒に「波動水」とか「波動クッキー」とかを法外な値段で売っている。まぁ新興宗教化しつつある。
 そんな中、スランプに陥った芸術家が「”鳳凰”! ”鳳凰”が無いと新作が描けない!」と言いだした。そこで彼のマネージャーは過去に贋作を作り上げた陶芸家の腕を見込んで「”鳳凰”を作れ」と依頼する。
 
 結局、古美術商は人違いで呼ばれただけであっという間に解任されるし、陶芸家もマネージャーが満足のいく贋作を作れず契約打ち切りにされてしまう。そこでこの二人は再びタッグを組み、自分たちを冷たくあしらった相手に仕返しをしてやろうとするわけですよ。
 
 たぶんね、私にBLを楽しめる才能があればこの作品、もっと面白かったと思うんですよ。このふたりは過去にも手を組んでいるんだけど、あくまで自分の器を作りたい陶芸家は「もうニセモノを作るなんて嫌だ! お前とはもう組まない!」って最初は言ってるけど、復讐を遂げるためには古美術商の知識が不可欠。
 古美術商の方は陶芸家を利用してやろうとしか思っていないのだけど、それは逆説的に「この陶芸家の腕前が凄いことを世界で一番認めている」ということでもあるんですよ。ほら! なんかすげぇ濃い目のBL雰囲気があるでしょ! それをおじさんがやってるというのが、また良いんですよ。若者にはないしたたかさを打算、でも老人ほど枯れてもいないギラつき。それが妙な色気を出していて、「あーこれ私がそっちの趣味だったら、たぶんヨダレ垂らしながら二次創作してるわぁ」って感じがあるのね。
 
 そういった意味では今回の「存在しないものを作る」。つまり未だ発見されていない”鳳凰”、文献とか伝承からわかる朧げなものから実際の焼き物を作り上げる工程って、めちゃくちゃ二次創作なんですよね。
 ほら「同じコマにいる!」とかでカップリングさせるのとか、本気3割ギャグ7割のBLしぐさとして聞きますけど、実際本編に散りばめられた断片をかき集めて、そこに想像力を働かせてひとつの形を生みだし、作品にしていく。二次創作ってそういう営みだと思うんですよ。
それは色々な情報をかき集めて、それでも不明な部分を想像と経験で埋めて、ひとつの”鳳凰”を作り上げることって、やってることは同じなんですよね。

 しかもですよ。これは”鳳凰”の贋作、つまりニセモノではあるんですけど、じゃあ本物の”鳳凰”は? っていうとそれは「存在していない」わけですよね。
 だったら「本物の存在しないニセモノとは?」ってことになるじゃあないですか。ニセモノとして作ったけども、本物はどこにもない。だったらこれはどこの何と比べてニセモノなのか? って聞かれたら全然わからない。
 そのとき、これは本物になるのか。それとも存在しないもののニセモノなのか。
 二次創作も一応大元になった作品はあるから、ニセモノではあるのだけど。でも贋作と言うには本物から大きく離れている。その二次創作で描かれているものはどこにも存在していない。だったからこれは……という同じ話に収斂していくわけです。
 
 でもそういうことって、二次創作やってれば恐らく誰もが考えることではあるんですよね。それをおじさんBL的な雰囲気でやってることにどれだけ面白さを見出せるか? という適正の問題として、やっぱり私にはその才能が無いので「そういう話は嫌いじゃないけど、まぁもう通過済みだからね……うん、普通。普通に見れました。よかったです」って結論になっちゃうかな。

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 次回は『妖怪ウォッチ♪ ジバニャンvsコマさん もんげー大決戦だニャン』評を予定しております。

 この話をしたツイキャスはこちらの18分ぐらいからです。


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